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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

手づくりひづるちゃんグラス、到着

2010年08月08日 | マイマイ新子と千年の魔法
『マイマイ新子と千年の魔法』の数少ない商品化グッズである「マイマイ特製グラス」のうち、
金魚の「ひづる」をデザインした作品が届きました。

リボンをあしらった手作りの発泡スチロールケース入りで、作品解説のしおりつき。
梱包からも、作り手の心遣いが伝わってくるようです。

これは片渕監督の学生時代のご友人でサンドブラストの工房を構える首藤睦子さんが、
『マイマイ新子と千年の魔法』のために2種類のデザインを各10点ずつ手作りされたもの。
なにぶん量産がきかないので、抽選によって購入できるという逸品です。

この「ひづる」の価格は6,300円ですが、普通に売られているサンドブラスト作品も
市価5~6千円するものばかり。
ましてこちらは公式グッズですから、価格としては決して高くないといえるでしょう。

そして実際に手にしてみると、そのすばらしさに価格以上の満足感を味わえます。

外側はつや消しのシックな感じで、手に持ったときの馴染み具合も良好。

そして中を覗き込むと、つややかなガラスの水の中に鮮やかな金魚の姿が!

内面は透明ガラスなので、外から見るよりくっきりと「ひづる」が浮かび上がります。
外側と内側でちょっと違った見え方を楽しめるのも、ちょっとした驚きです。

まわりを取り巻く水泡と、水に映りこんだ銀河に見立てたボカシ加減がとてもきれい。
まるで水中と天の向こうにいる2匹のひづるが、ひとつに重なって泳いでいるようで
映画のラストに起きた魔法がグラスへと姿を変えたようにも思えるのがうれしい。

反対面はこんな感じで、地色の赤と白の水紋が互いを引き立てる構図になってます。

白と赤の2色で表現された琳派調の水紋など、日本的な意匠が強く感じられるのも
美術好きな私にはツボでした。
たとえば神坂雪佳のデザインを「ひづる」の主題で再構成すると、こんな感じかな?
・・・と新子さながらに空想をめぐらせながら見るのも、また楽しいものです。

工芸品としても優れた完成度を持った、この特製グラス。
「こどものせかい」の歌詞どおり、「私のちいさなたからもの」になりました。

一点ものなので使うのが怖いのですが、これで飲むなら透明なラムネか日本酒でしょうね。
特に山口の銘酒を冷やでグイっとやったら、さぞかしうまいだろうな・・・。
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7.23『マイマイ新子と千年の魔法』ラストナイトin阿佐ヶ谷

2010年07月30日 | マイマイ新子と千年の魔法
7月23日。3度目のラピュタ阿佐ヶ谷、4度目の『マイマイ新子と千年の魔法』。

この日は友人の姫鷲さんを誘っての鑑賞でした。
ラピュタでは(いちおう)これがラストの上映ということもあり、定員50名の劇場内には
通路にまで臨時席が出るほどの盛況ぶり。
さらに上映後の回数調べでは、そのうち半数くらいが初めてのお客さんということでした。

ひょっとして私以外にも、ラピュタでの上映を見てもらいたくて仲間を誘ってきたという
リピーターさんたちが、かなりいたのかもしれませんね。
初見の姫鷲さんにも喜んでもらえたので、私もオススメしてよかったです。

そしてこれまで『マイマイ新子と千年の魔法』を応援してきた皆さんは、少しでも
こんな気持ちを感じたいからこそ、今でもずっとがんばっているのかもしれません。
まだファン歴の浅い私も、そんな気持ちの片鱗を感じさせてもらいました。

上映後はおなじみ宣伝担当の山本さんと片渕監督が、舞台挨拶に登場。

監督が手に持っているのが、防府市で発行された新子の特別住民票です。

アップだとこんな感じになってました。

実はこの日が一般配布の初日でしたが、ほうふ日報の「N田さん」こと縄田記者が
はるばる現地から持って来てくれたのでした。
こういう熱意こそ『マイマイ新子と千年の魔法』を支える原動力なのです!

さて、今回は主に片渕監督から、この作品を撮るために防府市までロケハンに行った時の
“ある体験”が語られました。

このロケハンは昭和30年当時の防府についてのイメージを捜しに行ったものですが、
このとき空を見て「あ、当時と空の雲は変わらないんだ」と感じたこと、そして現地で
偶然にも清原元輔の館と思われる遺跡の発掘現場に巡り合った事が、平安時代から
昭和30年代までを垂直に貫いて描かれる『マイマイ新子と千年の魔法』の世界観の
原点になっているとのことでした。

そして見上げると、空は今でも青く、雲も当時と同じような形をしています。
この空と雲は遠く防府へ、そして昭和30年代や千年前の時代へとつながっているはず。
こんなささいなきっかけと少しの想像力があれば、私たちはいつでも新子や貴伊子、
そして諾子たちに会いに行けるんだよ・・・と、片渕監督から教わった気がしました。

舞台挨拶のあとはロビーにて、スタッフとファンによるミニ懇親会がありました。
ラピュタ阿佐ヶ谷での最終上映、そして記念すべきDVDの発売日を記念して、
まずは片渕監督による発声で乾杯。

劇場で用意したビールの注がれたプラカップ一つ一つには、古参のマイマイ応援団である
ギムレットさんによって刷られた記念ラベルが貼られてました。

記念に思わず持ち帰ってしまった。ラベルのしわもいい思い出です。

その後は製作&宣伝スタッフにラピュタ阿佐ヶ谷の皆さん、そして劇中で重要な役どころを
なんと二つも演じられた喜多村静枝さんも登場してのあいさつタイム。
みなさんそれぞれに、作品に対する思いやこれまで苦労などを話してくれました。

最後は全員そろっての一本締めで、長いようで短かった楽しい時間は終了。

しかしアニメを見続けてもうずいぶん経つけど、こんな機会はなかったなぁ。
そういう場を用意してくれた方、そして一緒にそこにいた人たちに感謝です。
そして『マイマイ新子と千年の魔法』というすばらしい作品に出会わなければ、
こんなにすてきな経験はできなかったと思います。

