DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その40

2012-12-16 12:06:51 | 物語

インドへ

1973年、晃はインドを訪れた。

「戦後、日本は物質を求めて成長してきたけれども、精神的には小国になってしまった気がします。これからは開発途上国に顔を向けた交易を進めるべきだと決断して、インド・ネパール・ブータンを訪問することにしました。その時の話をしましょう。」

晃とキクは、4月2日朝、エアー・インディアで羽田からインドのカルカッタへ飛び立った。最初に訪問したのは、紅茶とヨガで有名なダージリンだった。現在の人口は10万人ほどだが、当時は6万人ほどで、こじんまりとした町だった。全人口の内、50%がインド人で、あとの25%がそれぞれネパール人とブータン人だった。カルカッタから670kmはなれたこの町へは、飛行機で約1時間30分かけてバクトグラまで行き、そこから車で3時間、汽車で7時間ほどかかる。

「ダージリンティーで有名なこの地は、イギリスの植民地時代から避暑地として栄え、日本から移植された杉の木が多く茂っています。中国のチベット侵攻を逃れてきたチベット人のガイドが、あちこちを案内してくれました。彼は、『日本の東京市長だった尾崎行雄さんが、ワシントンのポトマック河畔に桜の苗木を植えたように、日本の杉の苗木をダージリンに植えたイギリス人は良いことをしたものだ。』と言っていました。」

標高2134mのこの高級避暑地には、インドの上流社会の人たちの別荘が点在し、とても美しい景観を保っている。特に、世界第三の高峰、カンチェンジュンガ山群の遠景は、見るものの魂を揺さぶる。

「この地はね、かつての国粋学者、杉田重剛が絶賛した中村天風が二年半のヨガ修行行った場所で有名でもあるのです。それだけ、自然や大気がもつ気が雄大で、人間が悟りを開くのに向いた場所なのだと思います。この世の中で多くの人が悩み、病む中で、人間が生きるための何かを見つけ出そうと懸命に努力をすることに、私は共感しました。」

つづく


12月15日(土)のつぶやき

2012-12-16 05:23:32 | 物語