空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 公式見解としての「渡嘉敷村史 通史編」⑤

合囲地境と皇民化教育①

 前回は「鉄の暴風」と「通史編」の関連性についての疑義を呈しましたが、今回からは「通史編」の内容そのものについて考察してまいりたいと思います。

 具体的には自決命令の決定的証拠という「兵事主任の証言」への考察ということになりますが、当ブログでは既に「誰も知らない「兵事主任の証言」」というタイトルで取り上げており、拙筆ながら個人的見解を列挙しております。

 従って内容が重複する部分もあり、同じことを繰り返すことは効率的ではないかもしれません。しかしながらこの「兵事主任の証言」は、自決命令があったと主張する側にとって最重要な事柄であると認識しておりますので、内容は同じでもできるだけ別の視点、あるいは「通史編」に沿った考察をしていきたいと思います。

 まずは「通史編」では箇条書きだった「兵事主任の証言」ですが、さらに理解することができるもの(①と②の部分)として、より具体的な内容を以下に引用させていただきます。


 
 「「島がやられる二、三日前だったから、恐らく三月二十日ごろだったか。青年たちをすぐ集めろ、と、近くの国民学校にいた軍から命令が来た」。自転車も通れない山道を四㌔の阿波連(あはれん)には伝えようがない。役場の手回しサイレンで渡嘉敷だけに呼集をかけた。青年、とはいっても十七歳以上は根こそぎ防衛隊へ取られて、残っているのは十五歳から十七歳未満までの少年だけ。数人の役場職員も加えて二十余人が、定め通り役場門前に集まる。午前十時ごろだっただろうか、と富山さんは回想する。「中隊にいる、俗に兵器軍曹と呼ばれる下士官。その人が兵隊二人に手榴(しゅりゅう)弾の木箱を一つずつ担がせて役場へ来たさ」
 すでにない旧役場の見取り図を描きながら、富山さんは話す。確か雨は降っていなかった。門前の幅二㍍ほどの道へ並んだ少年たちへ、一人一個ずつ手榴弾を配ってから兵器軍曹は命令した。「いいか、敵に遭遇したら、一個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る一個で自決せよ」。一兵たりとも捕虜になってはならない、と軍曹はいった。少年たちは民間の非戦闘員だったのに…。富山さんは証言をそうしめくくった」1988年6月16日付『朝日新聞』(夕刊)



 以上の証言が「通史編」では採用され、わかりやすい箇条書きとなったということになります。

 この証言により自決命令があったという決定的な証拠が提示されたわけですが、この内容を精査してみると、個人的見解として疑問が複数浮かびあがります。特に安仁屋氏の主張する集団自決の原因とされる「合囲地境」と「皇民化教育」に関する点から、いささか肯んじきれないものがありますので、以下にできるだけわかりやすく説明していきたいと思います。

 安仁屋氏が主張する合囲地境というのを極々簡単に言い表すならば、正に安仁屋氏がいう「村の行政は軍の統率下」だったことだと思います。全ては軍が管理し管轄し、住民はその絶対的な支配体制の一歯車として、全ての思想を含めた生活や行動を軍に「捧げる」ことを第一とする、いわゆる主従関係であるといっても過言ではありません。
 
 またそれは何も戦争を継続するためではなく、それよりもはるか以前の琉球王国が消滅した琉球処分の頃から、俗にいう「皇民化教育」によって日本へ隷属し、沖縄の人びとはそれに甘んじて生きるということを「強制」されたということになるでしょう。「日本人」になることを「強制」したともいえます。少なくともそのようなイメージを持つ方々が漠然的なものも含め、圧倒的多数なのではないでしょうか。
 
 さらにこれらは何も渡嘉敷島に限ったことではありません。戦争中における軍民の主従関係というなら沖縄本島だけでなく、朝鮮半島を含めた日本国全体に当てはまることであると思います。皇民化教育に関しても沖縄は浸透(人によっては強制的に)していく過程が多少遅れただけで、これも結局は日本全体に言えることでしょう。
 
 軍と民の確固たる隷属関係が成立し、あまつさえ一個人ではそのような体制を崩すことが全く不可能な状態あるいは情勢だったのが、当時の沖縄および日本だということがある程度理解できます。そして、これまた一個人が軍の命令を無視、あるいは排除したら誰がどう考えても大問題になることは、戦争を経験した世代の方々は当然のこと、特に沖縄では「スパイ」として、憲兵や特高警察に連行されたこともあったのではないかと思われます。
 沖縄以外でも「非国民」というレッテルを張られるばかりでなく、沖縄と同様官憲に逮捕されたことが少なからずあったでしょう。また、戦後の世代もそのような状態が蔓延っていたと、歴史の教科書や文献等で陰に陽に教えられてきたと思われます。

 しかしながら今回掲示した「兵事主任の証言」を読む限り、さらには信ぴょう性の正否を問わない限り、非常に興味深い事実が浮かび上がっていることが判明します。

 兵事主任は堂々と軍の命令を無視しているのです。
 無視するどころか、恣意的に命令を歪曲しているのです。

 ただし、ここでは兵事主任の行動、即ち軍の命令に対し無視や歪曲した事について非難や批判をする気はないし、支持も称賛もしないということを明記し、問題はそこではないことも付言いたします。


次回以降に続きます。

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