バイクボランティア Bi-Vo

大規模災害時にバイクとIT機器を用いて活動する団体です。

10-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

2004-11-26 17:20:00 | 活動報告
10、帰路
 帰りは、高速代が要りそうなので、R117通り十日町市を抜け長野へ出るルートを選んだ。R117はかなり迂回路を通るがスムーズに走れる。丁度、紅葉真っ盛りで川沿いの景色が絶景かな!絶景かな!である。それにしてもR117はサンピアばっかり有る?もったいない!。千曲川迄来ると地震の影響はまったく無くトイレで水道水が使える。ホントにありがたく感じる。

 豊田飯山ICから自動車道に乗り、原付状態でひたすら走る。高速は辛いので飯田ICで降りてR153を走る事にする。

 飯田ICで新潟にボランティアに行った帰りだと、IDカードを見せて言うと分かりました。この用紙に記入しますからどうぞと通してもらえた。用紙には色々、申請方法がある様で、今回の場合は、本人申し出に該当するようだ。書類も料金所の人に書いて貰い。ご苦労さん!と送り出してもらった。

 この頃から、またポツリポツリと来た。すぐに本降りのシャワーとなって俺の帰りを歓迎してるようだった。行きの寒いのよりかはまだシャワーの方が気持ちいい。ゆくりと疲れを取りながら、我が家へ20時半到着!。やれやれである。一段落して、Iさんに、無事帰還の報告を入れる。随分心配してもらったようだ。それに、感謝の言葉を一杯頂いた。こちらこそサポートに大感謝である。


データー
全走行距離950Km位  マシン 97 XR400R (ED)

GAS代   約5000円
食費    約2000円
おやつ   約1000円
通信費   約2500円

総計  9500円ぐらいかな


8-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

2004-11-26 17:16:00 | 活動報告
8、あわただしい一日が終わった

 本日の出動による走行約70Km。慣れない所&被災地を走ったので、いつものツーリングよりはるかに疲れた。夜になっても事務局、PC班は動き続けている。暫く、BCでとのメンバーと今日の出来事をダベる。やはり山間部はオフ車が良いとみんな言っている。それを地図に書き込む。テレ朝の人も興味ありげに話しに加わってくる。直接山の避難所には取材に行けないので聞きたがるのかな?。

 Nさん、Kさん、両氏ともかなりくたびれた様子で、本業に戻らねばと盛んに訴えるが現況を見ると帰るに帰れず苦しんでいるようだ。私も休みがもう少し取れればと思うが…そうも行かない。結局、Uさんの電話でKさんは帰る踏ん切りがついた様だ。そして私も決心した。
予定通り31日の午後に帰ろうと・・等身大のボランティアなんだから無理は禁物だ。本業をないがしろに出来ない。この点、Nさんはかなり無理をされたと思う。本当に頭が下がる思いだ。

 ここは、私はこう理解した。被災地を助けるのは、他地域の義務だ。だが、被災地を思うあまり何もかもを差し置いて援助したり、自粛したりしては、被災地復興に向けての健全な活動が続けられないだろう。体に例えれば、右足を折ったからと言って、両手左足とも全てでカバーする必要は無い。右手左手は本来の動作をしなければ人間は生きていけない。逆にいうと今まで以上に本来の動作をまっとうする事が両手に求められるだろう。この上、手まで痛めてしまったら致命的ですらある。

 だから、被災地を支援する他の地域は今まで以上に健全な社会活動を維持していく事が、最後には被災地を手助けする力となりえる。(あくまでも個人の考えですよー)

 夕食は、ボランティアにも炊き出しをしてくれた、けんちん汁にラーメンだ。特にラーメンは新潟訛りが酷いと思ったら台湾の女性陣による本場台湾ラーメンで、めちゃウマだった。

 今夜は雨も激しいので3Fのフロアに寝る。寝言やいびきはうるさいが昨夜とは打って変わって暖かく眠りにつけた。幸せだ。感謝!!。


7-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

2004-11-26 17:12:00 | 活動報告
7-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