結局この日は終電に間に合わず、姫鷲さんと二人で新宿にて飲み会&カラオケ。
3時間飲んで3時間歌うという、漢らしい充実した夜を過ごしたのでした。
・・・最後は全然童心に還ってませんが(笑)、そこはタツヨシのお父さんを偲んで
大人同士で呑みおうたんだと、そういうノリで見てやってください(^^;。
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大人が童心に還る夜~マイマイオールナイト

2010年06月23日 | マイマイ新子と千年の魔法
6/19に渋谷のシアターTSUTAYAにて開催されたイベント、
大人が童心に還る夜~マイマイオールナイト」に行ってきました。

当日はW杯の日本×オランダ戦ということで、渋谷の町は代表ユニフォームだらけ。
私も某所の大型モニターで0-1での敗戦を見届けた後、別の日本代表として
エジンバラ国際映画祭に参戦中の『マイマイ新子と千年の魔法』を応援するため
シアターTSUTAYAへと向かいました。


大きな会場内は、最終的に満席に近い入りとなったようです。
劇場のイスは大きくてふかふか、背もたれも長くて快適でした。
いい座席だと、オールナイトでも疲れが少ないのがありがたいです。

当日のプログラムは上から順番に、次のとおりでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『マイマイ新子と千年の魔法』
『アリーテ姫』
『エースコンバット4 shattered skies』
『ピアノの森』

(マイマイ上映後にステージイベントあり)
「バー・カリフォルニア 渋谷支店」
Minako“mooki”Obataさんと村井秀清さんによる生演奏&トーク
ゲストと片渕須直監督を交えての『マイマイ新子』トーク
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず最初は『マイマイ新子と千年の魔法』上映。
大画面だと、細かい部分の描き込みや動きがはっきりとわかるのがうれしいですね。
麦の穂ひとつひとつが不規則に揺れる映像なんて、本当に緑の海みたいでした。
特に前のほうの席で見ていると、新子と一緒に麦の海を泳ぐ気分が味わえます。

『マイマイ新子』の場合、セリフの抑揚や山口弁の味わいも大きな持ち味なのですが、
普通なら映画では御法度なはずの“つぶやき”や“ささやき”がそのまま入っていたり、
関東圏の人間には山口弁の発音が聞きなれないことなどによって、ところどころに
聞き取りづらいセリフがありました。

しかし今回はTHXによる高音質&大音量、小さな声までばっちり聞き取れます。
セリフの聞きやすさでは、標準的な公開条件より3割くらい向上したんじゃないでしょうか?

効果音のほうも、THXの威力でより“本来の音”に近づいた感じです。
新子たちの世界に響く大きな音、小さな音、人や生き物の声が余すところなく聞こえ、
作品との一体感や世界の息づかいというものを、より感じさせてくれました。
世界は大きな“音”ばかりでなく、小さな“ざわめき”に満ちているんだということを、
改めて気づかせてくれる体験でした。

音質の向上で気づいたことのひとつに、貴伊子が車でやってくるシーンがあります。
今回の上映では陶器のカチャカチャという音がはっきり聞こえるのですが、あれはたぶん
父親の持つ箱に入ってる骨壷のふたが、車の振動で鳴っているのでしょう。
見た目だけでも想像はつきますが、この音によって存在感や説得力がより強まった感じ。
貴伊子の暗い表情は転校によるものだけでないことが、ここで既に示されてるわけですね。

そんな貴伊子が、付き添いにこられない母の代わりとして形見の香水や口紅を
つけてきたと思えば、初登校のシーンもまた違って見えてきます。

そして学校に持ってきた色鉛筆、あれも母親の代わりとして持ってきた品でしょう。
香水や口紅の入っている棚が「母親の思い出入れ」だとすれば、そこに入っていた
色鉛筆にしても、やっぱり母の遺品のはずですから。

しかも部屋に飾られた「きいこ 一か月」の絵も、その色鉛筆で描いたらしいとくれば、
これは母親との一番大切な絆と言ってもよいはず。
それを肥後守でガリガリ削られちゃったら、止めたくなるのも当然だよな~。

…話題を音響に戻して、今度は作品を彩る音楽について。
こちらのほうは、従来より4割増しくらいのツヤと厚みを感じました。
Minako“mooki”Obataさんの声はより豊かに、村井秀清さんのピアノタッチはより繊細に。
音の起伏が豊かになったことで、気持ちの揺さぶられ方もさらに増したように思います。
最後に流れるコトリンゴさんの「こどものせかい」も、響きがぐっと深かったですよ。

そして『マイマイ新子』上映後のステージイベント、まずはmookiさんと村井さんが揃って登場!

生演奏と軽妙なトークによって、会場をさらに盛り上げてくれました。
最後はアドリブたっぷりな「シング」のセッションで、マイマイの音楽をさらに広げてみせる快演ぶり。
なお、ステージ周辺を縦横無尽に飛び回るスタッフの一人は、なんと岡田音楽Pその人でした。

続くトークゲストでは、怪獣絵師として著名な開田裕治氏、落語家でオタク関係にも
造詣の深い、立川談之助師匠が出演。

世代の近い片渕監督も加わって、子供時代をすごした昭和30年代前後の
思い出話に花を咲かせてました。まさに“大人が童心に還る夜”。

しかし談之助師匠、全体の6割近くでしゃべってたんじゃないかな。
ぶっちゃけて言うと、開田さんや片渕監督の話ももっと聞きたかったです。

休憩を挟んで、2本目の上映は『アリーテ姫』。
上映開始は深夜1時を回っていたと思いますが、内容のすばらしさに眠気も吹っ飛びました。

特に流れ星のシーンは、探査機「はやぶさ」の帰還映像を思わせますが、それに加えて
帰還に向けてがんばった技術者や関係者の苦労を思うと、作中でアリーテ姫が言ってた

“どんな魔法も、人の手が作り出したもの。そこにはすばらしい可能性が秘められている”

というセリフの意味が、ひときわ重く感じられます。
そして『アリーテ姫』がそこまで深く見通した作品であることが、すごくうれしかったです。

映像面で新たに気づいた点のひとつが、冒頭に出てくる城の全景を見せるときの技法。
カメラの引きによってその大きさを表現してるのですが、今回のような大画面で見ると
奥から手前へと街並みが何層にも重ねられているのがよくわかります。
デジタルによる作品で、あえてマルチプレーン的な手法を試しているわけですね。

ちなみにマルチプレーンというと、最近見に行ったノルシュテイン&ヤールブソワ展
思い出すのですが、『アリーテ姫』でもノルシュテイン風なハリネズミ君が出てきます。
あれってやっぱり、ノルシュテインへのオマージュなんでしょうか?

