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ばん馬のいる風景-BANEI Photo Gallery -

ばん馬や馬文化のコラムと少し写真。そのうちはてなに移行します。

2006年のこと その8

2020-10-16 23:41:29 | ばんえい資料
(7月以来、久々の更新となります)

競馬場の人間や生産者の動きを見ながら、単純にファンがもっと動けないのかな…と思っていた。
私がいた札幌は、古林先生を中心に、血統評論家の高野さん、「学生愛馬会」の学生や昔からのファンなどが集まっていた。
騎手からも連絡を受け、札幌に馬を連れていくなどして大々的に署名活動をしよう! という話になったので、古林先生と連絡を取りながら、いろいろと動いていくことにする。

署名活動の候補場所は大通公園(ほかにも署名をしているのを見たことがあるので第1候補)、札幌駅、道庁(馬を置いてのイベントをしたことがあるので)、4丁目交差点、イオンなどが案として上がる。地下街、コンコース、狸小路、NHKなども含め、いくつかの管理場所に電話をかけて署名が可能かと馬を置けるかについて確認する。
このとき電話したことで、管理場所とか歴史とか、いろいろわかって勉強になりました。「道営競馬は板垣市長の頃からね~」とか語ってくれた方もいました(笑)
結局馬を連れてくることは無理で、場所だけ大通に決定した。4丁目付近だったはず。

この頃、2chでは私について「赤の他人が存続を訴えて」みたいなことを書かれていたらしい。
ここが大事だと思っている。関係者が存続を訴えるのは当たり前。ファンがなぜ、残してと強く訴えるのか、というところなのだ。
なくなって悲しいものを悲しい、と言ってはだめなのか。
「門外漢の自分が言っても…」と行動を躊躇する人っているけれど、そんなことをしていると本当になくなってしまうよ。
外の人間が動くことが大事なのだ。

2006年のこと その7

2020-07-07 23:48:15 | ばんえい資料
2006年。個人的には別れが相次いだ。
最近会ってはいなかったけれど、大切な友人が亡くなった。
晩年はつらい思いをした話を聞くと、なぜ…と、1年くらいはふと思い出して涙を流すなど引きずっていた。
恋人とは連絡が取れなくなった。そのほかにもなんかあったような。
私から、ばんえいも奪ってしまうのか。それだけは阻止したいと思った。

12月、帯広開催が始まる。

いろいろと活動をする中で「ついてるな」と思うことはあった。
なぜかタイミングがよかったり。その偶然に期待をかける。

表には出ないけれど、いろいろな人や団体が寄付をしていたと聞く。
どうすれば存続できるのか、市の予算を計算してくれていた方もいたようだ。
各団体が独自に運営できないか、考えていた話も聞く。
帯広市役所には電話がたくさんかかってきていたそうだ。廃止するな、という内容なんだけど、頑張ろうとしている市に対して罵詈雑言を述べる人もいたらしく。
担当者に長電話で廃止するなと訴え続けた、と言ってきた人にはさすがに私も忠告したなぁ。

見えないところで、大きなものが動き、存続させていたのだと思う。情熱と力、能力のある人がいて、それは誰一人欠けても存続はなかったのだと思う。ファンの1署名だって。

帯広では誰に連絡をすればいいのか私たちは困っていた。誰も知り合いがいない。
開催が始まると、なんだかんだでつながっていった。
12月1日、帯広で街頭署名を行った時の発起人の一人は清原さん。NPOの前身「ばん馬を愛する十勝の会」を立ち上げた。
「雪に願うこと」の原作「輓馬」の小説家、鳴海章さんなど何人かが動き始めていた。
署名の日は、最初に来た人が「活動資金にして」と貯金箱ごとお金を渡してくれて感激したと、あとで清原さんに聞いた。

2006年のこと その6

2020-07-05 18:22:34 | ばんえい資料
北見開催最終日。メインの4歳オープンを勝ったのはカネサブラックだった。
毎日誰かかんかと電話はするし夜中まで情報ページを逐一更新するしでここ最近の睡眠時間は3時間ほど。
北見ではずっと競馬場にいて調教撮影まで。体はぼろぼろながら気持ちで動いていた。
調教師は引っ越しが終わらないと嘆いていた(笑)。
やることはやった。あとは待つだけ。皆と同じ、そんな気持ちだった。
挨拶する北見市長(と記憶していたが職員かも。北見記念は市長欠席)への怒号が飛ぶ。テレビ局、新聞社がたくさん来ている。

帯広に帰るJR北見駅のホームで、Mさんから電話がかかってきた。
「大丈夫だ、今日、帯広市長の発言が……」
ここの記憶が定かではないのだが「存続とは言わなかったけれど、方法を考える」というような、言葉の受け取りようによってはつなぎ止める方法を考える、というような内容だった。可能性は0ではないということ。
そんな小さな可能性に希望を持ち、前を向いてばんえいを続けようと尽力していた。

11月30日、「ばんえい競馬情報局」の担当者たちが、新しくサイトを立ち上げた。
「つづけよう! ばんえい競馬」。
存続させたい、というだけではない。どうすればいいのか、という提案を募集するサイトだった。
あくまで前向きに、「存続後」を語る場だ。その存在だけで、気持ちが救われる部分も多かった。
それは今実現しているものもあるし、話し合いの場が設けられ、近いところまで実現したことも多い。

