Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

マイマイ新子のふるさと、防府探訪(3日目)マイマイ探検隊6

2011年10月02日 | マイマイ新子と千年の魔法
前夜の野外上映会と懇親会の興奮も冷めないまま、9月24日の朝がやってまいりました。
そして本日はいよいよ作品の舞台を実際に巡る「マイマイ探検隊6」が開催されます!

参加者は子どもから大人まであわせて約70名。これにスタッフが加わるという大人数になりました。
まずは集合場所のルルサス防府で全体写真を撮ったあと、防府駅の前に移動して探検隊がスタート。

貴伊子が列車から降り立った旧三田尻駅、現在の防府駅前の様子。
ロケハン当時に比べると、建物などもかなり建て替えられているようですが、道の形はそのままです。

駅から右へ進んで、作中で馬がふんをしていたあたりに到着。


そこからもう少し進むと、前夜祭のバーベキューで出てきた「100グラム1,500円」の
豪華牛肉の販売元「肉のたむら」がありました。


再掲になりますが、これがそのお肉。いや~うまかったです。


銀座街アーケード内にある「ほうふ昭和館」。
今回は中に入りませんが、ディスプレイにも興味深いものがありました。

監督の背後に見える三田尻駅の駅名標は、実際に使用されていたものだそうです。

展示物のうち右下に見えるのは、新子たちが入った劇場のモデルになった中央会館の写真。

かつてこの劇場が建っていたのが、本日の探検隊集合場所になったルルサス防府のあたりだとか。

今は亡き天才アニメーターの金田伊功氏が少年時代に通ったという、玉屋模型。

あまりの人だかりに、中から店のご主人が出てきてしまいました。お騒がせして申し訳ないです。

新子たちが通っていた松崎小学校。ちなみにこちらは裏門で、正門はもっと校舎寄りにあります。


松崎小の校舎越しに見えるのが、天神山です。

この小学校には金田氏も実際に通っており、アヒルの飼育当番をしていたとか。

新子の通学路に沿って逆に進む探検隊。


と、そこに何かひらひらと「赤ぇの」が!

どうやら仕込みで投入された金魚らしいですが、なかなか粋な演出です。

ぐいぐい進むと、右手のほうにまたもや作中で見慣れたものがありました!

小太郎じいちゃんが新子に作ってくれた、藤蔓製のハンモック。
右端にちょっとだけ写ってるのが、これを作ってくれた山口県在住のマイマイファン“軍曹”さんです。

ちなみに前々日の夕方に見つけて紹介したのが、このハンモックでした。


近くで見るとこんな感じ。藤蔓をきちんと編んであるのがわかります。

大人ひとりまでなら載れるようですが、落ちると危ないのでよい子は載らないこと。

「じゃんけんもってすっちゃんほい」の佐波神社前の石段。

実際にここでじゃんけんをやってみた参加者もいましたが、ふだん言い慣れない
「すっちゃんほい」のタイミングを合わせるのが、なかなか難しかったようです。

そして今回の山場のひとつ、三角池のモデルとなった場所へ!

藪をかきわけて奥へ進むと、本当に三角形の池がありました!
私有地のため普段は入れないとのことで、今回は特別に許可を得たそうです。

設定上はここを左に進むと防空壕があることになってますが、実際は行き止まり。
さらにその上には、光子が入り込んでしまったゴルフコースがあるとか。

三角池を眺める片渕監督、そして背中にはアリーテ姫人形。

そういえば『アリーテ姫』で最後にもたらされた魔法も、乾いた土地を潤す豊かな水でした。
ここの池も現役の溜池として、今も下の農地へ水を供給しているそうです。

国衙の東北隅にあたる場所。監督が座っているのは、掘立柱跡の位置がわかるように据えられた円柱です。

片渕監督はこの円柱を見て、諾子の屋敷跡から伸びてくる柱のイメージを得たそうです。

地名の由来にもなった、たたら場の鍛治工房跡。

ここのたたら場では主に貨幣を鋳造していたのではないか、と思われます。
余談ですが、諾子の父である清原元輔も、周防国守と貨幣鋳造を司る「鋳銭司」を兼務する立場として
防府に赴任してきています。

直角に曲がってないけど、直角の川のモデルとなった場所。

作中では直角にしたいと思って、えいやっと曲げてしまったとか・・・げふんげふん。

新子が東介に「祠のお大姉様が化けて出たかと思った」と言ったのが、この祠のはず。


一晩ぶりに、史跡公園に戻ってきたよ!


昨日の野外上映会の名残りの足場。

背後には映画と同じ姿で、今日も多々良山がそびえています。

石碑の右にあるのは、日露戦争当時の砲弾だそうです。


石碑の裏に回ってみると・・・あっ、小さな新子ちゃんがお葬式してる!