そして色彩面で強烈な印象を残すのが、要所で見せる黄金色の照り返し。
ラピュタ阿佐ヶ谷のトークで片渕監督が語ったところによると、CGを使うことで
“黄色ではなく、ちゃんと金に見える色”が塗れると発見した成果が、この作品の
金色だということです。
19日の映像では、その金色が今までよりも一層“輝いていた”ように思いました。

次の『エースコンバット4』は、ドラマ部分の静止画を抜き出して再編集したもの。
ロフトでの片渕監督の話では、字幕は今回の上映にあわせて吶喊作業で追加したものだそうです。
大画面で見るには荒い画質でしたが、緊迫感のある物語はさすが片渕作品というところ。
舞台となる町の生々しい雰囲気は、ザグレブでの取材による成果でしょう。

最後の『ピアノの森』は片渕作品ではありませんが、上映の前に片渕監督から
『マイマイ新子と千年の魔法』との関係についての説明がありました。

原作者の一色まこと氏が山口県出身のため『マイマイ新子』に協力してもらったこと、
『マイマイ新子』の隣の部屋で作っていた作品なので、いわば「戦友」であること、
さらに新子役の福田麻由子さんのアニメデビュー作であるなど、さまざまな縁で
深いつながりのある作品である、とのお話でした。

この時点で、既に朝の4時過ぎだったはず。お疲れのところありがとうございました。

主人公が二人いるので、序盤はなかなか感情移入しにくい『ピアノの森』でしたが、
終盤ではきっちりと盛り上がります。
なお、福田さんの演技はこのころからうまいのですが、『マイマイ新子』と比べると、
当時から一層の成長を遂げているのがわかりました。これも今回の発見ですね。
雨上がり決死隊の宮迫のシリアスな演技にもビックリ。声優をやらせてもうまいですね。

なお、今回は主催者側のはからいにより、ステージイベントに関しては写真撮影も
OKということになってました。
おかげでこの記事にも写真がつけられたわけですが、これについて少々苦言を。

いくら撮影OKとはいえ、使わないように注意されたフラッシュをパカパカ焚く人、
ピント合わせやシャッターの電子音をピーピーカシャカシャと平気で鳴らす人が
かなりいたのには驚きましたね。
ましてや映画館ですから、いくら小さな音でもやたらと耳につきました。

フラッシュは論外として、電子音も事前に設定で切っておくのが大人の気配りってもの。
ましてや生ライブ中にピカピカ・カシャカシャでは、演者にも失礼だと思わないのだろうか。
こういう現実を見ると、イベントでの撮影規制はやはり必要かなーと思ってしまいます。

今後もこういう機会を求めるなら、撮影者はもっと気をつけるべきでしょうね。
また主催者側からも、事前の十分なルール周知をお願いしたいものです。
ちとキツいことを書きましたが、参加したみんなが喜べるイベントづくりのために、
それぞれが少し気配りをしていただければ…と思いました。

さて、終わってみれば朝の6時過ぎ。7時間を越えるイベントもあっという間の印象でした。
出演者、劇場関係者、そしてこのイベントを無事実施された有志の主催者の皆様に、
深く感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
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“The Roots Of Sunao Katabuchi”現地レポート

2010年06月17日 | マイマイ新子と千年の魔法
『マイマイ新子と千年の魔法』『BLACK LAGOON』の片渕須直監督が、自らのルーツと
作品について語るトークイベント、「The Roots Of Sunao Katabuchi」に行ってきました。



公式ブログ等でも既にレポートが出てますが、もう少し詳しい記録を残したいと思ったので、
こちらでもまとめてみることにします。
(なお、内容に多少あやふやな点があります。何かお気づきの方はコメントにてご指摘ください。)

さて、会場の阿佐ヶ谷Loft Aは商店街にあるビルの地下。
気がつかずに何度か前を通り過ぎちゃいました。



さほど広くない会場内はお客さんでいっぱい。
ここは飲み食いのメニューが充実しているので、会場内で十分に腹ごしらえもできます。

イベント限定メニューでは、BLACK LAGOONがらみのドリンクが2種、マイマイ新子からは
ドリンクとおつまみが一種ずつ。

私はバカルディ・ラムのライムジュース割り「TWO HANDS(二挺拳銃)」をいただきました。

ラムとライムジュースなので、この組み合わせでは個人的にやや甘かったですね。
ジュースを生ライムを搾ったのに変えてあげると、もっとレヴィ的なドライさが出るはず。
自分で作る場合は、どちらが好みかを試してみてもいいと思います。

他の限定メニューとしては、ウォッカのトマトジュース割り「The World of Midnight」、
麦焼酎とホッピーで麦がダブルの「麦の海」(ホッピーで自分好みに焼酎を割る)、
そして新子のふるさと山口県防府市の名産品、白銀のかまぼこがありました。
かまぼこは滑らかでぷりぷりした食感と、後に残るまろやかなうまみが印象的。
ロフトでは醤油がたっぷりかかってたけど、私は素のままのほうがよかったかな。

さらにウォッカのコーヒーリキュール割り「BLACK RUSSIANS」と、揚げ餃子も注文。

こちらは特別メニューではないので、メニューにある限りいつでも頼めます。

勝手な思いいれですが、カクテルはバラライカ、餃子は張維新をイメージして頼みました。
カクテルのほうはまたもや甘々ですが、餃子は張大兄のようにハードな揚げ具合でしたよ。

なお、テーブルにかかったYELLOW FLAGのミニタオルは、イベントで購入した私物を持参。
これさえあれば、どこで飲んでもロアナプラ気分が楽しめるという趣向です(笑)。

あれこれ飲み食いしているうちに、いよいよトーク開始の時間に。
まずはマイマイ新子の広報と本日の司会を担当する山本さん、DVDのコメンタリーにも
参加されたという氷川竜介さん、そしてわれらが片渕須直監督が登壇されました。
まずは片渕監督の音頭で、参加者全員による乾杯。

