明日14日(土)の天気 三連休初日は体温超えの危険な暑さに
▼あすの天気のポイント
・広範囲で体温超えの危険な暑さ
・東北は日差し届き、南部で梅雨明けも
・北海道は折りたたみの傘が必要
14日(土)は夏の高気圧に覆われ、西日本、東日本で夏空が広がります。猛烈な暑さで熱中症対策が欠かせません。 (ウェザーニュース)
・・・・・・皆さん、外出時のみならず室内でもスポーツドリンクなどで体を潤してください。
平成になってからの、それまでの御代に比べ、異常気象が群を抜いて多いことは、客観的データとして発表されています。
それが皇室のありようや、祭祀への不熱心さと関わりがあるとは言いません。証明不能のことです。しかしながら皇室の存在そのものが非論理であり、天皇を天皇たらしめる祭祀それじたいが科学など無縁の超常的世界です。
庶民の心情として「ひょっとして・・・・?」と思われるのは致し方のないところではないでしょうか。
から梅雨に続き、記録にもない大雨の次は、炎暑地獄です。
・・・・・というごとき、庶民の非論理的心情を枕に批判を覚悟で以下の記事です。
・・・・・
以下は、過去記事より。(手をじゃっかん加えての再提示です)
自己演出の達人、美智子皇后 《転載可》
(御自愛仮面がはがされるとき ~皇后もう一つのお顔~
という過去記事とリンクさせての記事ですが、いずれ再アップします)
単純な事実経過を知るには便利なので、Wiki記事を引用します。
Wiki
1963年3月4日に第二子懐妊が報じられたが、同月中旬の美智子妃の生い立ちを書いた女性週刊誌連載の小説に絡む小説問題が起こった直後の3月22日に宮内庁病院に緊急入院、翌23日の午後に流産の処置手術が行われた。その後も心身の疲労から体調が回復せず、同年4月より葉山御用邸にて約3か月間ひとりで静養する事態となった。7月上旬から皇太子・浩宮とともに軽井沢で過ごした後、9月1日に帰京し、9月13日の山口国体から、段階的に公務に復帰した。なお、根拠のない中傷に対して一切非難することなく沈黙を守り、その気品ある態度に多くの国民が感銘を受け、週刊誌等の誹謗記事も終熄に向かった。
と、心ない報道に流産してしまったが、一切他者は批判せず健気に立ち直られて、公務にいそしまれた、とその後延々と続くことになる美智子様賛美レジェンドが始まるわけですが・・・・・
しかし、この時の病名は、「胞状奇胎」。
心理的要因ではない病気なのに、心ないマスコミがよってたかって美智子様をいじめたのが原因と書き換えられていますね、今こうして振り返ってみると。
卵子異常による病気で、心因性と言うには無理があるような。物理的要因のご病気を、マスコミからもたらされたストレスが原因と言ってしまえるか・・・・?
国民は漠然と今でも「心ないマスコミを苦に流産され、大変な失意を味われた皇后様」として、悲劇のヒロイン像がインプットされています。
措置は子宮内掻爬です。
間違った報道によるストレスが原因である、と断言できるのか・・・。
再び「報道によるストレス」で、失声症となられるのは1993年(平成5年)10月20日のこと。満五十九歳のお誕生日のことです。
1993年は皇太子殿下と雅子妃の成婚の年です。
4月12日、皇太子と小和田雅子の「納采の儀」、6月9日、結婚。
皇后の失声はその4ヶ月後ですが、それまでの皇后に関する報道の主たるものは・・・・
●天皇陛下が民のためを思い、大事に残されていた森を伐採させて、映画鑑賞まで出来る超豪華宮殿を建てられた。(⇒事実。今の視点で見れば、少なくとも森伐採を拒否できるお立場にはあられた)
●宵っ張りで、夜遅くまで女官をこき使う。(⇒不明)
●高価な衣装の取っ替え引っ替え。(⇒事実ですけどねえ)
●皇太后放置、会いに行きもしない。(⇒皇太后と同じ敷地の御陵拒否から、あるいは?)