得体のしれない私のサイトよりは、著名人が立ち上げてくれたことで、紹介しやすいというのはあるだろう。実際そのような流れはあちこちで感じていた。客観的に考えても、プロサイトがあることはとてもやりやすいはずだ。
どんなに頑張っても、素人の力ではどうにもならないことがある。

私はこの頃から当時のことを忘れないようにとメモを残しているんだけど、
「関係者好きが、語ることを楽しんでいるだけのよう。しかし2chや自分のブログで語るだけで外に意見できない人が動くには有効だろう」と厳しいことを書いてるww
そういう人もいたって話ね。
真剣にばんえいの存続を願う人がいる中、この場に及んで関係者とのつながりかい。とがっかりしたな。

2006年のこと その5

2020-05-14 20:50:22 | ばんえい資料
そんな中、北見の馬主Mさんが、署名のページを見て連絡をくれた。
私のページを見て、「この人なら大丈夫だ」と、信頼して連絡をくださったそう。嬉しかった。
北見のフリーペーパーを発行していたMさんは同じようにばんえいの応援サイトを作り、騎手のコメントなどを載せていた。
ここでも署名用紙を使いたいという話で、そこから発展し、その後農協連のサイトにも置かれたりと、あちこちでKさんの作った署名用紙が使われた。
最後まで一番お世話になったのがMさんで、私がファンとしてやろうと思っていることを理解してくれ、力になってくれた。

怒涛の11月。この頃は「ばんえいを守りたい」といういろいろな人と連絡を取っていた。
私の周りでは、いろいろな地域の人が連絡を取り合って、署名を集めることができたように思う。
相手の立場なんてかまっている場合ではない。とにかく必死だった。知らない番号からよく電話がかかってきた(笑)。
酔っ払ったS堤さんとか(笑)

道営の笹木美典騎手は、同僚騎手の署名を集めてくれた。
ライバルにあたるから署名は難しい、と考える人もいる中「同じ競馬だから」と積極的に動いてくれた。本当にありがたかった。
少しあとの話だけど「聞かなかったことにします」と言って、道営の関連施設で署名させてくれた方もいました。


11月の北見開催。
寝不足だったけれど、できるだけこの景色を覚えておきたいと2週続けて競馬場に通った。
ゴール前の坂はたまらなく興奮する。私は今でも、北見が一番好きな競馬場だ。
朝調教の景色は美しすぎた。

北見記念は、友人に頼んでAibaで全頭の名前入り単勝馬券を買ってもらった。
(当時は競馬場では馬名が入らなかった)

アンローズ、スターエンジェル、タケタカラニシキ、トモエパワー、シンエイキンカイ、ヒカルセンプー、サダエリコ、ミサイルテンリュウ ……

目の前のこの素敵な馬たちが、ただの馬になる。
そんなこと、想像できる?
競馬がなくなれば、競走馬として与えられた名前、これまでの成績、頑張りが、全て無になる。
「ただのウマ」になる。

家畜改良センター十勝牧場の馬名のつけ方

2020-05-05 09:23:21 | ばんえい資料
十勝牧場で生産された馬は漢字2文字なのはご存知ですね。
実は名前の付け方にはルールがあります。
この2文字で、父と母を表しているのです。

父、母を表す漢字一文字のことを「代名字」といいます。
牡馬は父の代名字が前、牝馬は母の代名字が前につきます。

誰をモデルにしようか…では、十勝牧場生産の現役競走馬、サクラシルバーでいきましょう。
登録名は「湶受」でした。父・ユネスコ ド テューレ、母・伝禄。
サクラシルバーは牡馬なので、湶がユネスコ、受が伝禄を表しています。
姉が2頭いて、それぞれ受燿、受淳、と伝禄の代名字「受」を前につけていますね。

さて、父親の漢字はその年ごとに変わります。変えないと全兄弟が同じ名前になっちゃいますからね。
ということで2017年(H29)生まれのユネスコ産駒は「湶」でした。

十勝牧場の種馬の代名字を調べてみると
生まれ ユネスコ ウルマ
2013 滴    枢
2014 游    嵩
2015 沐    安
2016 澪    権
2017 湶    桓
2018 洸    梯
2019 涼    梢

で、おおよそ共通点があります。
ユネスコはさんずい、ウルマは木へん。途中で違うのもありますが汗 どうしたんだ…安だと人の名字状態になっている…
ちなみにラブリーは虫へんです。トウカイシンザンは心(りっしんべんも含む)が多いです。

受燿の父は灼情(H24生)、受淳(H25生)の父は芯情。
燿と淳がそれぞれH24灼情、H25芯情の代名字なんですね。
昨年初仔が生まれたエランは勘、ファビュルーは晴でした。エランは力シリーズなんだろうか…
(追記)
2020年生まれはエランが勢、ファビュル―が映。それぞれ力、日へんのようですね。

ということでだんだん漢字がなくなってきたからなのか、めちゃくちゃ難しい字とかつけてる子いますw
という話を牧場の方にしてみたら、そろそろ昔使った漢字が戻ってきているそうです。そうしないと馬名が第2水準だらけになってしまう…
そのうち名前見て血統言い当てられるくらいマニアになってみてくださいw

このルールって御料牧場もなので伝統的なものなのかなと思います。皇室の馬車馬がこのルールでしたね。テレビで特集されていた「岸菖」も。
このルールを使っている個人牧場がたまにあってめちゃときめく…

(2021年加筆修正済)