千年の魔法でひづるが家より大きくなる前に、逆に新子がちっちゃくなっちゃったようです。

史跡公園から松崎小学校の方向へ少し戻ると、新子たちがポン菓子(ドカン)を食べていた祠があります。

祠の向こう側には、猿田彦を祭る庚申塚がありました。
古来より四辻は異界であり不吉な場所とされてきたので(多分事故とかが多かったからでしょう)、
このような場所には日本各地で庚申塚や道祖神が祀られています。(ちょっとしたウンチク)

ほらここ、今も国衙のバス停よ!


新子たちがそばを走った水門のモデルになった場所。


お昼休憩は原作小説で新子たちが食べたものを再現した、マイマイ弁当です。

鯨カツに、ささげ豆のご飯~♪

こちらが諾子の屋敷跡。ロケハン当時にはちょうど発掘作業の真っ最中で、これが諾子の登場するきっかけと
なったそうですが、当時はまだ遺構の図面もなく、設定考証のためアニメスタッフが自ら作ったとか。

現在は調査も終了し、現状保存のため埋め戻されて水田となっています。

さて、ここから先は千年前の勝間の浦。勝間神社へと向かうため、麦ならぬ雑草の海へ飛び込みます!


片渕監督を先頭に、道なき道を突き進む探検隊。

どこかから嘉門達夫の声で「ゆけーゆけー片渕須直 どんとゆけー♪」という歌声が聞こえてくる気がします。


・・・探検隊というより、圧政から逃げてきた難民みたいにも見えますが(^^;

勝間神社に到着。といってもお社とかはありません。

手前に新子と貴伊子が座って「ざっぷ~ん、ざっぷ~ん」してた、石のベンチがあります。

さらに進んで、山陽本線から工場へ続いていたかつての引込線跡を歩いていきます。


その先には、貴伊子の住んでいた「埋立地」がありました。


監督の背後、ちょうど自転車横断路のあたりが、貴伊子と新子の立っていた踏切の場所。

今回は特別に許可を得て、敷地内へと入ります。

フェンスの向こう側が、実際に工場内の市場があった場所。

ちなみに煙突を赤白に塗るのは、東京タワーができた後に航空法で定められてからの話。
この工場の煙突も戦争中は迷彩色に塗られており、戦後はそのままオーストラリア軍に接収されたそうです。
昭和30年は迷彩の後で赤白になる前の時期にあたるので、映画の中では灰色に塗っているとのことでした。

貴伊子宅へ向かう通りのモデルとなった道。


映画に出てくるモニュメントも、そのまま残ってます。


ブランコの向こう、樹に隠れて見えないあたりが「クマ」の出てきた家です。


残念ながら貴伊子宅のモデルになった家は既に取り壊されて、何もなくなってました。


探検隊の終点は元ロックシティ、今はイオンタウン防府。

このイオンタウンのある地名も、かつてここにあった会社にちなんで「鐘紡町」といいます。

というわけで、今回の探検隊は終了となりました。片渕監督の表情も和やかです。

横から出ているスチールは、このイオンタウンの向かいに見える江泊山。

この探検隊に参加して感じたのは、「映画の舞台を回る」という楽しさ以上に「ロケハンの現場を訪ねることで
『マイマイ新子と千年の魔法』という物語が生まれる過程を追体験できた」ことの、大きな喜び。
その現場が取材当時とはどれだけ違っていても、そこが今も間違いなく存在していると確かめることによって
再び新子や貴伊子たちがその場にいる気がする、いや、今も実際にそこにいるのだと感じることができました。
・・・思えば前夜の野外上映会から今日の探検隊の終わりに至るまでの、平安時代から現在までの時間と空間を
諾子や新子たちと共にずっと歩いてきたような気もします。

また、片渕監督自らが作品の舞台となった場所の説明をしてくれるのは、何より得がたい経験でした。
監督がこの地を訪ねることによって得られた作品のイメージ、つまり『マイマイ新子と千年の魔法』の
原風景とでもいうべきものを、現地の風景と片渕監督ご自身の説明によって垣間見ることができたのは、
この探検隊で得られた最も大きい収穫だったと思います。

ハンモックを作ってくれた“軍曹”さんが用意してくれた、探検隊ワッペン。

軍曹には何から何までお世話になりっぱなしでした。改めて、敬礼!

そして今回の完歩証は、ひづるちゃんデザインの手ぬぐいという凝ったものでした。

単なる記念品ではなく実用的なアイテムなのですが、片渕監督からサインもいただいたので、
使っちゃうのは「ちょっともったいないね」という気分。大事にしまっておくつもりです。
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