いやァー、なつかしィ。
かれこれ1年近くも前にやったこのシリーズ第1回を覚えてらっしゃる方は・・・いるんだろうかw(→コチラ)。ホントならその月の終わりに行くはずだった、和泉国のクワバラ伝説の地、西福寺へ行って参りました。
恐ろしいコトが起きた時、「クワバラクワバラ」と唱えて災難除けとする――現在では忘れられつつあるこの風習は、もとは落雷の起こった時に身の安全を祈る言葉でありました(文献上の上限は室町後半~戦国時代と考えられています)。前回も申しましたように、その語源となった伝説は2種類あり、一つは大宰府に左遷されて怨霊となった雷神・菅原道真の所領に「桑原」なる地があった、よって自身の領であるから落ちるなというもの、もう一つは井戸に落ちた雷神を懲らした地が「桑原」なる地であったため、雷神が恐れて以後は落ちぬと約束したもの。伝説の地が冠するその名のとおり、西福寺は和泉市桑原町にあります。
和泉の桑原町は、現在JR和泉府中駅から歩いて15分程度南東に行ったところにあります。和泉の国府は発掘調査ではいまだその発見を見ませんが、「府中」の名の通り、駅周辺の地が推定されております。付近にある泉井上神社は和泉国総社であり、神功皇后が三韓征伐の武運を祈願した際に霊泉が湧いたという「和泉」の地名発祥の地。桑原町は、国府所在地と近接する郊外の地ということになります。そんな立地と関係してか、西福寺は東大寺勧進僧として歴史に名を刻む俊乗坊重源(1121~1206)の、和泉における拠点でもありました(『和泉名所図会』ではここで入寂し、墓があったともいう)。現地をたずねると西福寺は「スイジョボさん」と親しまれておりましてね、最初はナンノコトカシラと思ったんですが、近所にこの重源が作ったと言う谷山池なるため池がこれまたスイジョボ池と呼ばれているというから、重源に関わる名前なんだろうな・・・と、言うところで合点がいきました。おわかりですね、おそらく「シュンジョウボウ」の転訛かと思われますw
というわけで、雷の寺、スイジョボさんです。ここの雷伝説は、寛政年間(1789~1800)に刊行された『和泉国名所図会』によりますと、むかし、この地にある「桑原井」に雷がおちた。井戸から上がろうとするところを、人が寄り集まって井戸の上にフタをしてしまった。久しく閉じ込められるにいたり、大いに苦しんだ雷が今後はこの地へは落ちませんからと誓ったので、フタを取って許してやった。その後、雷が落ちることはなくなりました、めでたしめでたしという話。
前回も紹介しましたが、この伝説については某ドリフ大の竹居明男氏が研究ノート「クワバラクワバラ)桑原桑原)考」(『文化史学』62号)にていくつかの事実を紹介されております。
1.和泉国桑原の雷井戸伝説は、元禄年間(1688~1703)までは遡らないこと。
(元禄13年(1700)の自序がある『泉州史』の「桑原村」には重源ゆかりの地であることに触れるのみである)
2.昔、落雷を逃れたお坊さんがそれを感謝する写経を桑原村でおこなっていること。
(現在三重県伊賀市の常楽寺に伝来する「大般若経」の中に、天平宝字2年(758)、沙弥道行が落雷の難を逃れたことを感謝して、和泉国坂本郷桑原村で書写したものがある)
3.室町~戦国時代、道真が祀られる北野社の社領が桑原村のある坂本郷にあったこと
4.近隣の天台寺院・大威徳寺が、同じ頃、本堂修理のための勧進を坂本庄で行った際、道真の怨霊調伏にまつわる伝承を象徴的に表現する「尊位振剣、菅丞垂霊」の言葉を使ったこと。
3という事実があった以上は4なんてまァそういうこともするでしょうなァというところなんですが。ナニこのカユイところに届きそうで届かない羅列w また研究ノートですから、こういう事実がありますョとおっしゃっているだけでなんの見解もない・・・というよりこれだけではホントに何も言いようがないんでございマスが、これらの事実から西福寺に伝わる雷井戸伝承を思うに、2つほどおもしろいコトがわかると思うんですね。
一つ目は、「クワバラクワバラ」の語源伝承に関するものです。これには二種類あることは先ほども述べましたが、桑原村を含む坂本庄は北野社領であったにも関わらず、この地の伝承は菅公の所領ゆえに落ちないという伝説ではなく、全国的に分布する「雷を懲らしめる話」であるということですネ。この辺りからは、伝説が北野社領ではなくなってから生まれたもの、つまり1.を後押しする、近世以降の成立なニオイがあるということ。
二つ目は、この伝承における雷を封じた主体にあります。全国に一体どれほどの雷井戸伝承があるかはまだ把握しきれていないんですが、雷井戸の話は、たいてい井戸のある寺の高僧が懲らしめるというのが相場なんですナ。前回では摂津国桑原欣勝寺の中興の済用玄智和尚しかり、名は伝わらないものの大分の津久見は解脱寺、秋田は鶴岡の潮連寺もそう、今度行く予定にしている滋賀県守山の少林寺の雷井戸は一休禅師だったりする(ちなみに東京は根岸の三島神社の雷井戸は神主)。しかし西福寺の雷井戸では僧の登場はなく、「人寄り集まり」井戸にフタを覆った、というのですね。寺には、「重源」という歴史にも名高い高僧の伝承があるにも関わらず、です。この二者がなぜに結びつかなかったんだろうというのは、疑問としてあまりあるわけですョ。思うにこの辺りに、和泉の桑原村が持っていた何らかの地域性や特質があるのではないかと見た。・・・今のところ、それが何であるかはワカリマセンがw
おぼろげに予測できることのネタとしてはですね。先ほども言いましたように、この桑原村が国府に近接する集落であるということでしょうか。集落の南側を流れる槇尾川はこの辺りの水田には欠かせない用水でありますが、さして上流ではない桑原村が、どうやらこの川について強い水利権を持っていたらしいことも注意すべきでしょう。また、今回の町歩きでは見つからなかったんですが(とにかく人がいなくて全然聞けなかったんデスョw)、桑原町にはどうも菅原神社があるらしい。旧北野社領ですからフシギはないし、天神さんなんて日本で一番多い神社なんですからナンということはないのかもしれませんが、ここが「桑原」である事実とあわせると強烈な誘惑にかられますでしょw この地域の人はつまり、その氏子であるということになるんです。これは・・・雷を封じた人がそこら辺の人々だったということを解くカギにもなるかと思われますナ。現在では雷を封じたのはなぜかその辺のオバァチャンになってるという謎もありますケドw
西福寺を囲む集落もまた実に中世の名残をとどめるステキな場所です。北側を父鬼街道が東西に走り、南側を槇尾川が流れる、おそらく環濠集落だった雰囲気。中は軽自動車でも通ることが困難な細い道が入組み、水路が流れ、集落を構成する人々の姓は歩いた感じ9割方が同姓。ちなみに西福寺は集落の北端にあるんですが、境内の南側、すなわち集落内に、今は畑となっている妙な空閑地があったんですね。あれは一体ナンなのかナァ。
また一つ、実におもしろい場所を見つけてしまったのでしたw

