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怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.22 民博でおもったこと

2005年12月13日 19時57分23秒 | 怪道
私用で民博こと国立民族学博物館へ行って参りまして、館の方に常設観覧券をいただきましたので駆け足ながら見てきました。

手足の指では足りないほど行ってる場所なんですけども、この日もまたあれれと足が止まるものに出会えたので、考えたことをメモ代わりにあげときます。

①トゥピラク(呪具・グリーンランド東部地域)

「イヌイット語でトゥピラクとは『悪霊』を意味する。トゥピラクは人の目に見えない存在であった。シャーマンのみが特定の人間に害悪を与えるために小さなトゥピラク像をつくり、それに呪文を唱え、その人物を攻撃させたといわれている。観光客に売るおみやげとして120年前くらい前からグリーンランドにおいて制作されるようになった」(民博、「アメリカ」祈りのコーナーにて、トゥピラクのキャプションより)

素材については説明がなかったのでわかりませんが、地域的に象牙ってことはないし、何かの動物の骨でしょうか。あれ、と思ったのは、御覧になってもすぐにわかるように、この子たち、笑ってるでしょう?

シャーマンによって人に害悪を与え、さらには攻撃をさせたというものが「笑っている」ということに、ある種、ゾクリと来るものがありましてね。当初は「観光客」向けの「おみやげ」として作られたものだからか、とも思ったのですが、これ、本来的に笑った表情として作られていても、ある意味おもしろいな、と感じまして。というのもですね、ワタシ、子どもの頃はじめて般若の面を見た時も、「笑っている」と思ったのですヨ。

感覚がトロいんとちゃうかとツッコまれて終わりそうな気もするんですが(笑)、そもそも人間の表情としての「笑い」と「怒り」「怨み」の差ってなんでしょう。双方ともに、口を大きく開けて歯をむき出しにしてつくられるものですが、ワタシ達は日常的にその差を「目」の表情で判断しているんじゃないか。とすると、「目」に表情がなければ、それは「怨み」にも「笑み」にも取って代われることになります・・・てのは言いすぎでしょうか。その上「笑い」という表情は、真意を隠すときによく使われる表情でもあるように思うのです。

脈絡ない文章で申し訳ありませんが、夜道に柳の下で立っている人がいたとして、その人が怨みを込めた顔をしていればまァそうかなと納得もしますが、目に表情なく笑ってられると断然怖い気はしますね。

「目」は心を映す鏡ですが、よくよくみるとこの子達、目が空洞なんです(そういえば般若もか・笑)。そう思って見てると「怨」な雰囲気が急に襲ってきまして・・・なんか、これ、カワイイんだけどどこかコワイですよねぇ。なんだか人間のもつ「笑い」という表情の意味のそもそもを、考えずにはおれませんでした。


②日本の楽器コーナーを見てきました。琵琶牧々好きの私としましては、怪な楽器というのにも最近ちょいちょい興味を持ち始めているんですが・・・前近代の日本には、果たしてどんな楽器があったんかいなぁとウロウロしておりましたら、まぁ思ったよりよぅけありまして驚きです(笑)。琵琶・琴・三味線の妖怪な楽器のほかにも、太鼓、鼓、笛、笙、尺八、鈴、鉦、鐘、笏拍子、おお、木魚や錫杖も楽器に入るのかァ!てな具合です。

と、そこでですね、やはり稚拙ながらに考えてしまうのです。楽器入りしていた木魚も化物サンになってはりますわな。逆に笛や尺八はフォルム的に化物にはなりにくだろうと思われます。しかし、太鼓やら鼓は・・・いけるんじゃねぇの?なんて。鼓はまぁ・・・狸のお腹と一体化してますけどもね。名前だけでいうならば、「ちゃっきらこ」やら「びんざさら」なんて、「それ、どんなお化け?」って聞きたくなるような名前なのに、それらが動いたァなんてお話は聞きません(2つともれっきとした?楽器のようです。主に神事に使われているのかなぁ)。ワタシが知らんだけかもしれませんが(笑)。

琴、琵琶、三味線という妖怪な楽器に共通することは、(木魚をはずせば)弦楽器ということでしょうかね。あとは・・・やはり盲僧臭いナ、と思ってみたりするわけです。もしくは、女性の手によるという印象かなぁ。琵琶って日本ではそうでもないですが(薩摩琵琶なら女性の弾き手さんを見かけますが、だいたいは平家語りや雅楽の場では男性ですもんね)、中国では女性の楽器なイメージがわりにありますよね。・・・これについては、言いっぱなしにしときます。


