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「おかしな日記?+五七五」

銀河系宇宙太陽系第三惑星地球亜細亜州日本国東北地方
秋田県僻地郡山奥山中軟着陸現在横手市在住乃ブログ

“突然の帰郷”

2005年05月08日 23時23分13秒 | おかしな家族
5月6日夕方6時、なんの連絡もなく息子が帰ってきた。
私の若いときは、こんなでたらめな行動はしなかったと思う。
誰に似たのだろう、連絡なしの行動は理解不能である。

昨年のGWもそうだった.「突然の親孝行」の記事参照して下さい。
実はこれがキッカケで私がブログを始めました。

2,3ヶ月で辞めるのでなないかと思ったそうです。
「祝 50回記念企画」「あっ今日で100回だ!」と続きます。

ブログ悪戦苦闘は、「あっ忘れてた!“6ヶ月だ”」「大変なことに気づく」を参照。
1年よく続いたと、年甲斐もなく呆れていました。

カテゴリーも増えて話題も豊富で、秋田・北海道・関東地区から、現在からいきなり
過去にと、ナニがなんだか訳がわからない記事があるそうだ。通勤途中に携帯で覗い
てるとのことです。「退屈しのぎと時間つぶし」にはいいらしい。

3日記事がないと「親父パワーが落ちたな」と電話が帰ってくるときがある。
今回も言われたが五七五が記事と合わないし、イマイチつまんないとのことだ。
じゃ、自分でも一句も詠んでみろと言いたい。と言うことはみなさんも同じように、
感じているかも知れない。もう少しひねりを加えなければ笑われると言うことか。

自分はブログをやってないのに、言う事だけは一人前だから困ってしまう。
もう少しで1年ですが、326本の記事を投稿しています、と言うことはほぼ毎日です。
まっ、息子に言わせるとコメント陣に助けられているとのことだそうだ。
私もコメント陣には感謝しています。これからも辛口コメントよろしくお願いします。

ここで一句 「一周年 コメント陣に 助けられ まだまだ続く おかしな日記?」

もう  一句 「日記帳 閉じてブログに 切り替える」 三日坊主 

「新一筆啓上」

2005年01月26日 15時58分04秒 | おかしな家族
福井県丸岡町は26日、日本一短い往復書簡のコンテスト、第2回「新一筆啓上賞」の入賞作を発表しました。

今年のテーマは「家族」。大賞に選ばれた福井市の主婦林好栄さんは、長年連れ添った夫から、

夫 「今まで言わんかったけど、まゆ毛の描き方ヘンやと思う」と突然告白され
       ↑
       ↓
妻 「何の関心も、もっていないと思っていたのに」とうれしい戸惑いをつづった。

大賞に選ばれた三重県松阪市の公務員刀根雅巳さんの作品は、愛犬「ハナ」への手紙。

刀根「雨がこう多いと億劫なもんでねぇ。散歩にも連れて行けなくて」とわびたところ、
       ↑
       ↓
ハナ「ごっついストレスたまるわ。おまえも鎖で繋がれてみぃや」ときつい返事。

丸岡町は「ユーモラスな日常生活や感謝の気持ちなど、普通の家族の姿を表現する
作品が多く新鮮だった」と評価しました。

それでは例によって、私も1通妻にあてて書いてみました。

私 「結婚式の写真はY市の写真館のウインドウに飾られたことあったのに」
       ↑
       ↓
妻 「人のこと言えるの?あの頃の面影がないのはどっち」と鏡を渡された。

う~~む、時代の流れを感じる今日この頃です。

ここで一句 「若き日の 写真と見比べて 妻が言う この人何処へ 行ったのだろう?」

(なお、勘違いされては困るので、カツラではありません体形の事です)

追記 ただいまダイエット計画中です、最低でも10 kgは減らしたい。

お年玉

2005年01月13日 21時33分14秒 | おかしな家族
元旦の朝の話です。
朝10時頃です。下の娘がそれとなくお年玉の催促を始めました。

妻  「そうだみんなお年玉をもらおう」ときりだしたので。
私  「はい○○、お年玉」と言って中の娘に封筒をわたしました。
家族「お年玉、そんなにあげるの?」と、みんな不思議な顔をしてた。
息子「父さん、そのフレーズいいねぇ、いっぱいあげたような気がするだろう」
娘  「なに言ってんのよ、去年のうちに貰うのが今日になっただけじゃない」


