イタリア迷走日記―その8
じゃじゃじゃ~ん♪
(火曜サスペンスのイメージ)
長らくお待たせいたしましたっ
いよいよ最終回です。
と言うものの、何を書いてよいのやら解りません。
最初に宣言します。オチはありません。
きっと、読後は、へっ?何それって言われそう・・・
だけどねぇ~。
例えば、イタリア語の始めたきっかけはどうであれ、そのおかげを持って、今は
イタリア語の同時通訳として君臨しているのだった。
とか
イタリア関係の書籍を何冊も書き、作家としてエッセイストとして多忙な毎日を送っているのである。
とか
イケメンイタリア人をつかまえて、幸せな結婚生活を送りましたとさ。
とか
そういうのがないのよーーーーーーーーーー
だからね、今こうなって「はいおしまい。」
っていう話になってないから、書けないざますぅ~
まぁね、当初の目標としていた、
イタリア語を使っての仕事をしていたい。
と言う希望は達成されたといえるし、楽しいっちゃ楽しいです。
幸せ者だと自分でも思うのは、日伊文化交流協会と言う看板をかけてるおかげで、試写会の案内を貰い、コンサートやパーティーに招待してもらい、本も書くことが出来たし、講演会もできた。
で、年に1~2回の割合で、イタリアに行くこともできるようになった。
その意味で、ヒッジョーに満足してるんですよ。
だけど、迷走日記としてのオチとしてはねぇ~
物足りないこと承知で書きますので、お許しをぉ~
仕事上での失敗などは、番外編にするとして、
一応どういう経緯でイタリア語の仕事を
もらえるように、なったのかと言うことについて、
書くことにします。
一つはやはり、日伊文化交流協会と言う看板を
掲げたのは大きかったと思います。
会報LA SPIGAは最初50部ほどのコピーで始まりました。
それが100部となり300部となり500部となり、1000部となり
徐々に発行部数を増やすことで知名度も上がり、
インタビューの申し込みなどもやりやすくなりました。
そうこうしている間に、
どこからかうちの名前を聞きつけて、
仕事が舞い込むことになりました。
最初の仕事は住宅展示場での、イタリア料理教室で
イタリア人の通訳をするというもの。
真夏の暑い盛り、大なべを前に滝のようなアセ
を流しながらやったことを覚えています。
がっちゃんは、大学生のころ、選挙カーのウグイス嬢
のアルバイトをしたことがあったので、
なんとなぁ~くマイクを持つことができるのです。
ヘタクソだけど。
先方も、本当にお金のかかった
本格的なイベントでない限り、
イタリア語の通訳と、司会を2人も雇うより、
ヘタでも何でも一人で両方こなして
くれるほうがありがたい。
そのあたりがのスキマ産業みたいなのに、
上手く滑り込むことが出来、
おかげさまで、今尚お取引いただいている会社もあります。
その後も、基本的に仕事は『人の紹介』です。
個人事業主の場合、それは命綱とも言えるものかもしれません。
そのために、がっちゃんは紹介を殊の外大切に思っています。
結局のところ、イタリア語を職業にして、
生活できているわけでもなく、
大きく成功したわけでも、ないのですが、
当初の目標、イタリア語を使って何かをしたい。
と言うことは達成できたと思っています。
今後、自分が進みたいと思っている道を切り開くことが出来るのか
わかりませんが、イタリアとのつながりは
大切にしていきたいと思っています。
仕事にでの失敗談の数々は番外編で!
カン(完と書くにはおこがましいので・・・)
ところで、この迷走記とは別に、日伊文化交流協会申し述べさえ手いただくと、日伊文化交流協会は非営利団体ではありますが、これは、これはこの協会の運営費は、協会員の皆様の会費で成り立っている。と言う意味であって、日伊文化交流協会に電話したら、なんでも無料でやってくれる。というものではありません。
とくにマスコミ関係者の方が、「イタリア人のイケメンさがしてるんですけどぉ~」とか、「ちょっとイタリア旅行に行きたいので、ホテル予約して下さい。」とか、「イタリアでお世話になった方に、イタリア語で手紙を書きたいので翻訳して下さい。」など様々なお問い合わせを頂きますが、それに関しては、がっちゃん個人へのお仕事の発注となりますので、無料ではありません。
でも良心的な金額で見積もりなどを出させて頂きますので、発注お待ち申し上げております!!!
