歌懸稲荷神社御祭礼
山形城跡三の丸の東南方の十日町口に
南接する神社です。境内の西側に残る土塁には
昔を偲ばせる樹木が繁茂しています
(屋根の後方)
神社は山形城主斯波兼頼建立と伝えられる
『名前の由来」城主や城下の人々が短冊に歌を書いて神社に
奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も
付近にあったところから歌懸の名が起こったと伝えられている
元和八年 最上家が改易されて新城主となった鳥居忠正は人身
一新を図り、部内稲荷口(現山形駅付近)にあったこの社を
三の丸の外の現在地に移つした。それ以後十日ごとに定期市が
門前で開かれ、十日町の名の起こりとなり、
その年の最初の十日市(一月十日)を初市と呼ぶなど
城下町の人々と深く結びつき信仰を集めた
神輿がねり歩く
汗! 汗! 汗!
子供神輿も渡る
山形城跡三の丸の東南方の十日町口に
南接する神社です。境内の西側に残る土塁には
昔を偲ばせる樹木が繁茂しています
(屋根の後方)
神社は山形城主斯波兼頼建立と伝えられる
奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も
付近にあったところから歌懸の名が起こったと伝えられている
元和八年 最上家が改易されて新城主となった鳥居忠正は人身
一新を図り、部内稲荷口(現山形駅付近)にあったこの社を
三の丸の外の現在地に移つした。それ以後十日ごとに定期市が
門前で開かれ、十日町の名の起こりとなり、
その年の最初の十日市(一月十日)を初市と呼ぶなど
城下町の人々と深く結びつき信仰を集めた
神輿がねり歩く
汗! 汗! 汗!
子供神輿も渡る
読み 人の世の出逢いの中に 心して 生きゆく姿今夕に知る
紫野 太玄老師筆
主客とも今日の出逢いと生きていることの有難さと一期一会の
思いを新たにしてこそ道に近づく