序盤のトークは、大学在学中にアニメ業界に足を踏み入れたという片渕監督の苦難の歴史。
ヤバすぎてあまり詳しいことは書けませんが(^^;、片渕監督のアニメ道がいろんな意味で
遠回りの連続だった事を、ひしひしと感じさせるお話でした。
様々な作品に合作や共作という形で関わりつつ、本格的な監督第一作の『アリーテ姫』に
いつまでも目途が立たない日々は、どれだけ苦しかったことでしょう。
さらにはいろんなところでトラブルに巻き込まれたり、妙な人たちと関わったりの波乱万丈。

このころ某“アニメ様”からは「なんでそんなに運のない・・・」と同情されたそうです。
悲惨なのに笑える話が次々に披露されるので、気の毒に思いつつも場内は爆笑の連続。

またゲストの氷川氏からは、この時期のアニメはTVからOVAにシフトしていく過程の
ミッシングリンクとして、海外との合作プロジェクトが続いていたとの説明もありました。
こういうところにも、片渕監督の活躍が国内で見逃されがちだった理由がありそうですね。

しかしさすがは奇跡を呼ぶ男・片渕監督。その遠回りも決して無駄にはしていません。
一例として、1998年にザグレブ国際アニメーション映画祭でボスニアを訪れた際には
内戦の傷痕を目の当たりにしており、これが後に『アリーテ姫』『エースコンバット4』の
ストーリーへと結実していったとのこと。
また現地に残る古い町並みや建造物、さらに立食パーティの皿などの写真を撮ってきて、
『アリーテ姫』の世界観構築に役立てているそうです。
(お皿については、劇中でアリーテ姫の食器として登場しているとのこと。)

そんな片渕監督のリアルな作劇を支える、大量の資料調べと徹底した現地取材。
この手法は『マイマイ新子』や『BLACK LAGOON』でも変わりません。
休憩をはさんで、実際に取材中の片渕監督の姿も披露されました。

『マイマイ新子』については、防府市役所を訪ねて古い資料を丹念に調べる様子や、
現地を歩くといったロケハン時の映像を上映。
劇中そのままの地形や、新子や貴衣子の家のモデルとなった場所も出てきました。
またこの取材の成果として“昭和30年代の防府市の航空写真に、諾子の時代の遺跡の
発掘現場を貼りこんである”PSDデータがあるそうですが、データのサイズが大きすぎて
会場のノートPCでは開けず。これはかなり残念でした。

『BLACK LAGOON』については、タイには何かの事情で行けなかったものの、代わりに
ベトナムでの取材を敢行したそうです。
(もしタイに行っていたら、そのころ現地を襲った大津波に飲まれていたかも…とか。)
その時に撮影した、警察に拿捕された「ロシアのミサイル艇を改造したらしき密輸船」の
写真も出てきましたが、まるで本物のラグーン号みたいでした。

また、実際にモデルガンを構えたりロシア軍のコートとベレーを被った監督の写真も公開。
軍装をリアルに描くための資料ですが、あれはどう見てもバラライカのコスプレです(笑)。
なお、今度出るラグーン新作のために、米軍の装備でも同じことをやったとか。
銃を持ったときのしっくりした形をつかむためとは、ミリタリー通の片渕監督らしいです。

さらにジェネオンの『BLACK LAGOON』担当・小倉プロデューサーと、片渕作品の歌姫、
Minako "mooki" Obataさん、そして飛び入りゲストの原作者・広江礼威先生が登場。
ここで『BLACK LAGOON』第25話となる新作『Roberta's Blood Trail』オープニングを初上映、
さらにmookiさんによる「The World of Midnight」生アカペラの披露と、会場内は一気に
ロアナプラの色へと染まりました。

特にmookiさんの歌声はスゴい威力で、ヒトの肉声の力を改めて感じさせるもの。
そもそも片渕監督が双子編での曲作りを頼んだのが出会いのきっかけだそうですが、
この歌の録りを見に行った監督が時間を計ったら、エンディングの尺にドンピシャ。
その場で、この歌を双子編のエンディングに使おうと決めたそうです。
おかげで絵を全部描き直すことになったけれど、ご自身では非常にお気に入りとのこと。

また双子編のTV放映までには相当な駆け引きや苦労があったそうで、片渕監督いわく
「作品自体は24話まで途切れなく作っていたので、第1部と第2部までのブランクは、
ある意味で小倉Pが戦うための時間稼ぎだった」との話。
そして片渕監督も小倉Pも、そこまでしてでも双子編を作りたかったとのことでした。

後半ではさらに新子やラグーンの取材写真が披露され、「撮ろうとする世界を把握して、
さらに想像力による肉付けを行う」という創作過程を、実際に見ることができました。

片渕監督からは「ヒトの記憶は曖昧なので、ロケハンの資料に支えられたり、その資料から
想像する事が楽しかったり、その中で見つけた些細な偶然が大きな意味を持ったりする。
またそんな些細な偶然でできている世界を、いとおしいと思う。」との深いお話も。

そして『マイマイ新子』の劇中音楽として、mookiさんのスキャットを全編に採用すると
片渕監督が決断したときの苦労話へ。
周囲からは「人の声だけで劇伴を作るなんて、うまくいきっこない」と止められたものの、
監督は絶対に勝算があると考え、また前例がないからこそやるべきとも思ったそうです。

片渕監督いわく、「mookiさんは僕らの秘密兵器」。
しかしmookiさん自身は声の持つ可能性を広げたいとの気持ちでこの話を受けたものの、
後から不安な気持ちになったとのことでした。

そしてこの話を聞いて辛抱できなくなったのか、本作の音楽を知り尽くした人物である
岡田音楽プロデューサーが登場!
mookiさんの実力を信じて、周囲の逆風をいかに跳ね除けたかを熱く語ってくれましたが、
これまたちょっとヤバい話なので、あんまり詳しく書けません(笑)。
ただし「岡田さんの頑張り抜きにmookiさんの起用はありえなかった」とは断言できます。

ここで『マイマイ新子』の曲と『BLACK LAGOON』の曲を作るときの落差については?との
質問に対し、mookiさんからは「自分の中では、全く何の差もなかった。」との回答が。

「双子の場合はたまたまああいう風に育っただけであって、その子たちに責任はない。
 もし双子が昭和30年代の山口県に生まれてたら、新子みたいに育ったかもしれない。」
 
