一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「イーシャー・ウパニシャッド シャンカラ註」更新!

2007年03月17日 09時35分12秒 | HP更新日記
ウパニシャッドの中でも難解とされる「イーシャー・ウパニシャッド」。
今回は、そのなかでも特に難解とされる以下の「9-14章句」を、シャンカラの註釈と共にアップいたしました。(「9-11章句」は1月20日にアップ済み。)
「14章句」において、シャンカラは強引とも言える読み替えを行いながら、自説を主張していきます。

うまくいけば、「イーシャー・ウパニシャッド シャンカラ註」は後一回(4章句)の更新で終了です。
我がメインサイト「Hinduism & Vedanta」開設2周年(本年5月1日)に間に合わせたいところですが、微妙なところです。

(9)無知を崇拝する(念想する)者達は、盲目なる暗黒に陥る。
   しかし、明知に耽溺する者達は、言わば、より以上の暗黒に〔陥る〕。

(10)「明知によって、実に異なる〔結果が得られる〕」と人々は言う。
   また、「無知によって、他の〔結果が得られる〕」と人々は言う。
   我々は賢者達からこのように聞いた。
   彼らは我々にそれを説いてくれたのである。

(11)明知と無知と、これら2種を共に知る者は、
   無知によって死を渡り、
   明知によって不死に到達する。

(12)非生成を崇拝(念想)する者達は、盲目なる暗黒に陥る。
   しかし、生成に耽溺する者達は、それにより、彼らは、いわば、
   より以上の暗黒に〔陥る〕。

(13)「生成によって、実に異なる〔結果が得られる〕」と人々は言う。
   また、「非生成によって、他の〔結果が得られる〕」と人々は言う。
   我々は賢者達からこのように聴いた。
   彼等は、我々にそれを説いてくれたのである。

(14)生成と滅尽と、これら2種を知る者は、
   滅尽によって死を渡り、生成によって不死に到達する。

   *****************************

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たかはし)
2007-03-18 13:05:02
お待ちしていました。ゆっくり、じっくり読ませていただきます。
返信する
たかはしさん、いつもありがとうございます。 (便造)
2007-03-18 17:58:34
自分でも読み直して見ましたが、今回はちょっと読みにくいかもしれません。
思い切って意訳してしまえばいいのですが……。

もし、分かりにくい部分や、読みにくい箇所がございましたら、どうぞ御指摘下さいませ。

修正していきたいと考えております。
返信する
ちょっと修正してみました。 (便造)
2007-03-18 18:27:02
倒置法が使用されていた箇所などを含め、若干修正してみました。
これで多少読みやすくなったのではないかな、と思っております。

いかがでしょうか?
返信する
Unknown (たかはし)
2007-03-19 07:14:18
ほんとに難解ですね。
何が分からないのか、それが分からない、とそれが今の私の状態でしょうか。
まだ質問できる段階ではないですね。
ちょっと何か見えたような気もするし・・。

返信する
矢張り分かりにくいですね。 (便造)
2007-03-20 01:57:32
たかはしさん、こんばんは。

今週末にでも、自分なりに理解し得ているところを簡単にまとめて、ブログにアップしようかな、と考えています。

うまくまとまるかどうかは不安なのですが、自分の理解のためにも、整理してみようと思います。

返信する

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