個人的な話をすると、人間のコロナから始まり、馬パラチフス、馬コロナ、今回の馬インフルと続いたため、取材がなかなかできないままだ。ようやく、と思ったところでまた厩舎も牧場も行けない。ただでさえ門戸が開かれていないのに。この時期の馬のことを紹介できないという悔しさのほかに、全体的な取材慣れ、という点でも気がかり。もう手遅れかなと感じることも。
本当なら、今の厩舎の状況をファンに伝えられる、そんなライターでありたかった。
レースを取材する記者が少ない中、取材、報道とはどのようなものかを伝えていかなくてはいけないなと思う。SNS、動画が加速して取材の原点がわかりにくくなっている今、それが難しくてもどかしく思う。
ほかの競馬場に比べるとかなり取材場所が限られているばんえいだが、Xを見ると主催者が入り込んだ映像や写真を撮っていて忸怩たる思いに駆られる。そのつらい思いを感じてもう十数年だ。よく続けていると思う(人にも言われる)。
帯広に住んでも仕事がないから、競馬担当はたまにしか来れない。何かのタイミングで来るライターやカメラマンは、苦笑し、そのうち「ばんえいはあまり行きたくない」といい、姿を見なくなる。ファンもだけど、言わずに去って行くんだよ。そういい続けているのだけど、伝わっていないようだ。
みんなが「また取材に来たい」「楽しかった」「北海道に来たからばんえいも寄ろう」と言ってほしい。そう思ってもらえるようサポートはしているつもりなのだけど。
私に対してはわざとやられているかもしれない。それでほかの人たちが同じような目に合うのなら申し訳ない。自分で発信できる時代、自分はばんえいにとってもう必要はないのだろう、といつも感じている。だらだら続けているけれど。
馬はかわいいだけじゃなくて仕事ができる尊さがある。日々馬と過ごす人たちには口に出さない愛情や信頼感があって、それはわざわざ言葉にすることがないと思って過ごしているように思う。そうやって開拓者も暮らしていたはず。
そんな細かなエピソードを伝えていきたかった。競馬場の馬たちの美しさをもっともっと見せたかった。そこから馬にかかわる人たちの馬へのとてつもない愛情が伝わっていくと信じているから。
本当なら、今の厩舎の状況をファンに伝えられる、そんなライターでありたかった。
レースを取材する記者が少ない中、取材、報道とはどのようなものかを伝えていかなくてはいけないなと思う。SNS、動画が加速して取材の原点がわかりにくくなっている今、それが難しくてもどかしく思う。
ほかの競馬場に比べるとかなり取材場所が限られているばんえいだが、Xを見ると主催者が入り込んだ映像や写真を撮っていて忸怩たる思いに駆られる。そのつらい思いを感じてもう十数年だ。よく続けていると思う(人にも言われる)。
帯広に住んでも仕事がないから、競馬担当はたまにしか来れない。何かのタイミングで来るライターやカメラマンは、苦笑し、そのうち「ばんえいはあまり行きたくない」といい、姿を見なくなる。ファンもだけど、言わずに去って行くんだよ。そういい続けているのだけど、伝わっていないようだ。
みんなが「また取材に来たい」「楽しかった」「北海道に来たからばんえいも寄ろう」と言ってほしい。そう思ってもらえるようサポートはしているつもりなのだけど。
私に対してはわざとやられているかもしれない。それでほかの人たちが同じような目に合うのなら申し訳ない。自分で発信できる時代、自分はばんえいにとってもう必要はないのだろう、といつも感じている。だらだら続けているけれど。
馬はかわいいだけじゃなくて仕事ができる尊さがある。日々馬と過ごす人たちには口に出さない愛情や信頼感があって、それはわざわざ言葉にすることがないと思って過ごしているように思う。そうやって開拓者も暮らしていたはず。
そんな細かなエピソードを伝えていきたかった。競馬場の馬たちの美しさをもっともっと見せたかった。そこから馬にかかわる人たちの馬へのとてつもない愛情が伝わっていくと信じているから。