だからどちらの場合も、mookiさんの中から自然に音楽が出てきたそうです。
さらにmookiさんからは、『マイマイ新子』でのスキャット劇伴について

「新子ちゃんの感じる内面のウキウキ感は、何かのフィルターを経ずに自分の中で作り出された、
 すごくレアなもの。その感覚を伝えるには、最初の楽器である人の声が一番ふさわしいと思う。」

という、全力でうなずきたくなるようなコメントも聞けました。

そしていよいよラグーンファン待望の『Blood Trail』1分ダイジェスト版の初公開。
フリントロックをぶん回すロベルタ、ファビオラ初登場のカットなど、原作を読んでいる人なら
思わずニヤリとするシーンも見られました。これは期待できるなぁ。

最後は『マイマイ新子』と『Blood Trail』のDVD特典等の紹介。
マイマイ新子はもちろん、ラグーンのほうも盛りだくさんな内容になりそうです。
そして両作品についてのグッズが、抽選で選ばれた参加者にプレゼントされました。

『マイマイ新子』は6/19のオールナイトをはじめ、まだまだ上映予定が続きます。
『BLACK LAGOON Roberta's Blood Trail』については、これからほぼ2ヶ月ごとに
リリースが続くということで、第一話は近々TV放送もあるとのこと。
片渕作品の起こした波は、メディアの枠を越えて今後も広がっていくことでしょう。

なお、今回書いたのは膨大な内容のごく一部。他にもいろんな話を聞けました。
片渕須直監督をはじめ、今回登壇された皆様、楽しい時間をありがとうございました!
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片渕須直監督の原点『アリーテ姫』の輝き

2010年06月01日 | マイマイ新子と千年の魔法
5/30の「ラピュタアニメーションフェスティバル2010」にて、片渕須直監督の
『アリーテ姫』を見てきました。


『マイマイ新子と千年の魔法』のルーツともいえるこの作品を、大スクリーンで見られる
絶好の機会というわけで、夜の阿佐ヶ谷へと足を伸ばした次第。
50人までしか入れない劇場の中は、見るからに熱心そうなお客さんで埋まってました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて『アリーテ姫』の舞台は、中世を思わせるどこかの王国です。
主人公のアリーテ姫はまだ歳若い少女ですが、配偶者にして次代の国王となるべき
立派な男性を待つ身として高い塔に閉じ込められ、退屈な毎日を過ごしています。
そして彼女と国王の座を求める求婚者たちは、顔も知らない姫君の心を射止めようと、
冒険の末に手に入れたいにしえの魔法の品々を携えて、毎日のように城を訪れます。

しかし彼女は、そんな求婚者たちに興味を持てません。
幽閉中の心の慰めとして数々の本に接してきたアリーテ姫にとって、彼らの言葉から
嘘や矛盾を見抜くことは実にたやすいものであり、また虚飾ばかりの彼らの物語は、
「本物の世界の話」を聞きたいという彼女の願いに応えるものではなかったからです。

そんな彼女の想いは、むしろ窓から見える城下の人々の暮らしと、そして献上物の中から
彼女自身によって見いだされた、いにしえの魔法の数々を記録する「黄金の書物」へと
向けられるのでした。

塔の暖炉に隠された秘密の通路を使ってたびたび城外へと抜け出していたアリーテは、
町の人々の生活や働きぶりに接し、塔に閉じ込められて「何者にもなれない」ままの
自分の境遇との違いを痛感します。
やがて一大決心を固め、こっそり城下を抜け出そうとしたアリーテでしたが、その企みは
早々に発覚し、門まで来たところを捕らえられてしまいました。

そんな時、不思議な飛行機械に乗った老人が城へと飛来しました。

魔法使いのボックスと名乗った老人は、魔法の力と巧みな弁舌で国王や重臣を丸め込み、
自分とアリーテ姫の縁談を認めさせてしまいます。
抵抗するアリーテは魔法でしとやかな外見と自分の心を持たない人形のような姫へ
変えられてしまい、ボックスによって地の果ての荒れ城へと連れ去られます。

実はボックスの狙いは王位でも姫自身でもなく、魔法の水晶玉による予言によって
彼の命を縮める原因とされたアリーテを閉じ込め、予言を回避することでした。
予言を恐れるあまり、幽閉後もアリーテの顔さえ見ようとしないボックスですが、
そんな彼も実は半端な魔法しか使えない「なりそこない」の魔法使いだったのです。

人形のような姿と心のままで暮らすアリーテですが、やがてボックスたちの世話をする
アンプルという女性と出会うことで、失われたはずの心にある変化が起こります。
そして彼女の指には、かつて魔法を捨てた魔女からもらった、いにしえの魔法の遺物
「3つだけ願いのかなう指輪」がはめられているのでした…。

さて、アリーテはいかにして心を取り戻し、魔法の指輪でどんな願いを叶えるのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

働くことへの敬意、自分探しの苦悩、そして自分を見失ったときに立ち直るための処方。
この『アリーテ姫』には、『マイマイ新子と千年の魔法』で示された数々のテーマの原型が、
それこそ無数に埋め込まれています。
アリーテ姫という少女は、まさに新子たちのお姉さんといったところですね。

ただし友情というわかりやすいフレーバーが効いている分、『マイマイ新子』のほうが
作品としてとっつきやすいところがあるとは思います。
私としては、たった一人で困難に立ち向かうアリーテ姫のたくましさも好きですが
やはり新子と貴衣子の最強コンビには少しだけ分が悪いかと(笑)。
まあ二つを比べるよりも、それぞれの作品にそれぞれの色がきちんと出ている事を
肯定的にとらえるべきでしょうね。

語りのテンポとしては『マイマイ新子と千年の魔法』よりもゆっくりなので、人によっては
そこがやや冗長に感じられるかもしれません。
しかし、この作品に込められた多くのテーマとその重さ、そして一見わかりやすそうで
実は何重にも組み合わされた複雑な物語を考えると、この長さとテンポはむしろ必然。
せかせかした娯楽的な話運びでも作れたはずですが、それではこの作品が要求する
物語の深度まで、観客を導いていくことはできないでしょう。

作中のアリーテと同様、観客もこの作品に対してじっくりと考え、反芻するための時間が
与えられることによって、物語に含まれた様々な寓意や、それを生み出した作り手からの
強いメッセージといったものを読み解くことができると思うのです。
そしてこれらを読み解き、じっくり味わう楽しみは「大人のアニメファン」だけに許される、
至福の体験ではないかとも思います。

