空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誰も知らない「兵事主任の証言」④

曖昧な前提条件③とまとめ

 

  •   話したことがあれば、という条件
  •   書いたことがあれば、という条件
  •   聞いたことがあれば、という条件

 

 前回は「書いたことがあればという条件」を考察しましたが、今回は「聞いたことがあれば」という条件について考えていきたいと思います。これは兵事主任の証言を本人以外の誰かが、具体的には1988年以前にも聞いたことがあるかどうかについてです。

 ただ前回までとは違って少し事情が異なり、やや複雑な様相を呈しておりますので、できるだけわかりやすく説明することに努めてまいります。

 

 まずは引用文を時系列順に提示します。少し長くなってしまいますが、複雑さをできるだけなくすための作業ですので何卒ご了承ください。

 

①  「(金城重明氏の証言──引用者注)当時の役場の担当者に電話で確認を取りましたら、集団自決が起こる大体数日前ですね、日にちは何日ということはよくわかりませんけれども、日本軍の多分兵器軍曹と言っていたのでしょうか、兵器係だと思いますけれども、その人から役場に青年団員や職場の職員が集められて、箱ごと持って来て、手榴弾をすでに手渡していたようです。一人に二箇ずつ、それはなぜ二箇かと申しますと、敵の捕虜になる危険性が生じた時には、一箇は敵に投げ込んで、あと一箇で死になさいと」──安仁屋政昭編 『裁かれた沖縄戦』(晩聲社 1989年)

② 「私は金城牧師(金城重明氏──引用者注)と話すチャンスがありました。「先生、あの自決はほんとに赤松が命令した自決なのか。どうでしょうか」「私は知らない。当時の私は日本人としてお国のためなら親兄弟を殺してもなんでもないと思った。赤松隊長の命令だったということはまったく知らない」──富村順一 『沖縄戦語り歩き 愚童の破天荒旅日記』(柘植書房 1995年)

③ 「渡嘉敷島の「集団自決」は、一九四五年三月二十八日、米軍上陸の翌日に発生しました。しかし実は、その一週間ほど前に、軍は、兵器軍曹を通して村役場の男子職員や青年たちに手榴弾を配り、「敵軍に遭遇したら、一個は敵に投げ込み、他の一個で自決しなさい」との指示を与えていたのであります。──金城重明 『「集団自決」を心に刻んで 一沖縄キリスト者の絶望からの精神史』(高文研 1995年)

④ 渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告岩波側の証人として出廷。兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」訓示があったと、後になって当時の兵事主任から聞いたと証言。(中略)被告代理人によると、金城氏は、当時の兵事主任だった富山真順氏から「米軍が上陸する一週間前に、兵器軍曹が役場に青年団や職員を集めて手榴弾を一人二個ずつ渡した。『一個は敵に投げ、もう一個で死になさい』と訓示していた」という話を聞いた、と証言した。──『沖縄タイムス』(2007年9月朝刊)

⑤ 「(執筆は金城重明氏──引用者注)皇軍が住民に手榴弾を配ったという事実は、渡嘉敷島では二度あった。第一回は、米軍上陸(一九四五年三月二七日)のおよそ一週間前に、約十数人の役場の男子職員と青年たちが、兵器係の下士官に呼び集められた。部下によって手榴弾が運び込まれると、兵器係の下士官は、呼び集めた十数人の役場の男性たちと青年に、一人に二個ずつ手榴弾を手渡す、という前代未聞の事件が起こった。その時、下士官は村の男性たちに「敵に遭遇したら一発は敵軍に投げ込み、残る一発で自決しろ」と命じた。第一回目の自決命令だったのである。」──沖縄タイムス社編 挑まれる沖縄戦 「集団自決」・教科書検定問題報道総集』(沖縄タイムス社 2008年)

 

 兵事主任の証言を「聞いた」という主張をなさっているのは、集団自決の当事者でもある金城重明氏です。戦後はキリスト教の牧師になり、沖縄基督教短期大学の創設者でもありますし、集団自決に関するものに興味がある方なら、講演会等で実際に話を聞いた方もおられるかもしれませんので、経歴等は省略します。

 

 兵事主任の証言に間違いないのであれば、金城氏は当時16歳で阿波連地区に住んでいらしたということなので、役場前で渡嘉敷地区の少年たちにしか配らなかった手榴弾は当然受け取っておらず、ご本人もそういった旨を証言しています。

 

