空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 公式見解としての「渡嘉敷村史 通史編」③

「重大な事実」とは何か


 今回から具体的な内容の考察をさせていただきますが、最初に取り上げなければならないのは以下の引用文です。


「この事件については、重大な事実が明らかとなっている」


 この「重大な事実」とは米軍が上陸する前から、渡嘉敷島の住民たちに「自決命令」が出されていたということになり、その具体的内容が箇条書きに掲示されているというものです。詳しくは前回の「具体的な内容」をご参照いただくとして、これを簡略化すれば、事前に配布された手榴弾で軍が住民に「自決せよ」と命令した内容だと思われます。
 ただし、この「通史編」だけを読むと、何らかの「重大な事実」が明らかになったのは理解できますが、それがなぜ「重大なこと」なのか、その理由が書かれていないのでわからないかと思われます。特に渡嘉敷島の集団自決に関する「自決命令」云々の顛末を知らない方や、この「通史編」で初めて集団自決を知った方にはより一層のこと分からないのではないかと思われます。
 そういったわけですので、「重大な事実」が何ゆえに「重大なこと」なのかということを、今回はできるだけわかりやすく簡潔に解説させていただきます。

 渡嘉敷島の集団自決が軍の命令で起ったことが世間一般に周知されたのは、1953年発行の「鉄の暴風」が最初です。そこには渡嘉敷島の最高指揮官でもある赤松大尉が住民に「自決せよ」といった内容の命令を下し、しかも最初から決定されていたということが描写されています。さらに「鉄の暴風」は創作でなく小説でもないノンフィクションだといった体裁であることから、ある一定の時期まではこれらが全て事実であるという認識が流布されていました。
 しかし1973年発行の「ある神話の背景」により「鉄の暴風」で描写された集団自決、特に赤松大尉の「自決命令」が当の本人によって完全に否定され、ノンフィクションであるはずだった「鉄の暴風」の信ぴょう性が疑われはじめました。
 そして「ある神話の背景」発行以降は、赤松大尉による「自決命令」があったかどうかの論争が続いていきます。また、1980年代になると「鉄の暴風」編集者と「ある神話の背景」の執筆者とが「沖縄タイムス」紙面上で直接的な論争を繰り広げていました。
 これらの現象は軍による自決命令があったかどうかという点において、いわゆる歴史認識問題が沖縄戦でも提起されていたということになります。
 「自決命令はあった」という立場の人は「鉄の暴風」を根拠にし、また「自決命令はなかった」という立場の人は「ある神話の背景」を根拠にして、それぞれがそれぞれの論理を展開し、それぞれの正当性を主張しているのが1980年代でした。

 「自決命令」の有無はともかく、このような自決命令の論争が続く状況のなか、「通史編」は1990年に発行されました。
 「自決命令はあった」という証拠が新たに見つかり取り上げられているのですから、必然的に「自決命令はなかった」という主張を否定できることにもなります。そういった意味で、特に「自決命令はあった」という立場を主張する側としては、明らかに「重大な事実」となるということが理解いただけるかと思います。

 「通史編」の「重大な事実」は「自決命令があった」という証拠です。従って信ぴょう性が疑問視された「鉄の暴風」の正当性を補完する内容かと思われますが、必ずしもそうとは言い切れない部分があります。「鉄の暴風」では「赤松大尉の自決命令」だったのに対し、「通史編」では「軍の自決命令」あるいは「兵器軍曹の自決命令」となっているからです。
 勿論、指揮系統をみれば、最終的には赤松大尉に辿りつくことが可能かと思われます。
 しかし「通史編」の史料を読む限り、赤松大尉の直接的な関与は見当たりません。指揮系統の遡及はあくまで理論上であり推測であって、少なくとも「通史編」では断定できるものではないし、これをもってして赤松大尉の自決命令とするのは無理があるかと思います。そういった意味では、なおさら「鉄の暴風」との関連性は薄いのではないかと思われます。

 また、この「通史編」に掲載された史料の出現によって興味深い現象が起こります。それは自決命令があったと主張する側は、「赤松大尉の自決命令」ではなく「軍の自決命令」と強調されることが多くなっていき、それが現在(2021年)も続いているということです。
 別の言い方をすれば、具体的なもの(赤松大尉の命令)から抽象的なもの(軍の命令)に変換されているということであります。それと同時に決定的証拠であるはずの赤松大尉の自決命令が「自決命令があった」と主張する側から、何故か無視され始めたという奇妙な現象も起こっているということになっています。
 そして自決命令の根拠となった「鉄の暴風」よりも、公式的な見解として出版されたことが信ぴょう性を増したのか、この「通史編」に掲載された史料が決定的証拠として数々の書物や論文に引用、孫引きされ現在に至っている状況でもあります。

 「重大な事実」というのは、「自決命令があった」とする立場からすれば、非常に有利な史料であることがお分かりになられたかと思われます。
 そして何故か「赤松大尉の自決命令」が無視され、抽象的な「軍の自決命令」がメインとなった転機であるということも、個人的には「重大な事実」だと思っております。


次回以降に続きます。

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