空と無と仮と

ヘリコプターの幽霊を見ちゃった「慰安婦おばあちゃん」

何か月も前の話です。

友人とラーメンを食べていた時のこと。

いきなり「日本のヘリコプターっていつからあるの?」

というようなことを言われました。

 

その友人は自分が軍事オタクで飛行機オタクだということを、

何十年も前から知っていますので、

当たり前のように聞いたのです。

 

ヘリコプターの歴史は知らないことはないですが、

日本のという限定つきだから、

ちょっと答えられなかったです。

飛行機オタク失格ですね。

 

その前に「なんでそんなことを聞くの?」

という不思議さがありました。

 

その友人も自分と同じように歴史が好きで、

特に幕末あたりが好物なのですが、

どうも、

とある「従軍慰安婦」証言をインターネットか何かで読んだそうです。

そのすぐ後に自分と会ったものですから、

特に考えもしないで聞いたそうです。

 

要はヘリコプターを見た「従軍慰安婦」の話です。

 

その話はすぐに理解しました。

そしてくどくど説明しました。

なぜかというと、

この証言というのはそれなりに有名な話でして、

もう何年も前から取りざたされて、

自分もインターネット経由で知りました。

 

皆さんも知っていると思われる話で、

と同時に、非常にバカバカしい話でもあるのです。

 

非常にバカバカしいから、

初めて知った瞬間からどうでもいい話になりましたが、

意外と知らない人もいるんだなぁ…

という思いもありますね。

身近な人だからかもしれませんけど。

 

今回はバカバカしいと思わないで、

ちゃんとまともに考察してみたいと思います。

勿論、ご存知の方には飽きてしまうような話ですが、

飛行機オタクではない一般の人にもご理解できるように、

という趣旨でありますから、

そこは大目に見てやってくださいね。

 

日本軍に強制されたといわれる「従軍慰安婦」ですが、

その元慰安婦の証言は生存者が多いこともあってか、

それこそ多種多様でございます。

 

なかでも今回取り上げる証言を要約しますと、

  1. ヘリコプターがある部隊の近くに連れていかれた
  2. ジープに乗せられた
  3. クリスマス休暇のせいで、いつもより多い兵士の相手をしなければならなかった

ということを証言したそうです。

 

誰が言ったのかはともかく、

どこでそのような証言を披露したのかと調べましたところ、

どうやら大阪市長との面談の時だったようです。

 

大阪市長の面談というのは、

当時橋下徹氏が大阪市長だったころで、

その橋下氏が「従軍慰安婦」についての意見を披露したところ、

大きな波紋を呼ぶことになりました。

皆さんもテレビとかで覚えているかもしれませんね、

この一連の騒動は。

 

何を言ったかはともかく、

また、どういった経緯なのかは知りませんが、

その大阪市長である橋下氏と「従軍慰安婦」二人による、

直接の面談が決まりました。

 

しかしながら、

結局のところ面談は中止されました。

 

理由というのは「従軍慰安婦」側からの要請で、

自分がYoutubeでその支援団体の会見を見たところ、

二人が「疲れている」という、

体調を気遣ってのことでした。

 

車いすに乗って移動しなければならない高齢者を、

わざわざ外国から招いておいて、

複数の県や複数の講演会へ何度も何度も引っ張り出して、

二人を疲れさせたのはどこのどいつだ?

という素朴な疑問はともかく、

その時に二人のどちらかがおっしゃったようです。

 

さて、まずクリスマス云々という証言は問題外です。

そもそも日本軍どころか当時の日本には、

クリスマスというものに対する慣習がありません。

もちろん、キリスト教信者は別ですが圧倒的少数ですね。

 

次にジープに乗せられたというものですが、

実はこれ、ありえない話でもないのです。

 

「鹵獲」というのはご存知ですか?

「ろかく」と読みます。

要は敵が使っていたものを、

自分たちがそのまま使うということです。

兵器はもちろんのこと、

それ以外のものも普通に使っていました。

これは古今東西関係ありません。

従って日本も米軍が放置した兵器・車両を普通に使っていました。

 

ジープというのは、

まず間違いなく「ウイリスMBジープ」でしょう。

壊れにくくメンテナンスが簡単で、

しかも扱いやすいと、

現地の兵士たちから評判の高い車両だったそうです。

米軍が行くところには、

必ずこのジープがありました。

日本軍が使ってもおかしくはありませんね。

 

そして最後にヘリコプターの件ですが、

1945年8月15日以前において、

日本にはヘリコプターというのが存在しません。

 

ただし、

ヘリコプターに似ているものはありました。

オートジャイロという機種です。

現代のヘリコプターと同じように大きな羽、

ローターといいますが、

オートジャイロにも同じようなローターがついています。

 

しかしながら、

少なくとも朝鮮半島には実戦配備しておりません。

つまりヘリコプター自体がないのです。

 

ちなみにアメリカの場合はどうだったかというと、

第二次大戦のころはまだテスト飛行段階です。 

また、ヘリコプターを初めて配備・運用したのはドイツです。

もっとも、運用自体が実験段階であったらしいです。

 

とても奇妙奇天烈な証言ではありますが、

実をいうと時間軸をずらして考えてみれば、

物凄く辻褄が合う話にもなってしまいます。

 

1945年8月15日以前の話から、

1945年の5年後、

1950年ごろの話にすると、

妙に説得力が出てくるのです。

 

1950年ごろといえば朝鮮戦争ですね。

  1. ヘリコプターがある部隊の近くに連れていかれた
  2. ジープに乗せられた
  3. クリスマス休暇のせいで、いつもより多い兵士の相手をしなければならなかった
 
これを日本軍ではなくアメリカ軍に置き換えると、
非常に非常に説得力があることになるのです。
 
 
ヘリコプターの件ですが、
米軍が本格的にヘリコプターを使用したのは、
朝鮮戦争の頃からでした。
 
使用用途は主に患者の移送です。
その当時のヘリコプターは実用化されたとはいえ、
パイロットを含めると数人しか乗れません。
そういったわけで重いものが運べません。
 
それでも、垂直離着陸ができるというのが最大の利点なので、
滑走路がない場所ではかなり重宝されました。
 
特に緊急性を要する重傷患者の移送は、
ヘリコプターにしかできなかったのです。
 
ちなみにヘリコプターの偵察・輸送・攻撃といった、
本格的な実戦配備はベトナム戦争の頃になりますね。
 
 
 
日本軍や日本の責任を追及する「従軍慰安婦問題」なんですけど、
なんかおかしなことになってますね。
 
 
ま、一番おかしいのは、
このような証言を
「強制の証拠だ!」
「日本は謝罪しろ!」
と声高に叫ぶ人たちでしょう。
歴史学もクソもないって感じですね。
困ったものです。
 
 
それとも、この世に恨みや未練を残したヘリコプターさんが、
何かを訴えようとして、
あの世から時空さえも超えて出てきたのでしょうか?
 
 
そう思うと、
なんだか背筋がゾッとするような怖い話ですね…
 
 
 
 
ウソですけど。

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