西福寺の看板。雷の寺であると共に本尊が耳の病に利益があるらしいけど、その由来は不明。

雷井戸。大きな石のフタがしてあります。

井戸の看板に貼ってあったシール。欲しいんだけど今も売ってるのかナァ・・・(なんせお留守だったもんで)。

西福寺本堂。外にエアコンの室外機がついてました。
かれこれ1年近くも前にやったこのシリーズ第1回を覚えてらっしゃる方は・・・いるんだろうかw(→コチラ)。ホントならその月の終わりに行くはずだった、和泉国のクワバラ伝説の地、西福寺へ行って参りました。
恐ろしいコトが起きた時、「クワバラクワバラ」と唱えて災難除けとする――現在では忘れられつつあるこの風習は、もとは落雷の起こった時に身の安全を祈る言葉でありました(文献上の上限は室町後半~戦国時代と考えられています)。前回も申しましたように、その語源となった伝説は2種類あり、一つは大宰府に左遷されて怨霊となった雷神・菅原道真の所領に「桑原」なる地があった、よって自身の領であるから落ちるなというもの、もう一つは井戸に落ちた雷神を懲らした地が「桑原」なる地であったため、雷神が恐れて以後は落ちぬと約束したもの。伝説の地が冠するその名のとおり、西福寺は和泉市桑原町にあります。
和泉の桑原町は、現在JR和泉府中駅から歩いて15分程度南東に行ったところにあります。和泉の国府は発掘調査ではいまだその発見を見ませんが、「府中」の名の通り、駅周辺の地が推定されております。付近にある泉井上神社は和泉国総社であり、神功皇后が三韓征伐の武運を祈願した際に霊泉が湧いたという「和泉」の地名発祥の地。桑原町は、国府所在地と近接する郊外の地ということになります。そんな立地と関係してか、西福寺は東大寺勧進僧として歴史に名を刻む俊乗坊重源(1121~1206)の、和泉における拠点でもありました(『和泉名所図会』ではここで入寂し、墓があったともいう)。現地をたずねると西福寺は「スイジョボさん」と親しまれておりましてね、最初はナンノコトカシラと思ったんですが、近所にこの重源が作ったと言う谷山池なるため池がこれまたスイジョボ池と呼ばれているというから、重源に関わる名前なんだろうな・・・と、言うところで合点がいきました。おわかりですね、おそらく「シュンジョウボウ」の転訛かと思われますw
というわけで、雷の寺、スイジョボさんです。ここの雷伝説は、寛政年間(1789~1800)に刊行された『和泉国名所図会』によりますと、むかし、この地にある「桑原井」に雷がおちた。井戸から上がろうとするところを、人が寄り集まって井戸の上にフタをしてしまった。久しく閉じ込められるにいたり、大いに苦しんだ雷が今後はこの地へは落ちませんからと誓ったので、フタを取って許してやった。その後、雷が落ちることはなくなりました、めでたしめでたしという話。
前回も紹介しましたが、この伝説については某ドリフ大の竹居明男氏が研究ノート「クワバラクワバラ)桑原桑原)考」(『文化史学』62号)にていくつかの事実を紹介されております。
1.和泉国桑原の雷井戸伝説は、元禄年間(1688~1703)までは遡らないこと。
(元禄13年(1700)の自序がある『泉州史』の「桑原村」には重源ゆかりの地であることに触れるのみである)
2.昔、落雷を逃れたお坊さんがそれを感謝する写経を桑原村でおこなっていること。
(現在三重県伊賀市の常楽寺に伝来する「大般若経」の中に、天平宝字2年(758)、沙弥道行が落雷の難を逃れたことを感謝して、和泉国坂本郷桑原村で書写したものがある)
3.室町~戦国時代、道真が祀られる北野社の社領が桑原村のある坂本郷にあったこと
4.近隣の天台寺院・大威徳寺が、同じ頃、本堂修理のための勧進を坂本庄で行った際、道真の怨霊調伏にまつわる伝承を象徴的に表現する「尊位振剣、菅丞垂霊」の言葉を使ったこと。
