23日は処暑、24節気のひとつで暑さが和らぐ頃とされる。
この日朝の県内は局地的に降った雨も上がり蒸し暑さながら
吹く風に涼しさも感じられた。
そこで西蔵王高原にある野草園に秋の七草を探しに行って見た。

ススキ(いね科)
山野に生える多年草で花穂をオバナといいます
すくすく立つ木ということからススキと呼ばれています

ヤマハギ(まめ科)
山野の草地に生える落葉低木です花は紅紫色でまれに
白色もあります。和名萩は、秋に咲く草という意味です

クズ(まめ科)
山野に生えるつる性の多年草です
根は大きく多量のでんぷんを含んでおりくず粉が取れます

カワラナデシコ(なでしこ科)
山野に生える多年草です花は淡紅色でまれに白色のもあります
和名撫子は可憐な花の様子から来ています

オミナエシ(おみなえし科)
日当たりの良い山野に生える多年草です
脇に新しい苗が分かれて繁殖します
和名女郎花はオトコエシに対し優しい女性にたとえています

フジバカマ(きく科)
同じ仲間のヒヨドリバナは沢山ありますが
このフジバカマは関東以西に生える植物なので
県内の野生ではほとんど見られません
和名は藤袴です乾燥すると香気(クマリン)がある
唐時代には身に着けたり入浴に用いた

キキョウ(ききょう科)
日当たりの良い山野の草地に生え、花は大形で青紫です
茎を傷つけると白い液が出ます 根は薬用
「秋の野に咲きたる花をおよび折り、かき数ふれば七草の花
萩が花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝顔の花」
山上憶良が詠んだ七草の歌は大変有名です
尾花はススキ、葛花はクズ、朝顔はキキョウのことです
野草園の七草は少々人工的で風情があるとはいいがたいですが
春の七草は舌で楽しみ、秋の七草は目で楽しむものとか聞いています
花を見る楽しみは充分に味わって来ました
一足早く高原からの涼風をお届けします
(野草園の資料を参考にさせてもらい書き込みました)
歌懸稲荷神社御祭礼
山形城跡三の丸の東南方の十日町口に
南接する神社です。境内の西側に残る土塁には
昔を偲ばせる樹木が繁茂しています
(屋根の後方)
神社は山形城主斯波兼頼建立と伝えられる

『名前の由来」城主や城下の人々が短冊に歌を書いて神社に
奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も
付近にあったところから歌懸の名が起こったと伝えられている
元和八年 最上家が改易されて新城主となった鳥居忠正は人身
一新を図り、部内稲荷口(現山形駅付近)にあったこの社を
三の丸の外の現在地に移つした。それ以後十日ごとに定期市が
門前で開かれ、十日町の名の起こりとなり、
その年の最初の十日市(一月十日)を初市と呼ぶなど
城下町の人々と深く結びつき信仰を集めた
神輿がねり歩く

汗! 汗! 汗!

子供神輿も渡る

山形城跡三の丸の東南方の十日町口に
南接する神社です。境内の西側に残る土塁には
昔を偲ばせる樹木が繁茂しています
(屋根の後方)
神社は山形城主斯波兼頼建立と伝えられる


奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も
付近にあったところから歌懸の名が起こったと伝えられている
元和八年 最上家が改易されて新城主となった鳥居忠正は人身
一新を図り、部内稲荷口(現山形駅付近)にあったこの社を
三の丸の外の現在地に移つした。それ以後十日ごとに定期市が
門前で開かれ、十日町の名の起こりとなり、
その年の最初の十日市(一月十日)を初市と呼ぶなど
城下町の人々と深く結びつき信仰を集めた
神輿がねり歩く



汗! 汗! 汗!


