Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

マイマイ新子のふるさと、防府探訪(4日目)最終日~防府から広島へ

2011年10月17日 | マイマイ新子と千年の魔法
楽しかった防府探訪も、あっというまに最終日となりました。
この日は早々に防府を離れ、二つの世界遺産を見てから帰路に着く予定です。

この山陽本線に乗って、広島方面へと向かいます。


さようなら、ロックシティ・・・もとい、イオンタウン防府。


さようなら、江泊山。


周防灘を右に眺めながら、広島の宮島口を目指します。






2時間ほどで、宮島口駅に到着。
今度はフェリーに乗って宮島へと渡ります。


厳島神社の大鳥居が見えてきました。


そして宮島に上陸。うわさどおり、そこらじゅうに野良鹿がうようよしています。

・・・中には、こんな鹿の姿も。

もしや、鹿も並ぶほどの名店なのでしょうか?
あるいは、野生を失った動物はここまで堕落する・・・という悪い例かも(^^;。

さらに進むと、先ほどフェリーから見えた大鳥居がありました。


今回は干潮で水はほとんど無し。鳥居の周辺には人が集まっています。


そのうち潮がすっかり退いて、鳥居の下をくぐることができるようになりました。


大鳥居の棟札を真下から見ると、こんな感じです。


さらに、海側から見た大鳥居の姿。


そしてこちらは、鳥居側から見た厳島神社の全体像。

ちなみにこの日は全然水がありませんでしたが、翌週には潮が満ちすぎて
立ち入り禁止になってしまったとか。

神社の中に入り、高舞台越しに本殿を眺めたところ。


振り向くと、火焼前(ひたさき)の灯篭越しに大鳥居が見えます。


今も使われている能舞台。

台風により倒壊したこともありましたが、2011年で築後331年を数えました。

こちらは毛利元就・隆元父子によって、1557年に架けられた反橋です。


社殿裏にある、月を写すための鏡池。これは潮が退いていない時しか見られません。


厳島神社に2時間ほど滞在してから、再びフェリーで宮島口へ戻り、
地元でも指折りの有名店「うえの」で昼食をいただきました。


並ぶこと数十分の後に入店して、まずは「あなごの白焼」と日本酒を注文。

天然わさびのさわやかな辛さが、あなごの香りを一層引き立てます。
酒は地元の「八幡川」で、口に残るあなごの油をすっきりと洗い流してくれます。
ぐいのみ一杯で100円なり。

そしていよいよ、店の看板メニューである「あなごめし」が運ばれてきました!

パリッと焼かれた表面とふんわりした身のアクセント、口にほおばるとじわりと広がる上品な油、
そしてあなごのアラで炊かれたご飯の深い味わいと、これまで食べたものとは別次元の味でした。
さらに残しておいた白焼のわさびをつけると、また別の味わいが楽しめます。

その後は広島名物の路面電車に乗り、もうひとつの世界遺産へと移動。


そして、着いた場所は・・・

広島平和記念碑、通称「原爆ドーム」です。

ここを訪れるのは初めてですが、こうの史代先生の作品から受けた影響も含めて、
いつかは来たいと思っていた場所でした。











圧倒的な破壊の痕跡に身震いすると同時に、これを成し遂げた技術を産み、
さらに使用した立場になって考えた場合、この破壊力こそ、人間が手にした
大いなる力の証明に見えるのかもしれない・・・とも考えました。
まあその過信が、原子力を科学の火として推し進めてしまった一因なのでしょうけど・・・。

原爆ドームの存在意義を語る、二つの碑文。
ひとつは永久保存の決定と最初の補強工事の際に建てられたもの。


もうひとつは、世界遺産登録時に建てられたものです。


とはいっても、この内容を理解するかどうかは人それぞれなわけで・・・。
原爆ドームの前でピースサインをしながら写真を撮る女性を見たときには、
ちょっと言葉に出せないような気持ちになりました。

原爆ドーム近くの元安橋を渡って、広島平和記念公園へ。

ここで燃えている「平和の灯」の火種には、宮島から運ばれた
弘法大師の「消えずの灯」も使われているとのこと。

公園の向かい側には、原爆ドームの姿が見えます。


それと向き合う形で、平和の灯と原爆死没者慰霊碑、
そして平和記念館が一直線に並んでいます。


この設計は、防府に行く前に森美術館の「メタボリズム展」で見た計画図のとおり。
代々木第一体育館や大阪万博の会場も手がけた、丹下健三によるものです。

慰霊碑を横から見ると、代々木第一体育館と共通する形状なのがわかります。

さらに両者の上部には、厳島神社の鳥居等と共通する特徴的な曲線を見ることができます。

慰霊碑の前に立つと、原爆ドームがすっぽり納まる形。


こちらは丹下健三の代表作のひとつ、広島平和記念資料館です。



遠目には直線ばかりのモダニズム建築に見えますが、よく見るとコンクリートに羽目板模様が施されていたり
柱が微妙に曲線を描いていたりと、どこかで和風建築を意識している感じもありました。

平和記念公園を実際に見ることで、戦後復興と高度経済成長時代を象徴する「東京五輪」と
「大阪万博」へと繋がる、丹下健三建築の原点を確認することができました。
言い換えれば、この広島こそ長崎と並ぶ終戦の象徴であり、同時に戦後日本が再生するための
「出発点」でもあったのだと思います。

そして今また核による災厄の時代を迎えた日本にとって、五輪や万博といった成功体験以前の
「原点」としての広島を見つめなおすことが、改めて必要なのではないかと感じました。

なお、丹下健三と戦後の日本建築が、平和記念公園とどのように結びついているかに関しては
arch-hiroshima 広島の建築」というサイトの中で詳細かつ広範に論じられていますので、
興味のある方はぜひそちらもご覧ください。

元安橋の上から見た、原爆ドーム周辺の様子。

かつてこの上空に立ち上ったキノコ雲は、遠く呉からも見えたそうです。

しかし、広島平和記念資料館のサイトによると、米軍による最初の投下計画では、
呉も投下研究対象のひとつに含まれていたとのこと。

仮に呉に原爆が投下されていたとしたら、こうの史代先生が描かれた作品のいくつかは、
また違った結末を迎えていたことでしょう。
そして呉と広島を合わせ鏡の関係として考えた場合、『この世界の片隅に』で描かれていた
呉の街が、原爆が落ちなかった場合の広島の姿のようにも見えてしまいます。

さて、約4日間でしたが、自分にとってはこれまでで一番得るものの多い旅行となりました。
こんな機会を与えてくれた『マイマイ新子と千年の魔法』という作品と、それを取り巻く全ての皆さん、
特に現地スタッフと特別ゲストの方々に、改めて感謝いたします。

いつかまた、こんな素晴らしい旅ができますように。
そして願わくば、それが再び片渕監督の作品と結びつくものでありますように。
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