二回出動しただけで12時はとっくに廻っていた。昼は『COCO一番』が移動販売車でおいしいカレーを炊き出しに来ていたので頂く!ウマイ!!。食事は、おにぎりやカレー、けんちん汁など不自由なく被災者に行き渡っているようだが、毎度 発泡スチーロルの容器ではいつもの食卓とは雰囲気が違い、気が重いようだ。一体いつまで続くのか…?。

 相棒のT君とバイクや林道の事に付いて少し話した。この近辺は林道の宝庫だから今度はツーリングに来ると良いよと言う。腹も膨れた事だし次の出動にBCへ行く。少しでも多く役に立ちたいと言う気持ちがボランティアには強いようだ。この頃からポツリポツリと嫌な物が落ちてきた。カッパの出番!!。

 送り出しのところでは、Mさんがトランプのババヌキみたいにニーズ票をみんなに引かせて、楽しく出動させている。そう ボランティアには笑顔が大切!!。次の出動先は市街地の方だ。
さっそくナビゲーターに行き先の『吉田テニスコート』を教えてもらう。随分地図も大きく詳しいものが用意されて来てわかり易くなった。何しろ最初は市街観光マップだったもんな…・。

 駅裏の住宅街に向かうのだが、一方通行になっているので・・・。と、まわり道を押しえてもらい イザ出動。今度はみかん箱と日用品・風邪薬をもってニーズ調査と成った。状況は刻々と変化していく。

 市街地は車も多く渋滞している。ぼちぼちスリヌケしながらトコトコと進む。商店街は傷ついた建物が多くみんな外のアーケードの下で生活しているようだ。大きな道路もバスが一台スッポリと入るぐらいの陥没による大穴がポッカリと空いている。交差点では角の商店が倒壊し道路を塞いでいる。小千谷駅も閉鎖されたままの様だ。ガレージや駐車場至る所にブルーシートが目に付くみんな、外に避難しているのだ。

 目的地の『吉田テニスコート』に着く、名前の通りのテニスコートが市街地の中にあったが、避難車の駐車場と化していた。隣の責任者の家に行ってニーズを伺う。こちらは、電気もまだ通ってないが、食べ物が不足しているという。今朝は37人におにぎり22個しか届かなかったと寂しそうに奥さんが言う。市街地は年齢層も若く10代の若者も多いが、かなり参っているのか?退屈なのか?まったく覇気が無い!頑張れ若者よ!!。

 帰りぎわ駐車場に軽ワゴン車で車中泊している老夫婦を見かけ、声を掛けようとするが、かける言葉が見つからない…・。ホントに何と言えば良いのか…?。

 密集する商店街を詳しく見ながら帰るが、ほとんどの建物が修復不可能?ポイ?再興するには莫大なお金と時間が必要だろう。BCへ戻るともう16時30分を過ぎていた。本日の出動はこれまでとする。

 T君は今日一日だけで終わりと言うので、Bi-Voのビラを渡し握手をして別れる。新潟にはオフローダーが多そうなのでもっと来てくれると大助かりだが…・。


6-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

2004-11-26 17:08:00 | 活動報告
6、初めてのニーズ調査(山奥!)

 トラックも無事に帰還できバイクBCで一休みする。ボランティア用の支援物資も沢山あり、バナナ、ヨーグルト、お茶、チョコ等をよばれる。

 次はオフ車がいいと言う、山奥の北山地区へニーズ調査に行く。相棒のT君(新潟在住)にオフはどうと聞くと、今日のマシンはXLR250だがなんと彼は現役モトクロス乗り!頼もしい限りである。

 イザ北山に向けて出動する。さっきの道よりはるかに酷く荒れていると言うチョッと緊張するが、気合を入れて走る。山道になるとがけ崩れが道路を覆ている所や完全に崩れ落ちて道路が無くなった所(応急処置済み)今にも崩れてきそうな崖、道路に泥水が流出している所、と舗装路だが林道状態になっている。中にはバイクがすっぽり嵌ってしまう位の地割れもある。この世のものとは思えない。でも、流石にオフマシンはよく走る。壊れる前の道路を車で走るよりは速いペースでドンドン進む。