吹上御苑内にある超豪華な「お家」が完成した年、1993年に流産報道以来、遠慮していたマスコミが批判を再開したのです。
そして、失声症。
インパクトの強いお誕生日の日にという劇場型・・・・とつい皮肉を言ってしまいたくなるのですが、失声症でまた皇后批判は、パタリとやみ、賛美に傾いて行き、再び皇后の勝ち。
失声症の回復の時には「復帰のお言葉」が発せられます。
「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」
と謙虚にお答えになり、しかししっかりと報道内容否定。
省みるよすが、とおっしゃるわりには、まめに週刊誌その他をチェックなさり、あちこち抗議をさせていらしたようですが。
昭和大帝が保存を強く願われた森の伐採は端的に事実なのに、どさくさ紛れに「事実でない報道」と言ってのけちゃってますね。
(報道はほぼ事実だったと思いますが?)
ショックを感じるとよくお倒れになることも、レポートされています。
初めての人は青ざめるのですが、主治医は平然、「よく倒れられるのですか」と問われて「ええ」と無造作なお答え。
演技でなければ、極度の癇癪持ち、ヒステリー体質で、世慣れぬ、女慣れしていない天皇陛下は肝をそのつどつぶし、そうやって自ずと皇后陛下の顔色をうかがうようになられたのかもしれません。
以前、何かの記事で皇居内にはよく、何かを咎めだてする皇后の甲高い声が響き渡っている、と読んでその頃はそんな記事を、一笑に付していたのですが・・・。
人からの忠告や批判は気に食わず、いじめと捉え根に持たれるご性格のようで、批判の言葉を幾つか残した浜尾侍従の逝去に際してはご自分はおろか、皇太子にも葬儀に参列させない、こわい面をお持ちです。
葬儀会場である教会は、皇居から歩いても10分、車なら5分以下の至近距離なのです。
浜尾さんのおかげで幼少年期の皇太子の、ボロが出ずに済んだのに。
浜尾さんも、弟がバチカンの枢機卿でバリバリのカトリック教徒。「お仲間」でしょうに。
現皇太子は「おーちゃん」と呼んで慕い、親王の学校行事・面談に出席することもあり、親代わりでもあった人です。
その方の葬儀には出ず、皇太子もやらず、その一方で森村桂の葬儀には出られ、弔辞まで読まれているというのに。
それに、自殺した方に、皇后の立場でいかがなものでしょうか。
皇太子が浜尾氏の葬儀に行かなかったのは、雅子妃の差金かと思っていたのですが、皇后陛下の浜尾氏への復讐であったようです。
相手は死者なのですが・・・・。
森村さんと両陛下の交流ぶりは、立ち会ったカメラマンが記しています。
h ttp://ameblo.jp/zero21nk/entry-10490582174.html
皇后陛下が「キャハハハ」と笑う。
キャハハ、に違和感がありますが朝日新聞の記者に、入内前の美智子さんのテニス中「やばい!」という発言を書かれています。やばい、とキャハハが実像に近いのかもしれません。
天皇陛下は「女房に尻に敷かれている」と森村氏の夫と盛り上がっていたと記されています。
こういうこと、一般の前でおっしゃいますか・・・・皇室では女性上位はご法度のはず。
すでに、美智子女帝への道は皇太子皇太子妃時代に形作られていたようです。
その場に居合わせたカメラマンの証言です。転載不可だそうなので、原文でお読みください。
しかも、絶句したのは、昭和天皇の病がいよいよ重篤で、毎日の下血が報じられているとき、天皇皇后両陛下は軽井沢の森村桂さんのところへ、遊びにいらしてはしゃいでいらっしゃるのです。
昭和63年9月10日のことで、森村さん夫妻と夕食を楽しまれ、皇后陛下は「キャハハ」と笑われたのでしょうか。
昭和大帝が吐血された時の出来事です。
>1988年(昭和63年)9月以後、容態は再び悪化した。8月15日、全国戦没者追悼式が最後の公式行事出席となり、日本各地では「自粛」の動きが広がった
>1987年(昭和62年)4月29日、天皇誕生日の祝宴を体調不良から中座する。以後、体調不良が顕著・・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
こんな時に、軽井沢の友人の家を訪れ、はしゃいでいたご夫妻?
森村家には社会党の人も出入りしていました・・・・
現天皇皇后夫妻とも、森村家で接触、談笑していらっしゃいます。
社会党の人間と交わる天皇皇后両陛下・・・・。辻元清美と親交のある皇太子殿下のお姿を彷彿とさせます。習近平氏の奥方、人民解放軍の幹部である人とも交代殿下は、政府の頭越しに接触。
◆耶蘇女子、九条擁護の赤き皇后までの道のり 、という過去記事でも触れているので、いずれ復刻します。
親が体調を崩しついに吐血した時、夫婦で軽井沢に遊びに行き、キャハハとはしゃぎます?
