ガラパゴス通信リターンズ

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芸人・学生・知事

2007-02-02 07:58:15 | Weblog
 東国原英夫という名前を聞くことが多い。そのまんま東の本名である。なんだ、「そのまんま」じゃないじゃん。過去の行状に色々な問題のある人であることは事実だろう。しかし、発奮して勉強をしなおし、ワセダに入りなおしてからの彼の真摯に学ぶ姿勢には人を打つものがあった。大学というのは、学びたいという意欲をもった人が、そう思い立った時に通うべき場所であると強く思う。その意味では亡くなったMさん(1月25日分参照)も、東国原氏も理想の学生像であるといえる。

 ところで東国原知事はやっていけるのだろうか。彼は真摯な政治学徒かもしれないが、政治や行政の経験はまったくない。ブレーンについているのも、せいぜいワセダでよくできる程度の人たちのようだ。県庁内部にも足場はないし、楽観的な材料は何一つない。そこにもってきて、鳥インフルエンザの追い討ちまで!

 では東国原氏を知事に選んだ宮崎県民の判断は間違っていたのだろうか。そうではないとぼくは思う。前知事の逮捕によって県政の腐敗と根深い談合体質が露見した。官僚OB候補では何も変わらない。県民がそう考えるのは当然のことである。東国原氏の立候補は最初奇異の目でみられていた。しかし選挙戦が後半になると選挙民の彼を見る目は変わっていったという。宮崎県民は東国原氏の姿勢が真摯なものであることを認め、彼に賭けてみようという気になったのではないか。

 マックス・ウエーバーもいうように政治とは結果責任の世界である。真摯さだけでどうにかなるものではない。しかし、ぼくが宮崎に住んでいても東国原氏に一票を投じたと思う。知事になるべき人は今回彼しかいなかった。それならば、彼を選んだ宮崎の人たちは、彼を支え、いまは政治のアマチュアでしかない彼を立派な政治家に育てあげていくべきではないのか。その過程で宮崎の人たちも大きく政治的に成熟していくに違いない。それが民主主義というものだと、ぼくは思う。