 それでも「聞いた」ということを主張しているのですが、ではいつ聞いたかということになりますと、①の引用文にある通り戦後になってから「後日談」のようなかたちで、元兵事主任から聞いたということです。

 ①の引用文は1988年2月9日に行われた、いわゆる家永裁判の原告側証人として出廷した時の証言ですから、少なくともそれ以前は知らなかった、ということになります。この時点でも兵事主任の証言は前回考察した安仁屋氏の件も含め、いまだ兵事主任だけしか知らないという状況です。

 

 しかしながら、年月が経過するごとに意図的なのか無意識なのかはわかりませんが、その「後日談という事実」が後退していきます。同時進行で兵器軍曹から手榴弾を渡されたという事柄が全面的に強調され、集団自決が「軍の命令あるいは強制」された根拠として決定的な役割を担っていくことになります。

 

 ただしここで強調しなければならないのが、金城氏が「嘘をついているのかどうか」を追及することではないことです。むしろ兵事主任の証言に関しては、金城氏が虚偽の証言をしているとは思いません。

 

 金城氏の証言というのは「当事者の証言を聞いた当事者」という構造になると思います。資料という観点からすれば貴重で重要な一次資料ですから、そういった意味では重厚なものでもあると思います。

 現に「軍の命令あるいは強制」説を主張する論調においては、この「当事者の証言を聞いた当事者」が決定的な証拠として、必ずといっていいほどに取り上げられています。前回考察した沖縄国際大学名誉教授である安仁屋氏の主張が典型的な例でしょう。

 

 2019年現在でもそれが「沖縄全体」として継続しております。ゆえにそういった現象は文献やインターネット等で簡単に見聞することができるので、ここでの具体例掲示はあえておこないません。興味のある方はご自分で検索なさってください。

 

 「当事者の証言を聞いた当事者」という決定的証拠によって、あたかも「軍命令・強制」説に裏付けがなされた様相を呈していますが、前述した「後日談」ということが無視されていることにもつながります。

 つまり、結局は出所がいまだ元兵事主任だけであるにもかかわらず、その原因も考察されないまま既成事実化されているということです。それが意図的なのか無意識なのか、あるいは考察不足によるものなのかはわかりませんが、何の抵抗もなしに2019年現在も主張され続けているということです。

 

 以上、「話したことがあれば」「書いたことがあれば」「聞いたことがあれば」という条件で、兵事主任の証言を考察してきました。 

 個人的見解としては「誰も知らない」兵事主任の証言としか言いようがありません。

 渡嘉敷島の誰もが「当然のように知っている」はずだった「役場前の出来事」は、結局はネタ元である元兵事主任と安仁屋氏と金城氏しか知らないのです。しかも安仁屋氏と金城氏は、当の本人から数十年後になって初めて聞いたというのです。
 しかもたった3人しか知らないのに、巧みな「誰もが知っていた」という印象操作を行うことで、現在では既成事実となりつつあるのです。

 こういった「誰も知らない」という現象を脱却しない限り、決定的な証拠とはなり得ないものだと思います。
 勿論、再三している通り実際に参加した人あるいは聞いた人がいて、戦争中や戦後になってお亡くなりになった可能性も否定できません。それに証言というのはあくまでも個人個人の記憶が唯一の頼みなのですから、忘れてしまったり思い出せなかったりすることも多々あると思います。

 しかし、誰も知らないどころか、相互参照や相互補完さえ不能な状態であり続けるならば、それを一次資料として位置付けるということについては、個人的見解として疑問を持たざるを得ません。
 たった一つの資料を決定的証拠として取り上げてしまうということは、多角的な考察を一切無視する行為と同じことになってしまいます。したがって「軍命令・強制」説の根拠は、それ以外の説を何の考察もなく退けているに等しい行為ともいえるのです。
 
 上記のように兵事主任の証言を決定的な証拠にするという論理を適用するならば、赤松大尉の「自決命令は出していない」という証言も、当事者の貴重な一次資料ですから、当然のごとく自動的に決定的な証拠として認めなければなりません。
 しかし現状では特に「軍命令・強制」説を主張する論調においては、赤松大尉の証言どころか、日本軍全体の資料を信用しない傾向があります。これは資料を「事実か否か」というよりも、資料を「信じるか否か」という観点で考察するような問題をも含んでいると思われますが、ここではこれ以上追求しません。

 2019年現在、本当に「誰も知らない」兵事主任の証言になってしまっているこの現状、皆さんはどうお考えになるでしょうか。

 
 これで誰も知らない「兵事主任の証言」を終わりにしたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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