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
クリックよろしくねん
じゃじゃじゃ~ん♪
(火曜サスペンスのイメージ)
長らくお待たせいたしましたっ
いよいよ最終回です。
と言うものの、何を書いてよいのやら解りません。
最初に宣言します。オチはありません。
きっと、読後は、へっ?何それって言われそう・・・
だけどねぇ~。
例えば、イタリア語の始めたきっかけはどうであれ、そのおかげを持って、今は
イタリア語の同時通訳として君臨しているのだった。
とか
イタリア関係の書籍を何冊も書き、作家としてエッセイストとして多忙な毎日を送っているのである。
とか
イケメンイタリア人をつかまえて、幸せな結婚生活を送りましたとさ。
とか
そういうのがないのよーーーーーーーーーー
だからね、今こうなって「はいおしまい。」
っていう話になってないから、書けないざますぅ~
まぁね、当初の目標としていた、
イタリア語を使っての仕事をしていたい。
と言う希望は達成されたといえるし、楽しいっちゃ楽しいです。
幸せ者だと自分でも思うのは、日伊文化交流協会と言う看板をかけてるおかげで、試写会の案内を貰い、コンサートやパーティーに招待してもらい、本も書くことが出来たし、講演会もできた。
で、年に1~2回の割合で、イタリアに行くこともできるようになった。
その意味で、ヒッジョーに満足してるんですよ。
だけど、迷走日記としてのオチとしてはねぇ~
物足りないこと承知で書きますので、お許しをぉ~
仕事上での失敗などは、番外編にするとして、
一応どういう経緯でイタリア語の仕事を
もらえるように、なったのかと言うことについて、
書くことにします。
一つはやはり、日伊文化交流協会と言う看板を
掲げたのは大きかったと思います。
会報LA SPIGAは最初50部ほどのコピーで始まりました。
それが100部となり300部となり500部となり、1000部となり
徐々に発行部数を増やすことで知名度も上がり、
インタビューの申し込みなどもやりやすくなりました。
そうこうしている間に、
どこからかうちの名前を聞きつけて、
仕事が舞い込むことになりました。
最初の仕事は住宅展示場での、イタリア料理教室で
イタリア人の通訳をするというもの。
真夏の暑い盛り、大なべを前に滝のようなアセ
を流しながらやったことを覚えています。
がっちゃんは、大学生のころ、選挙カーのウグイス嬢
のアルバイトをしたことがあったので、
なんとなぁ~くマイクを持つことができるのです。
ヘタクソだけど。
先方も、本当にお金のかかった
本格的なイベントでない限り、
イタリア語の通訳と、司会を2人も雇うより、
ヘタでも何でも一人で両方こなして
くれるほうがありがたい。
そのあたりがのスキマ産業みたいなのに、
上手く滑り込むことが出来、
おかげさまで、今尚お取引いただいている会社もあります。
その後も、基本的に仕事は『人の紹介』です。
個人事業主の場合、それは命綱とも言えるものかもしれません。
そのために、がっちゃんは紹介を殊の外大切に思っています。
結局のところ、イタリア語を職業にして、
生活できているわけでもなく、
大きく成功したわけでも、ないのですが、
当初の目標、イタリア語を使って何かをしたい。
と言うことは達成できたと思っています。
今後、自分が進みたいと思っている道を切り開くことが出来るのか
わかりませんが、イタリアとのつながりは
大切にしていきたいと思っています。
仕事にでの失敗談の数々は番外編で!
カン(完と書くにはおこがましいので・・・)
ところで、この迷走記とは別に、日伊文化交流協会申し述べさえ手いただくと、日伊文化交流協会は非営利団体ではありますが、これは、これはこの協会の運営費は、協会員の皆様の会費で成り立っている。と言う意味であって、日伊文化交流協会に電話したら、なんでも無料でやってくれる。というものではありません。
とくにマスコミ関係者の方が、「イタリア人のイケメンさがしてるんですけどぉ~」とか、「ちょっとイタリア旅行に行きたいので、ホテル予約して下さい。」とか、「イタリアでお世話になった方に、イタリア語で手紙を書きたいので翻訳して下さい。」など様々なお問い合わせを頂きますが、それに関しては、がっちゃん個人へのお仕事の発注となりますので、無料ではありません。
でも良心的な金額で見積もりなどを出させて頂きますので、発注お待ち申し上げております!!!
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
クリックよろしくねん
がっちゃんがどのように、イタリアとのかかわりを深めていったのかよ~く分かりました。
そして、―完― にならないところが、これからますます飛躍していくという心意気!?でしょうか!!
思えば私たちも初めて一緒にお仕事してからもう8年・・早いもんですね。
これからもますますよろしくお願いいたします!
がっちゃんさんて、スゴイ!!の一言。
もうオチなんて必要ないですって!!