主人公は少女ですが、実はその周囲を取り巻く大人たちの寓話でもあるというところも、
『アリーテ姫』のユニークなところ。
アリーテを恐れつつ、実は彼女と同じコンプレックスを持っているボックスをはじめ、
アリーテを押さえつける存在や、アリーテより自由な存在として描かれる大人たちも、
実はみな何かに囚われた者であり、それに気づきながら目をそむけているのです。
だから終盤で自らそれに気づき、ボックスの呪縛から抜け出そうとしたアンプルの存在は
物語の中で非常に大きな意味を持っており、彼女の考え方がやがてアリーテを解放する
重要な鍵となる点についても、大いに頷けるところです。

そんなアンプルの話がいい例となるのですが、片渕監督の作品には非常に強烈な
「説得力」とでもいうべきものが感じられます。
『アリーテ姫』でも『マイマイ新子』でも、見ていて矛盾や歯切れの悪さを感じることなく、
キャラクターの行動とその結果にはいつも納得させられるものがあります。
いわば「筋の通った話」を見ているという安心感と満足感でしょうか。
その説得力が、作品の目指すところを考えに考え抜いた末に生まれているということは、
何度か片渕監督の劇場トークを聴いた上でよく伝わってきたところでもあります。
作り手の姿勢って、やっぱり作品にはっきり出るものなんですねー。

さらに、個人的に強い共感を覚えたのが、フィクション(物語)を通じて現実を取り戻し、
そして現実をより良く変えていけるという可能性を示唆したストーリーです。

その中に逃げ込むのではなく、それを通じて世界のあるべき姿を想像し、その姿に向けて
現実を変えていこうと奮闘する生き方、そして心の持ち方を示す「物語」。
そんな「物語」こそ、同時多発テロ以降の世界で「現実」の苛酷さに立ち向かうために
我々が必要とするものだと思います。
だからこの作品が2001年に完成したという事実についても、何らかの巡り会わせを
感じてしまうのですが…。

でもなんだかんだと褒めちぎったところで、アリーテ姫のどこがすばらしいかを
一言で要約すると、結局はこのコピーにたどり着いちゃうんですけどね。

「こころのちから。」

『アリーテ姫』では、この「こころのちから。」が「魔法」「物語」「思い出」「希望」など、
いくつものかたちと意味を持って現われます。
それを踏まえてこのコピーを読むと、シンプルながら作品の奥深さ、幅広さなどを
うまくすくい取っていると言えるでしょう。
ただし、実際に映画を見た後でないとその意味が伝わらないかも…という点だけは、
宣伝文句としてやや引っかかるところかもしれません(^^;。

おっと、『アリーテ姫』を語る上で忘れちゃいけないのが、作品を支える豊かな想像力と
作画における職人的な仕事ぶり。
ダ・ヴィンチ型の飛行機械による山越え、山肌に描かれた巨大な壁画、光になって
地上へ降り注ぐ人工衛星の破片など、幻想的なシーンの数々が丹念な作画によって
リアリティを与えられ、さらに手書きとCGの組み合わせが筆のタッチと色彩表現に
様々な変化を持たせています。

そしてラスト付近で出てくるあるシーン、これは本当に胸躍る空想の羽ばたきです。
それまでの幽閉場面が重かった分、これを見たときの開放感はひとしおでした。

スピード感やまったり感で見せるアニメも楽しいですが、そればかりを見ていては
心の栄養が不足しがちになるというもの。
やはり内容の豊かな作品でなければ、見る人の心を豊かにはできないと思います。
たとえ流行りのスタイルでないにしろ、見ていて深く考え、心に深く食い込んでくる
『アリーテ姫』のような作品こそ「日本アニメの誇り」であり、そのレベルの高さを示す
最良のケースであると、今回の上映を見て確信しました。

この『アリーテ姫』、ラピュタ阿佐ヶ谷では6/5まで上映しています。
また6/19には、渋谷のシアターTSUTAYAにて開催されるオールナイト上映イベント
大人が童心に還る夜 マイマイオールナイト」の中でも上映予定。
一人でも多くのアニメファンが、この機会に『アリーテ姫』と接してくれることを願ってます。

おまけ写真:ラピュタ阿佐ヶ谷で展示されていた、アリーテ姫関連の展示物たち。


こちらは初公開当時のプレスシート。


手作りのアリーテ人形と、マイマイ新子のサンドブラスト手作りグラス。
グラスは片渕監督のご友人が作られた逸品です。
人形のパッケージには、アリーテと諾子の姫君コラボシールが貼ってあります。


そして、この日最大の目玉展示。
片渕監督が発掘したアリーテ姫のアフレコ台本に加えて、マイマイ新子の台本と
なんと絵コンテも登場!しかも手にとって閲覧することができました!

DVDコメンタリーで使用するため、新子の絵コンテはこの日限りの展示とか。
(なお、アリーテの絵コンテは残念ながら見つからなかったそうです。)
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『マイマイ新子』についてのささいな追記と、個人的な希望について

2010年04月28日 | マイマイ新子と千年の魔法
『マイマイ新子と千年の魔法』について、前に書き漏らしたことを2つほど追加しておきます。

まず一つ目は、作中で見られる新子と貴伊子の「近さ」について。
繰り返し描写される二人の「密接なふれあい」のかたちは、むかし懐かしの中原淳一や
「それいゆ」などの少女雑誌に見られる、女学生同士の友情を思わせます。
これは片渕監督や他のファンも認める確信的な描写ですが、個人的には百合という表現よりも、
昔風の「エス」(Sisterの意)のほうがしっくりくる感じですね。
(といっても、これはNHK『美の壺』からのうけうりなのですが。)



まあ新子と貴伊子の場合、そこまで濃密な関係というわけではなく、むしろ男の子では
描写しようのない「お互いの近さ」を自然に見せることが主眼なのでしょう。
確かに男子の場合、ああいうべったりしたくっつき方ってまずありえないですからね。

そして二つ目。これは反対意見があるのも覚悟の上ですが、作品の宣伝方法について。

例えば『マイマイ新子』のポスターについて『借りぐらしのアリエッティ』と比べた場合、
どうしても「アニメにおけるマーケティングの難しさ」を感じてしまうのです。

厳しい話ですが、子供を強く意識したビジュアル構成は「子供の客だけで配収が賄える」
という前提の作品にしか通用しないし、周囲にもそういう作品と見られがちになります。
それを興行面でプラスと見るか、マイナスと見るか?という見極めは、アニメ映画の興行で
特に大切な勘所ではないでしょうか。