 北山地区にたどり着き、町内会長宅を探す。近くにいたご老人に聞くと右手奥の山間にあるチッポケなビニールハウスを指差して、「みんなあそこにいるよ」と教えてくれた。100m位狭い山道を静かに登りビニールハウスへ到着。

 バイクがたどり着くや否や、お爺さんとお婆さんが出てきて不思議そうな顔で見て小千谷市のボランティアセンターから来たよと話すと『よくきたねー!ご苦労様』とニコニコして迎えてくれた。話を聞くとここには、ほとんど高齢者ばかり20人ほどで避難しているという。が、電気は切れてる。電話も切れてる。水は沢水利用だから大丈夫、ガスもプロパンが市から支給されてる。灯油も有るから、ストーブ焚けば暖かいよー。食料は自給で一杯あるから…。と、ニコニコしながらお婆さんが話してくれた。

ビニールハウスの中を見せてもらうとシート、カーペット類を何重にもびっしり敷き詰めコタツを二台置いてあるだけのとこにお婆さんが何人か横になっていた。流石にこの状態で一週間はキツイ…。

 私が愛知県から来たと言うと、いい所から来なさったなとおじいさん。『暖かくて、雪も降らねえし…』と、この先の降雪がかなり気がかりな様子。お婆さんは昔、名古屋に住んでいたと言い、伊勢湾台風でえらい目にあったと人差し指の無い手を差し出す。後片付けをしていて怪我されたそうだ。自宅は地震でかなり痛んで直せないかもしれない…。と寂しそうにつぶやく…・。

 ニーズ調査の話を最後に聞いたが、『電気(発電機)が欲しい本当に不便だ』と何度も言う。その他は栄養ドリンク、お茶500mlのペットボトル(コップが不要)位かなと、外国人の避難者(嫁さんが多いらしい)の人数や妊婦、幼児、障害者持病持ちなどを聞き込んだが、避難弱者はもうすでに昨日市内へ移動したらしい。

 時々、新潟弁が上手く聞き取れない事があったが、ジモティーのT君がんっだんっだと地元言葉で話す。暗号・・?解読には地元近郊が一番だなと感じた。しかし、この惨状の中終始にこやかに話をしてくれるご老人達には只々、頭が下がるおもいだ。

 そのうち、県外ナンバーの救急車がやってきた。これもボランティアでドクターが廻っているらしい。体調が心配なご老人にはありがたい事だと思う。もし、病院へ行こうと思ったら、あの林道と化した悪路をご老人が車を運転して行かなければ成らないから大変である。でも、買出しには80ぐらいのお爺ちゃんが運転していっているそうだ(@@)雪国の人は運転が達者?!。

 10数キロ離れたところまでのピストン走行はロスも多い携帯で本部に連絡したが、
留守電?で繋がらない!。この時は無線機の必要性を痛感した。早速、無線機を買おう!(免許も取ろう!)と思った。

 久しぶりに帰ってきた孫のように接してくれたお婆さんの所を後ろ髪を引かれる思いで後にし、帰路につく。帰り道は下りに成るので更に慎重にバイクを走らせる。しかし、現役モトクロッサー乗りは上手いものだ。スイスイ荒廃した道を駆け下りて行く。うやって走っていると、不謹慎だが林道ツーリングしている様だ。

 周りの様子を更に詳しく見ると、山が傷だらけに成っているのが良くわかる。至る所で地すべりによる土砂崩れが起きている。途中の避難所の空き地も、すぐ横が崖で崩れた谷になっている。こっちに目をやる地元の人に頭を下げながらゆっくりと走る。さすがに地元の人が避難している所を爆音をタテては通れない!。

 無事、バイクBCへ帰ってきた。さっそく事務局にニーズ調査報告をする。調査票をもとにT君が一生懸命説明している。この報告が後々の救援物資や手助けの基礎になるので重要だ。




5-新潟県中越地震バイク災害ボランティアレポート

2004-11-26 17:04:00 | 活動報告
5、初めての救援物資搬入トラックの誘導(本ちゃん!)