子供神輿も渡る


茶の湯釜に代表される伝統工芸からブロンズ、彫刻、花瓶まで、
多彩な山形鋳物を紹介する為毎年開催しています。
山形鋳物の茶の湯釜は全国的に広く知られており茶人に愛用されている
数年前まで毎年日本橋高島屋で開催されていた展示会は
大変な賑わいだったと聞いています
このたびの展示品もあられ模様や、波、植物模様、寂びた釜肌、
蓋のつまみなどに職人の熟練の技が生かされています。




伝統工芸山形鋳物は、平安時代の康平年間に安部貞任の乱平定の為
山形地方に来た源頼義の鋳物師たちが、山形市内を流れる
馬見ケ崎川の砂と現在の千歳公園付近の土質が鋳物に最適であることを発見、
この人達により山形鋳物の始まりとなった
慶長年間山形城主最上義光は城下の再編成を行い鋳物師17人を鍛治町から
隣の町に移し銅町と命名、火を扱う町だけを並べる町作りをし鋳物産地
としての基礎がつくられた。以後400年この町も昭和48年郊外に集団移転
「鋳物町」と命名 工芸鋳物、機械鋳物を生産しています

日本さくらの会認定桜専門委員金田聖夫さんのお宅を再び訪問しました
9日には蕾だった太田桜の開花を新聞記事で見たからです
以下新聞記事からの受け売りです。 金田さんによると
「本覺寺のおおたザクラ」(岐阜県指定天然記念物)の二世木です
1996年(昭和44年)に発見され、発見者太田洋愛さんの名前から
その名がついた。所有者が長く接木を認めなかったことから
門外不出の桜とも言われ、県内では金田さん宅のもの(2本)を含めて
十本足らずしか現存しないと言う
西山の残雪に映え大輪の花を咲かせていました
![]() | 花を咲かせてから3年目 という木は幹も若い 感じでした |
![]() | 多くの花の中でも 芯の赤いものは そこから花びらが増えて 90~180枚にもなり 丸く見える |
![]() | 鬱金桜も満開で 9日撮った白色から 芯がピンクに変っていました |
![]() | 通常の桜より 開花の遅い桜たちは 初夏のそよ風に 揺れていました |
『たぐいなき思ひいではの桜かな
うすくれないの花のにほひは』
またの年の三月に出羽の国に越えて瀧の山と申す山寺に侍りけるに桜の常よりも
薄紅の色濃き花にて並みたてりけるを寺の人々も興じければ・・・「西行山家集より」

蔵王連山の西方竜山(1364m)の西側に五月の連休頃から咲き始める桜
大山桜が見ごろになりました
西行法師の歌にも読まれた美しい桜です.山形市内から車で20分
一帯は放牧場になっていますが桜の季節は開放されています
うすくれないの花のにほひは』
薄紅の色濃き花にて並みたてりけるを寺の人々も興じければ・・・「西行山家集より」

蔵王連山の西方竜山(1364m)の西側に五月の連休頃から咲き始める桜
大山桜が見ごろになりました
西行法師の歌にも読まれた美しい桜です.山形市内から車で20分
一帯は放牧場になっていますが桜の季節は開放されています
![]() | 背後の竜山の残雪との コンビネーションが美しい |
![]() | マクロで撮る 空も桜の色も濃い |
![]() | 手前の木はイタヤカエデ 芽は黄緑色? |
![]() | 栃の木 花と葉の芽だしの不思議な 形 大きな木ですが 崖の上から撮れました |
河北町のひな祭りは、月遅れの4月2日・3日の両日に行われ
大勢の人でにぎわった。ひな市通の秋葉神社では境内のひな塚のまえで、
形代や古い雛や人形にひな料理を供え健康と幸福を願うひな供養が行なわれた
![]() | ひな通りにある 秋葉神社 |
![]() | 境内のひな塚の前に 集められた人形に のりとが奉じられた |
真新しい人形も数多くあり、なんて勿体無いと思ったのは私一人では
なかったようだ。しかし1体1体にそれぞれの物語があり事情があり
供養を選んだのかもしれないし!
![]() | 一般の人も榊を奉納 火がつけられました |
![]() | 火が燃え盛る間 神主さんの祝詞が続きます |
ひな供養の儀式は奉納された人形が全部焼かれるまで続きます
下記はひな塚に供えられたひな料理の写真です
![]() | 写真上から ①ところ(胃に良い根菜) ②生ニシン ③タニシ(田圃に住む貝) ④そば ⑤アサツキと慈姑 ⑥ひな餅 |