ばん馬のいる風景-BANEI Photo Gallery -

ばん馬の写真とコラム。2021年夏まではツイートまとめも載せています。

報せる、ということ

2017-11-14 22:30:52 | 2017年
ロジータの訃報が流れてきた。
ロジータがこの世からいなくなってから発表までのタイムラグに、
新聞のコラムで「ファンの馬」と題して馬の死をどう知らせるか、
悩んだことを書いたコラムを思い出した。(10月30日の道新十勝版です、電子版で読めますんでよろしく汗)

キタノタイショウの訃報を聞いたとき、どうやって報じるか悩んだ。
いいニュースはすぐに知らせたい。でも悲しい話題はいつも頭を悩ませる。
コラムに書いたのは、ある名馬の時に取材を断られた、という話。(某中高年の★馬…)
死を隠すのではない。なくなった馬を引きずるのは今いる馬に失礼だ、という独特の死生観からだ。
それはこのオーナーが特別なのではなく、このような考えの人はかなりいると思う。

逆に、ファンに向けてきちんと伝えようとした律儀な人の馬が、
その死を繰り返されることになってしまうのもどうかと思う。そんな馬も過去にいた。
今、訃報はツイッターでリツイートされ、Facebookでシェアされる。何度も何度も訃報を目にするのは辛い。

とはいえ、愛されて幸せに生きて、ある日命を失って、弔われて。
その生き様を知らない人に「知らないうちに消えていった」と言われるのも不本意だ。

サラブレッドも今、ルールに基づいて伝えられているのは、
少しずつ「ファンの馬」という考え方が浸透してきたからだろう。昔は今のばん馬と同じような感じだったと思う。
ばんえいも少しずつそういう流れになるだろう、と思っている。死についてだけではなくて、幅広い意味で。
いずれにせよ難しいことなんだけど。

タイショウは、まさに取材しよう、と考えていた時だった。
その週の草ばん馬は、タイショウの話題で持ちきりだった。
多くの人が「寿命だ」といった。馬は、生き物は儚いということを知る人たちの声だった。
浜中は霧の多い町だ。霧の中でたたずむタイショウの馬体が、黄金に輝く-。そんな姿を見たかった。
そんな姿を想像しては涙が流れた。もう一度会いたかった。

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