たとえば宮崎御大の作品は「子供向け」の印象から解放されているせいで、『ポニョ』の
ビジュアルもあんな感じでよかったのですが、逆に『アリエッティ』のポスターを見ると、
広い年齢層に違和感を与えない程度のファンタジー表現にとどめているのがわかります。
これは監督の知名度がまだまだということによる、戦略的なビジュアル作りの一例でしょう。
そしてこういう見せ方を工夫することも、時と場合によっては必要な作戦だと思うのです。

せっかくすばらしい内容の作品を作っても、ターゲットの設定を誤れば見てもらえません。
『マイマイ新子』について言うと、確かに表面的に見ればシンプルな児童アニメです。
しかし実際に作品を見て思ったことは、この内容を本当に理解して感動できるのはやっぱり
ある程度の歳を経た大人だろうし、キャラクター商品とタイアップのない児童アニメとして
この作品を捉えた場合、興行的な苦戦はあらかじめ予測できただろうということです。



まず子供に見て欲しいという願いはわかります。でもマーケティングに関して言えば、
それを実現するために必要なのは、ただ子供が来るのを座して待つことではないはず。
ここは広報や製作委員会側が作品の本質を見極めたうえで、アピールする年齢層を
より広げるとか、親から子供への「橋渡し」をしてもらうための工夫が欲しかったな、と。
それこそ、『マイマイ新子』という作品が目指したテーマでもあるわけですし。

ファンの応援によって、結果的にそのような方向には動きつつあるようですが、
作品の魅力を信じた上であらゆる手だてをつくすという意味での「販売戦略」は
むしろ売り手側に必要とされるものだと思います。

いい作品を作るのが監督とアニメスタッフの仕事なら、それをいかにして売っていくかは
販売担当に課せられた責任だと思います。
良い作品を興行的に苦戦させないため、そして良い作品をより多くの人たちに
見てもらうための願いをこめて、あえて苦言を書いてみました。



今後はDVDの発売も予定されてますが、劇場公開時と同じ轍を踏むことなく、
ソフトが順調に売れることを願ってます。
そして願わくば、早期にブルーレイ化の決定が下されますように…。
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日本アニメの新たな金字塔『マイマイ新子と千年の魔法』を見て

2010年04月25日 | マイマイ新子と千年の魔法
4月23日、吉祥寺バウスシアターで『マイマイ新子と千年の魔法』を見てきました。



なんと今回は、片渕須直監督と主演の青木新子役を演じた福田麻由子さんの舞台挨拶つき!
各所で絶賛の声を聞き、見逃してしまったのを後悔していた作品なので、都内での再上映、
しかも舞台挨拶まであるとなれば、これはもう行かないわけにはいきません。

当日は寒くて小雨も降ってましたが、整理券配布前から窓口には順番待ちの長い行列が。
その横で『アリス・イン・ワンダーランド』の入場券を買っていくアベックの怪訝そうな目を
ちょっとこそばゆく感じつつも、無事チケットを購入して劇場内へ。

開演前の舞台挨拶では、まず司会役の広報スタッフ、山本氏が登場しました。
恰幅が良くてヒゲが印象的な山本氏は、各地の『マイマイ新子』イベントで司会を務めた
豊富な経験の持ち主ということですが、妙に場慣れした感じのないところが逆に好印象。
11月からのロングランをファンによる応援の賜物と感謝する口調からは、誠実な人柄が
にじみ出ていました。

そしていよいよ、片渕監督と福田麻由子さんが登壇。
長い髪と透きとおるような白い肌の福田さんは、まるで舞台に咲く一輪の白百合です。
今回の舞台挨拶が高校2年生になっての初仕事ということですが、パンフレットに掲載された
キャスト写真と比べると、ぐっと女性らしさが増した感じ。
そして顔立ちはちょっと厳しそうだけど口ぶりはとても温厚な片渕監督からは、ここまで
興行的に苦戦しながらも、各地のファンによる上映活動が大きな支えとなって上映の輪が
広がったこと、さらにその輪がこれからも広がり続けることへのお礼が述べられました。

そして製作委員会からは、avexの岩瀬プロデューサーが登場。
『マイマイ新子』DVD化の発表と、発売にこぎつけるまでのいきさつを話されました。
最近はDVDを売るのも難しく、興行的に成功しない作品はソフト化も困難ということで、
『マイマイ新子』についても、会社を説得するまでには相当のご苦労があったようです。
(当日のさらに詳しい模様は、Ustreamの録画などで見られます。)

舞台挨拶のあとは、DVD発売を祝してのくす玉割りと報道写真の撮影。
場内の「おめでとう!」の掛け声と共にくす玉が割れ…ず、「おめでとう」の「うー」を
くす玉が割れるまでみんなで叫ぶという一幕も(笑)。

そしていよいよ、映画『マイマイ新子と千年の魔法』の上映が始まりました・・・。

いや~、これは評判以上の傑作じゃないですか!
開始後約5分、新子が青い麦の海に飛び込むシーンで、思わず身震いしてしまいました。
どうやら私も、この映画の魔法にかけられてしまったようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

物語の舞台は昭和30年代の山口県防府市。千年前には地方国家「周防国」の国府として
繁栄を誇ったこの土地も、今は広々とした麦畑に覆われたのどかな地となっている。
主人公の青木新子は小学3年生。教師だった祖父から聞かされた土地の歴史を大切にし、
道や水路の形から千年前の街並みを想像してその中を歩き回ったり、青々とした麦畑を
かつてこの地に広がっていたという海に見立てて泳ぎ回る、活発な少女だ。

そんな時、埋立地にできた工業団地へと引越してきた貴伊子という少女が転校してくる。
土地にもクラスメイトにもなじめない貴伊子に接した新子は、千年前の防府の話を聞かせながら
貴伊子の警戒心と人見知りを少しずつ解いていき、やがて二人はかけがえのない親友となる。



