25年前の11月の末のことである。ぼくは修士論文を書いていた。生まれてはじめて書く「学術論文」だ。テーマは「G.H.ミードの社会的自我論」。ミードの英語は難解の極みだ。ぼくのあやふやな語学力でたちうちのできる代物ではない。適当なことを書き散らかしていって、枚数は300枚近くにはなった。しかし問題は内容である。何が言いたいのか。自分が読んでもさっぱり分からない。締め切りは近づいてくる。次第に焦りが募ってきた。
執筆に打ち込まなければならない時期である。しかし日曜日には、N高時代の友人で東京でサラリーマンをやっているS君がやってきた。卓球をやろうという。たまには運動も必要だと自分に言い訳をして、近くの卓球場で2時間ほど遊んだ。S君は、さらにマージャンをやろうともちかけてきた。大親友氏と後に新聞記者になるW大の後輩が近くに住んでいた。簡単に面子は集まった。ぼくは遊びの誘惑に弱い。ふらふらと雀荘についていった。
ぼくと大親友氏は恐ろしくマージャンが弱い。勝負は最初からみえていた。ぼくは「トイツ観念論者」を自認していた。トイツが3つ揃うと闇雲に4暗刻を狙うのだ。勝てる訳がない。最終局、大逆転を狙ってリーチをかけた。「ローン!」S君が高らかに叫んだ。「タンピンリャンペイコードラ3!」。なんと倍満だ。この日のマージャンも、ぼくと大親友氏の惨敗に終わった。実力通りの結果である。時間を空費したことをぼくはひたすら後悔した。
マージャンの後、焼肉を食べようということになった。ぼくは社会人だから、おごってやるとS君はいう。何をえらそうに。われわれから巻き上げた金ではないか。「虎路亭(とらじてい)」という焼肉やに入った。テレビは、大学受験浪人の一柳展也という若者が、金属バットで自分の両親を撲殺したニュースを伝えていた。名高い「金属バット殺人事件」だ。店にいたアメリカ人が大きな声で叫んだ。“Oh,Tragedy!”そうトラジティ。これぞ悲劇である。
執筆に打ち込まなければならない時期である。しかし日曜日には、N高時代の友人で東京でサラリーマンをやっているS君がやってきた。卓球をやろうという。たまには運動も必要だと自分に言い訳をして、近くの卓球場で2時間ほど遊んだ。S君は、さらにマージャンをやろうともちかけてきた。大親友氏と後に新聞記者になるW大の後輩が近くに住んでいた。簡単に面子は集まった。ぼくは遊びの誘惑に弱い。ふらふらと雀荘についていった。
ぼくと大親友氏は恐ろしくマージャンが弱い。勝負は最初からみえていた。ぼくは「トイツ観念論者」を自認していた。トイツが3つ揃うと闇雲に4暗刻を狙うのだ。勝てる訳がない。最終局、大逆転を狙ってリーチをかけた。「ローン!」S君が高らかに叫んだ。「タンピンリャンペイコードラ3!」。なんと倍満だ。この日のマージャンも、ぼくと大親友氏の惨敗に終わった。実力通りの結果である。時間を空費したことをぼくはひたすら後悔した。
マージャンの後、焼肉を食べようということになった。ぼくは社会人だから、おごってやるとS君はいう。何をえらそうに。われわれから巻き上げた金ではないか。「虎路亭(とらじてい)」という焼肉やに入った。テレビは、大学受験浪人の一柳展也という若者が、金属バットで自分の両親を撲殺したニュースを伝えていた。名高い「金属バット殺人事件」だ。店にいたアメリカ人が大きな声で叫んだ。“Oh,Tragedy!”そうトラジティ。これぞ悲劇である。
KJ法は川喜多さんが主催していた移動大学で能登まで行ったりもしました。川喜多さんは立派な人だと思いましたが、後年KJ法の家元制度みたいなのをはじめたのにはびつくりしました。京都の学者さんにはわけのわからない権威主義があります。