一般でもそんなことはしないのが、常識でしょう。
香淳皇后が長女を喪われ悲嘆に沈んでいる時に、わざわざ那須の御用邸に夫婦で押しかけ、不平不満をぶちまけたというあのエピソードを思い出します。
その間のことは、先稿に記しました。
鬼怒川氾濫の時の、両陛下の美術見物というお心の冷たさに通底します。
こうしてみると、皇太子妃主導でお慎みの日にも遊びにお出かけになる皇太子一家も、結局天皇皇后両陛下の相似形だと思われます。
妃主導のありようも。
失声症から、立ち直られた時の美智子様の第一声も奇妙でした。
「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」
「神道のおうち」の方が使う語彙ではないですね。
ピュリファイではなく「禊となりました」ではないでしょうか。
その母、冨美さんの「ストラグル」という、不思議な言葉の使い方が思い起こされます。
欧州3カ国ご訪問の折、バチカン訪問が付け加えられていて、これが私的訪問かのかどうか、いまだに分からないのですが、バチカンは付け加えられた印象ですね。
とすれば皇后の希望以外にはないでしょう。
....というより3ヶ国の意味が希薄で、まず美智子様のバチカン訪問熱望ありきだった可能性もあります。
後の3ヶ国はどうでもよかった・・・。
当時の記者の感想。
「今回のご外遊の日程にローマ法王訪問が入っているのが不思議です。だって、今回は”三国訪問”と言われ、それは、イタリア、ベルギー、ドイツの三国で、ヴァチカンは入っていない。でも、ヴァチカンは国連に加盟していないが一つの国家です。
つまり、このヴァチカン訪問は国家間の正式な外交なのか、皇室の私的なご交際なのか、よくわからない。
あるいは皇后のご希望だったのか? と、そんな疑問を感じる人もいるかもしれませんね」
・・・・・ここまで
そして、記者会見がバチカン訪問前に行われるのですが、神道の人がバチカンを訪問するに際して、どのようなお考えで、と訊いた外国人記者がいたのです。
「ローマ法王との会見について、神道を家系とする天皇陛下はどんなご感想をお持ちか。また、カトリック系大学を卒業されている皇后陛下のご感想もお聞きしたい」
外国報道機関(10社)を代表して南ドイツ新聞のヒールシャー記者の質問でした。
天皇陛下はそれなりにお答えになりましたが、皇后陛下は頑として答えを拒絶。
前もってそんな質問は訊いていません、と。
普通に、短く適当に当たり障りなくお答えになればよいものを、言外に、その記者のルール違反を責め、答えないことでその記者に恥をかかせたわけです。
海外10社もの代表質問者の質問を拒絶ですよ?
気のお強いこと!
しかも予定外の質問に答えてしまった天皇陛下をも、ドジ扱いしかねない対応でした。
「やっぱり美智子さんってこわいなあ」と居合わせた日本人記者がつぶやきました。
全部予定された質問でなくてはお答えにならないのだそうです。
前もって、さぞかし推敲されるのでしょうね、慈愛優等生のお答えを。
雑な対応でボロ出しまくりの雅子妃と対照的です。
またこの時の予定外の質問内容がカトリックと、ご自身についてのことだったので、アキレス腱だったので余計身構えたのでしょう。バチカン訪問自体がご本人の一種のわがままからですものね。
この時の3カ国訪問はさっぱり意味が解らず、さしたる成果もなく「何しに行かれたの?」と首を傾げられ、2億円(当時の価格)のハネムーン旅行と言われました。
事実はバチカン参拝旅であったのかもしれません。
・・・・・ここまで
という経緯ありで、武蔵野御陵脱出計画はカトリック大事の皇后陛下の神道からの脱出でもありか、と可能性として想定するわけです。
平成が次の御代となった時、皇居から天皇親修の祭祀は途絶えます。
皇太子殿下におかれては人工膀胱で、事前に斎戒沐浴・潔斎が必要な祭祀がおできになりません。
以下 水間正憲氏ブログ
〇《平成を総括すると大災害時代》
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-2863.html
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