キラキラした輝きを伴って描かれる毎日の小さな遊びや、ちょっとしたエピソードの数々。
それが子供同士、そして子供と大人の間に深いつながりを生み、その積み重ねが防府という
土地に生きる人々の人間模様を、鮮やかに浮かび上がらせていく。
しかしそんな日々の背後には、子供には予想もできない大人たちの事情が隠されていた。
やがていくつかの事件が立て続けに起き、それらは新子たちにも暗い影を落としていく。



かたや千年前の防府。父の転勤によって京から周防へやってきた少女、諾子(なぎこ)は
一緒に遊べる同年代の女の子がいないことを嘆きながらも、持ちまえの想像力と遊び心で
日々の暮らしを楽しく彩っていた。
やがて彼女は下働きの少女の姿に目を留めるのだが、身分の違いが二人を阻む壁に・・・。



新子、貴伊子、そして諾子は、これらの困難にどう立ち向かい、乗り越えていくのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とにかく作品にムダな部分やダレる場面が一切なく、それでいてゆるさと緊張感が絶妙に
配分されていて、飽きるところがありません。まさに「映画とはこうあるべき」という構成。
そしてたっぷりと盛り込まれたエピソードが平凡な日々に劇的な光と影を与え、時代を超えて
交錯する防府の風景と人々の暮らしぶりは、歴史のつながりと普遍的な人間性を見せることで
物語に日常的な親しみやすさや軽快さと、歴史に裏打ちされた重厚さの両面を与えています。

さらに新子と諾子の空想癖が単なる現実逃避ではなく「より強く生きるための力」として
極めて肯定的にとらえられているところが、実にすばらしい。

日々をよりよく生き、厳しい現実の試練に立ち向かうための力となり、さらにその傷から
恢復していくための栄養にもなるのが、作中で語られる数々の「物語」たち。
そしてそれは本によるものだけに限らず、目上の世代の語る話や、土地の持つ歴史からも
培われ、さらに次の世代へと伝えられていくということでしょう。

また「遊び」という普遍的な触媒を介して、人と人が時代を超えて結びつくという発想も巧い。
しかもそれを説教臭くない自然な形で、うまく作品中に組み込んでいます。
千年の隔たりと親子の軋轢を、遊びという視点からさらりと相対化してしまう手腕などは、
片渕監督の卓越したセンスのみがなし得た離れ業だと思います。

そして子供たちの目から描かれる無邪気な物語の中に、ときおり挟まれる大人びた視線。
これが時に笑いを誘い、またある時には子供ならではの真剣さを感じさせます。
さらには本物の大人たちが抱える事情が明かされるとき、子供の事情だけでは完結しない
世界の厳しさ、複雑さが浮き彫りにされ、それに向き合うことの過酷さまでが示されます。
この広がりと多層性が、『マイマイ新子』の物語をさらに深いものにしています。

いわゆる悪場所の存在をきっちり描き、さらにそれもまた人間の営みとして否定しないという
物語の芯にあるたくましさも、本作が到達したレベルの高さを表すものでしょう。
このへんには、『BLACK LAGOON』の世界を見事アニメ化した監督ならではのタフな視線が
感じ取れると思います。
さらに都市社会学的な見方をすれば、新子の暮らす時代と比べて、現在の日常風景全てが
盛り場(悪場所)と化し、異界性を帯びていることにも目を向けたくなります。
(ここから発展させて『電脳コイル』の呪術性とか『デュラララ!!』の都市伝説論等へと
 話を広げられそうな気もしますが、それはまた別のお話ということで。)

全編を通して話される山口弁の響きと間の取り方も、作品の個性とリアリティの両面で
重要な意味を持っています。
言葉とはその土地そのものであり、その土地が伝えてきた大切な財産。本作での山口弁は
その豊かな響きと柔らかさ、異郷性と懐かしさの混ざった感触がなんとも心地よいのです。
作画を作品の肉、物語を骨とすれば、セリフは作品の中を血となって流れている感じ。

特に福田麻由子さんの「自然体にしか聞こえない」芝居のうまさ、そしてセリフ回しにおける
カンのよさは、本作の成功に大きく寄与しています。
貴伊子を演じた水沢奈子さんの、おどおどした標準語から徐々にしっかりとした山口弁へと
言葉づかいを変えていく芝居もよかったですね。

そしてここまで触れませんでしたが、アニメーションとしての完成度の高さも文句なし。
実績十分のマッドハウスを率いる片渕監督は、手練の団員を統率する指揮者のようです。
作画の安定ぶり、微妙な色づかい(新子と貴伊子の頬のグラデの繊細さ!)、美しい背景
(山本二三さんも参加)、そして動きの絶妙な緩急と、アニメとしての見どころも満載!

特に注目したいのは、新子と貴伊子の歩調でしょう。心の動きが歩き方、走り方に現れ、
それが作品の中でリズムを作り出して、観客にも体感的な感覚として伝わってくる感じ。
この肉体的な感覚描写は『時かけ』で真琴の疾走感を描ききったマッドハウスならではの
表現領域ではないかと思います。(ジブリの疾走はこれよりも肉体の重さが希薄な感じ?)

とりあえず、いま思い出せる限りの魅力を書き連ねてみました。
繰り返し見返せば、きっとさらなる発見があるでしょう。
『マイマイ新子と千年の魔法』という作品には、それだけの中身が詰まっています。

とにかく、日本のアニメ史に名前を刻まれる名作であることは間違いありません。
そして、大きなスクリーンで周りの人と感動を共有したくなる作品でもあります。
DVDの発売は朗報ですが、できれば劇場で見て欲しいし、一人で見るのとはまた違った
感動を得られるはず。機会があれば、より多くの人に劇場まで足を運んで欲しいものです。

さて、上映後は片渕監督が再び登場。改めて感謝の気持ちを述べると共に、作品についての
ちょっとした種明かしをしてくれました。
さらに感動したのは、終映後に片淵監督自らが出口で観客を迎え、会話してくれたこと!
自分は初見だったので、見終えたばかりの感動を一生懸命お話しさせていただきました。
こういう経験は初めてだったけど、いい映画を見たあとに作り手と直接お話できる喜びは
ちょっと比較できるものがないくらいの感激でした。

片渕監督、福田さん、山本さん、岩瀬プロデューサー、そしてこの作品の製作に関わった
全ての方々と、私より先に見てずっと応援されてきたファンの皆さんに深く感謝です。
微力ながら、これから私も一緒に『マイマイ新子と千年の魔法』を応援していきます!
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