見栄から始まったイタリア語学習(笑)を、こうして目標も達成し、また更に日伊文化交流協会なんて作っちゃうなんて・・・・。またそれまでの過程も“えぇ~?!”って驚くぐらいの行動力。そのがっちゃんさんのバイタリティの凄さに感服いたしました。
私なんて、グータラしてるだけですから(^^;)。
で、この記事読んで思ったのが、あれ、私がイタリア語を勉強し始めて十数年経っていますが、その目標って達成したのか・・・ってこと。
15年前に初めて訪れたイタリアに感動して、そこからイタリア語を勉強して、留学したいとかいつかはイタリア語を使って何かをしたいって思っていたけど、結局留学行く予定でお金貯めてたけど、途中で色々とあり、断念。で、イタリア語を使って何か・・・というのも未だ達成できず・・・・。
で、今はイタリア語の勉強もおろそかで、日々イタリア語力が低下していく一方・・・・(^^;)
う~ん、これではアカンと思いつつも、ダメな私。
私もがっちゃんさんの爪の垢でも頂いて、煎じて飲まなきゃいけないわ。今度送ってくださ~い!!あ、その前に見積とらなきゃダメ??(笑)
早いものでもう8年ですか・・・
いやはや年を取るものですね。ハハハ
仕事での数々の失敗は、爆笑ネタなので、お仕事迷走日記に書くことにしました。
Quattordiciさまの目の前でしでかした数々の失敗談が登場しますので、お楽しみに。
じゃなくて、それを糧に今後も精進して参りますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
貴女の失敗談は読者の皆さまも楽しめると思いますよ!そのうち、迷走日記で出版したらいいのに!
いえいえ、私もsanaeさんと同じような悩みでいっぱいですよ。
って言うかね、たまたま私はかなりラッキーなことにご縁があって、今幾つかの会社とお取引がありますけれど、本当は私よりも通訳の力量で言うと比べ物にならない方がたくさんいらっしゃることを重々承知しております。
ですので、自分が手に負えない仕事っていうか(ほとんどですが・・・)できるだけ、人にお願いしているんですね。
目指すのは、置屋のオカミさんです。
ただ、それもなかなか大変でねぇ~。
もっと専門を磨かないとって感じですね。
唯一自信があるのは、ショベルカーかな?
工事現場にあるショベルカーを一目みただけで、どのメーカーの何トンの、なんていう型番かだいたい解ります。(ってなんの自慢にもならなかった)
とにかく、本当にいつまでたっても、私のイタリア語は上達しません。
以前ねある通訳さんに、
「がっちゃんさんのイタリア語を聴いていると、熱意があると、相手に伝わるってことですね」って言われました。
これってもしかしてうっすらイヤミーーーーーーー?
でも、本当にそんな感じなので、言葉がありませんでした。
今、一番つらいのは、相手が何を言ってるのか皆目解らないときです。
本当に人によって、この人の話はわかるのに、この人がしゃべってる内容は皆目解らない。ってことがあって・・・
訛りなのか、言い回しなのか、わからないんですけれどね。とにかく自分で自分を呪いたくなる瞬間があります。
状況は違うとはいえ、私もがっちゃんと同じ考え方ですね。イタリア語で仕事をしたいと思い留学して、今なんとかいろんな人のおかげで数は少ないとはいえ必ず自分を通訳に指名してくださる人を、本当に大事にしたいと思ってます。前に書かれてたように、へたくそならもう呼んでもらえないですもんね、なかなかレベルアップしない自分をもっと振るい立たせないと!
本当にがっちゃんさん、お一人で頑張って今まで沢山のご苦労されてこられたてただただ、凄い・・・って言葉しか出てきません。
がっちゃんさんにはやはり才能があるのだと思います。
私ががっちゃんさんと同じことをできるかっていったら間違いなく無理です!
イタリア語の通訳をしたいと思ってイタリア語勉強始められ、それをものにされたがっちゃんさん、学会の代表をつとめられ、それ以外にも沢山の仕事をお持ちで、全部がっちゃんさんがされてるなんて、とても並大抵なことではありません!凄すぎです。
これからもお仕事頑張ってください!
お返事その2を書いている最中に追伸をいただいたようで、気付くのが遅れました。
そうそ、普通通訳って密室っていうか、当事者以外わからない現場が多いので、そうめったに失敗がばれないはずなんですが、ステージ系の仕事とか、あと回りに複数いらっしゃるときとか、ばれやすいですね。
留学したわけでもなく、外大を卒業したわけでもなく、主婦の手習いでここまで来たので、ハッピーエンドといわないとバチが当たるとは思っていますが、
そりゃね、
>イケメンと結婚するよりはよほどかっこいいと思い
>ますね。←マジ
絶対イケメンと結婚するほうがいいですよ。
とくにG先生なんて、まさに王子様じゃないですか。
家の中にあんな素敵な人がいたら、もう毎日目がハートですよ。
でももてすぎて心配になるかも。
何を持って、成功とするか、幸せとするか、は人それぞれですし、私自身はまぁこれで満足かな。と思っているのでいいっちゃいいんですけれど、でもやっぱりイタリア語のレベルをもっと上げないと、本当にキツイです。色々な意味で・・・