 ライダーに仕事を割り振るのは、Mさんだ。手馴れたものでドンドン捌いていく。後に残ったのは、トラックの誘導の役割だった。3台のトラックを3箇所に2人づつで誘導するというもの・・・。実はこれ去年の防災訓練でBi-Voがやったのと同じだ。あんまり面白くなさそうというか、助手席に地図渡して勝手に行ってもらえばとみんな言っている。ちょっと同感だが、せっかくだからやる。

 説明は行き先を地図でしてもらって、あっちのトラックを誘導してきてと…それだけ?でも他のメンバーはトラックの方へバイクを付ける。私もバイクをキックするがなかなか掛からない!10発目ぐらいでやっとこさバオーン!とエンジンお目覚め!。(この時の映像がテレ朝で流れたあのシーン。プロの編集は上手いな?!)

 で、トラックもバイクも準備OKなのだが…?。リーダーさんトラックの運転手さんに何も言わないで、いきなり出発しそう?!。チョット待ってと制止して自分がトラックの運転手さんに、行き先確認と、バイク2台の後を付いてくるようにと話して、イザ誘導開始となる。(きっちり話したので運転手さんもホッとした様子)

 行き先は、小千谷市南部の池が原小学校経由真人小学校だ。被害は南部の方が酷いらしい。信号の消えた市街地を走るが所々陥没や段差があるので、思いのほかトラックのスピードが遅い40Kがやっとである。相棒のT君にスピードダウンを指示する。

しばらくすると関越自動車道の横を平行して走るが地割れ、陥没、30~50cmもある段差(応急処置済み)がそこら中にあって道路製作途中の様である。トラックはホントのろのろ運転がやっとだ。そうしたらトラックの運転手さんに緊急事態発生!!。トッ トイレない!とあせってる。道端で用をたす。このときにもう一台の池が原小行きのトラックを先に行かせる。(これが後にトラブルに…?)

山間部に近づくと益々道路が荒れてくる。こうなるとバイクの先導が効果を発揮し始める。
がけ崩れで道幅が狭くなっているのでパイロンを退かし、対向車を制止し、行く先を確保せねば立ち往生しそうだ。

 やっとの想いで池が島小学校に着く、だが人気が無い!聞くと近くの温室に200人ぐらい避難しているので、そちらへ運ぶ様にとのこと。しかし、この温室に何百人もいるとは…?
唖然とした。そして、トラックの荷台を空けるとボランティアのおじさんが二人出てきて、これまたビツクリ!!。良く耐えていたものだ。

荷物を降ろし始めると、先に行ったトラックが戻ってきて、行き先が違ってた。あそうだ!このトラックは真人小行きだったはず。でも何で池が原小に?相棒のT君が先に行ったトラックがここにいなかったから、このトラックを池が原小に替えようと思ったんだそうだ。でも、残念!トラックには伝票が有りチャンと行き先まで行かないと荷物を降ろせない。(自分は真人小へ着いたと思っていた…?。)

 少し降ろした荷物(キャンピングマット)をトラックに載せ、再出発!。ここからは、少し山越えの道になる。道路の崩れや崖崩れが酷い普通なら完全通行止めになるレベルだ。あくまでも緊急用に通行できる様にしているだけだ。真人小に着いたが、避難者は5人だけで皆は自宅や車に寝ているという。トラックの荷物を少人数で降ろす。結構きつい。

 一段落着くとおばちゃんがお菓子、お茶、ジュースを出してくれた。話を聞くとおばちゃんは小学校の教頭先生で、長く車に寝ている子供たちの様子がやはりいつもと違う!と心配してみえた。ここは電気は無いが食べ物は十分あるそうだ。体育館に避難している5人に言葉を掛けてここを後にする。ラジオと石油ストーブしか無いところにお年寄りだけではつらかろう…。

 帰りもトラックを誘導して帰る。交通量も増えてきて誘導にも神経を使う。改めて道路沿いの被災状況を見るが、崖崩れは四方いたるところにある。倒壊した倉庫、家屋、傾いた電柱、壊れかけた家などいたるところに地震の傷跡が点在している。凄まじい破壊力としか言いようが無い!。

これだけの惨状でなくなられた方が39名とは本当に少なく済んだ様に感じる。愛知県でこれほどの地震が起きたら、神戸と同じかそれ以上の大災害に成るのは間違いないと思われる。(交通マヒで大混乱も必至だろう)