今まで見ていたようで気づいてなかった、中国ゾーンにあった琵琶。なんと、半月がありません・・・(半月=琵琶牧々のオメメの部分)。これをもって全ての中国の琵琶がそうだとは言えませんが・・・うぅむ、です。半月付の琵琶見慣れてるので、なんかのっぺらぼうみたいですね。

楽器お化けも器物系のお化けに属するのでしょうが、月日をへだてた楽器はなにも琵琶だけではないですね。楽器の中でも怪な楽器とそうでない楽器がある以上は、怪なものとして選ばれたのにはなにか理由があるはずです。ちなみに封神演義で妲妃の妹分は琵琶の精だったように記憶していますが、大陸でも日本でも、琵琶というもののどんなところに「妖」を感じていたのでしょうねぇ。・・・ってこれも言いっぱなしましょう。

トゥピラクにしろ楽器にしろ、もちょっと詳しくお勉強していこうー、といつものようにビデオテークにおもむくと、アイヤ残念、ボックス内にアスベストが使用されていたとかで閉鎖されていました。そういやニュースでなんかゆってたっけなぁと思い出しつつ・・・ちょっぴりガッカリ。表に出るなりあまりの寒さにブルブル震えながら、『日本異界絵巻』(ちくま文庫)片手に帰途についたのでした。



おまけの、アフリカ・タマミちゃんゾーン。

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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わははは (いつきのじじい)
2005-12-14 00:56:34
黄金バットが笑うのは怖い。そう、目が空洞だからじゃのう。昔楳図かずおに「笑い仮面」という目が空洞の笑い面の怪人の話があって、これも怖かったのう。笑うとはお猿さんが大口を開ける威嚇行為のバリエーションとして発生したのじゃそうな。だから大笑いは得てして怖い。にやっと笑うのも怖いのう。「目が笑ってない」ともいうしのう。それから、「笑うせえるすまん」は大国の顔の輪郭に般若を嵌めたデザイン、という解説をどこかで読んで、なるほどと思うたのことがあるのう。「笑い般若」というのは江戸時代に流行ったおばけで「妖怪かるた」に出てくるしのう。お化けの多くは「ひひひひひ」と笑っておるのう(^^)。

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きゃー (主宰者)
2005-12-14 17:57:08
笑いながらおっしゃられると怖いのですぅ(`A´;)!



そうですねえ、考えてみれば、害悪を与えるにも関わらず笑みを浮かべているというのは残虐性を強調しているともとれるわけで、なぁんも不思議なことはないですねぇホホホ。そうですか、「笑う」のは元は威嚇だったのですねぇ。勉強になりました。



怖さの表現として「笑み」を使うというのは…やっぱレベル高いっすよねぇ!

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笑みについて、なるほど納得です (小林 辰馬)
2010-01-17 20:56:53
僕も本日、民博に行ってまいりました
感じたことを何点か語らせて頂きます
怪道を行く(仮)さんの記事についてですが、芸術とか文化って、時代をあざ笑うもんやと思います
そう考えると、お笑い芸人のやってることも、ミュージシャンがやってることも、その他あらゆる芸能についても同じです



宗教音楽というものがありますよね
音楽って、ほんっとにつきつめると、宗教、理念など、どうしてもそこに行かざるを得ないんです
今ある音楽のほとんどは、その理念を置き去りにして、音を操作するっていう作業だけが残ったものやと思うんです
だから今マーケットに上っている音楽なんてものは、実は中身を抜き取られたもので、だから空虚だと思うんです
骨の髄にズーンと響いてくるような楽曲はほんっとうに少ないです
芸能って、呪いの表現ですよ
人間は、快楽を得ようと思えば、必ず「痛み」という砦をくぐらなければなりません
痛みのない芸術なんて空虚です
得てして人間は、痛いのは嫌だから、心地の良いものを選びがちです
しかし、心地の良いものなんていうのは奇麗ごと、絵空事、絵にかいたモチですよ
中身が伴ってない
痛みがない代わりに快楽もない
快楽を求める人は多いですが、彼らは快楽を得る方法を知らないのではなくて、それをくぐれば快楽が得られる砦を忌み嫌って避けているにすぎないのです
内容を食いつくされた骸骨のような時代
人間はまだ、その骸骨にむしゃぶりつきつづけるのでしょうか
もうそこにはなんら栄養なんてものは残っていないのに・・・
僕はその骸骨に肉を付けていく側に加担します
という、少々おどろおどろしい意見になってしまいましたが、許してぴょんマゲ!

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