春和会茶会
18日上山市春雨庵「聽雨亭」に於いてN先生の担当で茶会が開かれました
春雨庵 京都大徳寺の僧、沢庵禅師が紫衣事件で上山に配流されたとき、
上山城主土岐頼行が仮住まいとして寄進したのが春雨庵です。
沢庵はここで3年を過ごした後、許されて江戸に戻り、東海寺を開山しました。
現在の建物は昭和28年に東海寺から一部を譲り受け再建したものです
4月~11月まで流派を超えて月釜が開かれ多くの來庵者で賑わいます
寄り付きで白湯を戴き腰掛から中くぐりを通り蹲で手を清め茶室聽雨亭にと
進みます。
寄り付きの床 「茨のみの朱き草薮冬枯れて少年の日のそこにあるごとし」
結城哀草果(ゆうき・あいそうか)筆 明治26年(1893)年山形市生まれ、
昭和49(1974)年没。歌人。随筆家。同郷の斎藤茂吉に師事。
写実的な作風によって、自然を詠んだだけでなく、農民の過酷(かこく)
な現実を歌にしたことで知られる。農村歌人として著名
四畳半席
床掛物 開門多落葉 表千家而妙斉家元筆
花入 染付高砂 永楽造 即中斉箱
花 ミズキ 錦木てり葉 白玉椿
香合 菊文 13代柿右衛門 吹き寄模様袱紗シキテ
釜 小阿弥陀堂 喜平造 炉縁 沢栗 宏介作り
棚 三友棚
水指 龍田川 真葛香斉
茶器 松喰い鶴 一瓢斉
茶杓 紅葉狩り 宗也共筒
茶碗 黒樂銘「瑞雲」道年作 而妙斉箱
替 独楽の絵 即中斉筆 永楽造
菓子器 一閑八角喰篭 宗完箱
菓子 ゆずきんとん 佐藤屋製
茶 珠の白 柳桜園詰
二畳中板逆勝手席(この席は県内唯一です)
床 和敬 松斉筆
花入 伊賀焼 光男造 花 西王母 寒菊
香合 青瓷 コーチン窯
釜 船形 春雨庵常什
水指 南蛮縄簾
茶器 一閑張黒大棗 吸江斉箱
茶杓 「埋火」 大亀老師銘
茶碗 柿の蔕 高麗 超誠主作り
替 染付 中国
建水 伊部焼
蓋置 竹 光悦寺竹 恵光書付
干菓子器 四方深青漆爪黄
菓子 干菓子 亀屋伊織製
茶 青海白 北川半兵衛詰
生憎雨の日となりましたが大勢の來庵者で終日賑わったとお聞きしました
春和会の春雨庵での茶会は本年度この日が最後の茶会でした。
「埋火」で来年のお茶会に引き継いでいきたいと、ご亭主の心とお聞きしました
春雨庵本堂 17年9月茶会
18日上山市春雨庵「聽雨亭」に於いてN先生の担当で茶会が開かれました
春雨庵 京都大徳寺の僧、沢庵禅師が紫衣事件で上山に配流されたとき、
上山城主土岐頼行が仮住まいとして寄進したのが春雨庵です。
沢庵はここで3年を過ごした後、許されて江戸に戻り、東海寺を開山しました。
現在の建物は昭和28年に東海寺から一部を譲り受け再建したものです
4月~11月まで流派を超えて月釜が開かれ多くの來庵者で賑わいます
寄り付きで白湯を戴き腰掛から中くぐりを通り蹲で手を清め茶室聽雨亭にと
進みます。
寄り付きの床 「茨のみの朱き草薮冬枯れて少年の日のそこにあるごとし」
結城哀草果(ゆうき・あいそうか)筆 明治26年(1893)年山形市生まれ、
昭和49(1974)年没。歌人。随筆家。同郷の斎藤茂吉に師事。
写実的な作風によって、自然を詠んだだけでなく、農民の過酷(かこく)
な現実を歌にしたことで知られる。農村歌人として著名
四畳半席
床掛物 開門多落葉 表千家而妙斉家元筆
花入 染付高砂 永楽造 即中斉箱
花 ミズキ 錦木てり葉 白玉椿
香合 菊文 13代柿右衛門 吹き寄模様袱紗シキテ
釜 小阿弥陀堂 喜平造 炉縁 沢栗 宏介作り
棚 三友棚
水指 龍田川 真葛香斉
茶器 松喰い鶴 一瓢斉
茶杓 紅葉狩り 宗也共筒
茶碗 黒樂銘「瑞雲」道年作 而妙斉箱
替 独楽の絵 即中斉筆 永楽造
菓子器 一閑八角喰篭 宗完箱
菓子 ゆずきんとん 佐藤屋製
茶 珠の白 柳桜園詰
二畳中板逆勝手席(この席は県内唯一です)
床 和敬 松斉筆
花入 伊賀焼 光男造 花 西王母 寒菊
香合 青瓷 コーチン窯
釜 船形 春雨庵常什
水指 南蛮縄簾
茶器 一閑張黒大棗 吸江斉箱
茶杓 「埋火」 大亀老師銘
茶碗 柿の蔕 高麗 超誠主作り
替 染付 中国
建水 伊部焼
蓋置 竹 光悦寺竹 恵光書付
干菓子器 四方深青漆爪黄
菓子 干菓子 亀屋伊織製
茶 青海白 北川半兵衛詰
生憎雨の日となりましたが大勢の來庵者で終日賑わったとお聞きしました
春和会の春雨庵での茶会は本年度この日が最後の茶会でした。
「埋火」で来年のお茶会に引き継いでいきたいと、ご亭主の心とお聞きしました
春雨庵本堂 17年9月茶会