DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その45

2012-12-21 17:56:29 | 物語

ヨハネの黙示録

「黙示録21をご存知ですか。」

ロッテルダムから英国へ向かう汽船の中で見かけた紳士に、晃は話しかけた。第一次世界大戦前のことである。当時、オランダの3か所から英国行きの船が出ていた。ビジネスの関係で、晃は週に一度は、この船を利用してドーバー海峡を往復していた。

夜8時にロッテルダムを出港する船に乗ると、早朝に英国の港へ着き、汽車に乗り換えると朝9時前にロンドンに着く。ビジネスには、なかなか効率の良い移動だった。

一般に、英国紳士は東洋人に対して無口であり、幾分傲慢でもある。時には優越感を漂わせたりすることもある。癪に障るので、晃は、聖書の話を選んで質問することにしている。キリスト教的素養のある西洋人は、聖書の解釈にはうるさい。それの逆手をとって遣り込めるのである。

「もちろん。」と男は言った。

「21の1~4の聖句をどのように解釈しますか。」と晃は応じた。

これはいじわるな質問である。黙示録というのは、新約聖書の最後にある書で、唯一、予言的な内容が書かれている。文章は、恐ろしく難解というか、意味不明である。

1         また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

2         私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

3         そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

4         彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

「私は、これまでにこの章句の意味について、多くの教会牧師や宗教学者に尋ねてきました。しかし、明確な解答を得ることができませんでした。お見かけしたところ、あなたは東洋人のようだが、どのように解釈されるのでしょうか。」

と、件の英国紳士は問いを投げ返してきました。おもむろに、晃は自説を展開した。

「時間とか空間というのは、哲学的に言うならば、現象的な存在でしかありません。それは、悟りを開いた人にとって見れば、子供の遊具のようなものです。神が創造したものでない悲しみは、自らが作り出したものです。しかし、悲しんだ後でなければ、真の幸せを味わうことはできません。それが現実の世界です。結局、心が神になれば、人間こそが神になるのです。つまり、海と表現された空間を楽しみ、今日という時間を活かして生きる人には、すべての物事が成就し悟りの境地が開ける。すなわち神性復活を象徴表現したものです。」

その英国紳士は、大いに共感し、以降、晃の親しい友人となったということだった。本当に理解したかと言えば、怪しい話である。しかし、キリスト教徒でもない東洋人が、白人である英国男性に、滔々と黙示録の講釈を垂れたということに感激したのだろう。なぜなら、宗教の解釈には、深い素養が必要だからである。

負けるな、東洋人。

つづく


12月20日(木)のつぶやき

2012-12-21 04:46:28 | 物語