DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その31

2012-12-07 11:44:29 | 物語

因縁を超えて

「戦後、私は極東国際軍事裁判所で働いていました。」

と、晃は語った。

「そのころ、オランダ検事より提出された数百のAffidavits(宣誓供述書)を、オランダ語から英語や日本語に翻訳をしていました。ですから、当時の新聞にも掲載されなかった事柄を嫌というほど知っていました。それは、オランダ領インドネシアで日本軍が犯した数多くの戦争犯罪に関する報告でした。」

戦後、最初にオランダ全権大使になったのは、岡本季正だった。1952年(昭和27年)のことである。当時、彼の赴任を祝ってオランダ女王主催の晩さん会が催された。後日、その時の様子を岡本から聞いた晃は、こう尋ねた。

「新任のあいさつの冒頭に、日本軍が戦争中に犯した捕虜虐待や収容所における一般婦女子への性的暴行に関して、同胞に代わってお詫びしていただいたのでしょうか。」

岡本大使は、赤面して答えた。

「いや、お恥ずかしい限りです。実は、そのあとに、オランダの元外務大臣だったベースト・ファン・ブロックランド氏に別室で話しかけられましてね。『君のスピーチは非常によかったが、一つ重大なことを忘れていたのはとても残念だった。しかし、今からでも遅くないから、機を見て戦争犯罪への謝罪をしてほしい。』と、言われてしまいました。もし、赴任前にあなたのような助言をしてくれる人があったのなら、こんなに恥ずかしい思いをしなくてもよかったのに、残念です。」

オランダの判事は、極東国際軍事裁判において、終始、日本に対して好意的な判決を示してきていた。それは、晃のような戦前から戦時中にかけて、インドネシアやオランダ国のために誠意をもって接してきた、日本人の正義があったからだと思われる。

現在、戦争犯罪に対する賠償等が話題になることが多い。これらの多くは、過大に申告されたり、意図的に捻じ曲げられたりしたものも少なくない。しかし、事実として、戦争犯罪は存在したのであり、そのことには率直に詫びるべきである。ただ、戦争というものは、人間に極限状態をもたらすものであり、そのような犯罪行為は、日本軍だけでなく、双方に起こっているものである。これらを因縁として認めて学習することで、かつての『敵』に対して感謝する気持ちが生まれる、と晃はしみじみと語った。

つづく


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