浅田次郎の一刀斎夢録を読了した。
新撰組三番隊長斉藤一の回顧録だ。
居合いの達人であった斉藤は、人きりとして幕末を生きた。
坂本竜馬も彼が刺殺したこととしている。
明治・大正と生き残った斉藤一が梶原稔(みのり)という近衛師団中尉との出会いを通じて、自己の生き様を語りかけている。
長編だが、筋はシンプルだ。
浅田が言わんとすることは、次の数行に凝縮されている。
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やさしげな言葉はいくらもかけられたが、やさしい心を持つ人はほかに知らなかった。
それは救われざる命を救わんとする人の情ではなく、まして己が身を捨てて人を救わんとする仏の慈悲でもなく、救われざる命ならば己が手で奪うと決めた、鬼のやさしさであった。
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今、日本のなかで欠けているもしくは忘れてしまった、無慈悲の慈悲というものだろうか。
与えられることを権利と思い
自己の主張を正義と思うことが
いつの時代でも真理だとは限らない。
それは戦うことを糧とし
人を殺めることを日常とした
鬼としての生き様を知らないからだ。
浅田は、斉藤の言葉をして語らせる。
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もはや技でもなく、心でもない。
勝つると負くるの正体を知るものこそが、天下第一等の剣士なのだ。
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勝ち負けの正体とは何か。
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面籠手は無きものと思え。
竹刀を真剣と信じよ。
さすればいつか、勝つると負くるの正体が、おのずと見えてこよう。
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そこには、言い訳が効かない世界がある。
それは誰彼のせいではなく、ぎりぎりの世界に自分を追い込むことによって到達する境地だろう。
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