3という事実があった以上は4なんてまァそういうこともするでしょうなァというところなんですが。ナニこのカユイところに届きそうで届かない羅列w また研究ノートですから、こういう事実がありますョとおっしゃっているだけでなんの見解もない・・・というよりこれだけではホントに何も言いようがないんでございマスが、これらの事実から西福寺に伝わる雷井戸伝承を思うに、2つほどおもしろいコトがわかると思うんですね。
一つ目は、「クワバラクワバラ」の語源伝承に関するものです。これには二種類あることは先ほども述べましたが、桑原村を含む坂本庄は北野社領であったにも関わらず、この地の伝承は菅公の所領ゆえに落ちないという伝説ではなく、全国的に分布する「雷を懲らしめる話」であるということですネ。この辺りからは、伝説が北野社領ではなくなってから生まれたもの、つまり1.を後押しする、近世以降の成立なニオイがあるということ。
二つ目は、この伝承における雷を封じた主体にあります。全国に一体どれほどの雷井戸伝承があるかはまだ把握しきれていないんですが、雷井戸の話は、たいてい井戸のある寺の高僧が懲らしめるというのが相場なんですナ。前回では摂津国桑原欣勝寺の中興の済用玄智和尚しかり、名は伝わらないものの大分の津久見は解脱寺、秋田は鶴岡の潮連寺もそう、今度行く予定にしている滋賀県守山の少林寺の雷井戸は一休禅師だったりする(ちなみに東京は根岸の三島神社の雷井戸は神主)。しかし西福寺の雷井戸では僧の登場はなく、「人寄り集まり」井戸にフタを覆った、というのですね。寺には、「重源」という歴史にも名高い高僧の伝承があるにも関わらず、です。この二者がなぜに結びつかなかったんだろうというのは、疑問としてあまりあるわけですョ。思うにこの辺りに、和泉の桑原村が持っていた何らかの地域性や特質があるのではないかと見た。・・・今のところ、それが何であるかはワカリマセンがw
おぼろげに予測できることのネタとしてはですね。先ほども言いましたように、この桑原村が国府に近接する集落であるということでしょうか。集落の南側を流れる槇尾川はこの辺りの水田には欠かせない用水でありますが、さして上流ではない桑原村が、どうやらこの川について強い水利権を持っていたらしいことも注意すべきでしょう。また、今回の町歩きでは見つからなかったんですが(とにかく人がいなくて全然聞けなかったんデスョw)、桑原町にはどうも菅原神社があるらしい。旧北野社領ですからフシギはないし、天神さんなんて日本で一番多い神社なんですからナンということはないのかもしれませんが、ここが「桑原」である事実とあわせると強烈な誘惑にかられますでしょw この地域の人はつまり、その氏子であるということになるんです。これは・・・雷を封じた人がそこら辺の人々だったということを解くカギにもなるかと思われますナ。現在では雷を封じたのはなぜかその辺のオバァチャンになってるという謎もありますケドw
西福寺を囲む集落もまた実に中世の名残をとどめるステキな場所です。北側を父鬼街道が東西に走り、南側を槇尾川が流れる、おそらく環濠集落だった雰囲気。中は軽自動車でも通ることが困難な細い道が入組み、水路が流れ、集落を構成する人々の姓は歩いた感じ9割方が同姓。ちなみに西福寺は集落の北端にあるんですが、境内の南側、すなわち集落内に、今は畑となっている妙な空閑地があったんですね。あれは一体ナンなのかナァ。
また一つ、実におもしろい場所を見つけてしまったのでしたw

西福寺の看板。雷の寺であると共に本尊が耳の病に利益があるらしいけど、その由来は不明。

雷井戸。大きな石のフタがしてあります。

井戸の看板に貼ってあったシール。欲しいんだけど今も売ってるのかナァ・・・(なんせお留守だったもんで)。

西福寺本堂。外にエアコンの室外機がついてました。
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