実は娘と一緒に仕事してるので、12月分の給料をまだ未払いだった。
なんだかんだで、年が明けました、家族6人揃いました。

ここで一句 「年賀状 出してないのに 30枚」 本年もよろしく。

娘とパソコン

2004年12月29日 20時34分04秒 | おかしな家族
昨日、娘にパソコンの調子が悪いと言われた。
画面が黒のままだ、どんなことをしてもウインドウズの絵が出てこない。
私の手にはおえない、すぐパソコンショップに持っていった。

パソコンのエンジニアとの会話です。

E 「何か特別な使い方しましたか?」
私「はい、ちょっと紅茶をご馳走したみたいです」


「プッ、ふふふ」とふきだして受付の女性が笑い出した。

E 「普通の人はそんなことしないんですけど」
私「のどが、渇いたそうです」とわざと付け加えた。

(私の娘が普通ではないと言われたような気がして)

その場では無理なので、預けて帰ってきました。
夜、電話でリカバリーしなければだめですとの話です。
中の、データはすべて消えてしまったそうです。
バックアップしてなかったので、娘は残念がっていました。

今日、昼過ぎに復活しましたと電話があり、受け取りに行ってきました。
ウインドウズXPは復活したけど、その他使用しているソフトはすべて
インストールし直しです。

ここで一句 「気をつけよう 酒と紅茶と パソコンに」 (なんのこっちゃ)

子どもたちがもち作りに奮闘/秋田市の彌高神社←(秋田魁新報)

モーニング娘の話ではないが・・・ 

2004年11月24日 21時04分38秒 | おかしな家族
最近新聞の文字が見えにくくなった。

この前と言っても2,3年前だと思うが、正月休みのときです。

息子「父さん困ったことないか?」言われたとき。
私  「モーニング娘のメンバーを、フルネームで言えなくなった」といったら、
息子「父さん、おもしろすぎだ」といわれた。
私  「リーダーの中澤裕子がやめてから余計分からなくなった」
息子「そんなの、俺だってわからないよ」と笑われた。


本当に困ったのは○○を過ぎて、新聞の文字が読みにくくなったのです。
老眼鏡を使用するのがいやで、無理して若いふりをしたのだった。
それまで、眼鏡を使用しなくても良かったので、急に変わったと思われたく
ないので上記のような会話になった。

だからといって、「そんな例えはないだろう」と息子は言う。

パソコンを使用して9年が過ぎた、そのせいもあるだろうか?

ただの、歳のせいだと女房は笑う。そう言えば同級生はほとんど眼鏡をかけています。
ま、ブログを楽しみながら、ビジネスに結びつけばありがたいと思っています。

ここで一句 「若いふり 眼は確実に 進行中」 万年青年 

今シーズンの営業終了/大森山動物園、6千人超す来園者(秋田魁新報)

画像はモーニング娘にかけて、モーニングセットを入れました。

“魔のみずたまり”

2004年11月15日 21時40分29秒 | おかしな家族
これは我が家の息子が中二の頃の話です。
自宅近くで当時砂利道で、ちょっとだけ坂道のところがあります。
ちょっとでも雨が降ると水溜りになります。

学校からの帰りに“みずたまり”を避けようとして、小石に前輪が邪魔されて
ハンドルが直角に曲がったそうです。坂道のため急ブレーキがかかったのと同じ
状態になり“顔面ドロップ”したそうです。ヘルメットは使用していましたが、
鼻と口を切って変な顔で帰ってきました。

本人は痛かったと思うが、なんともおかしくて笑ってしまいました。
次の日、医者にいってから学校に行けと言ってもズル休みしました。
授業が終わった頃に部活にはいきました。

写真に撮ろうとしたら横を向いてしまいました。

その次の日、中一の娘が“腹がいたい”と早引けして来ました。
例の“みずたまり”の前で自転車で転んで膝をすりむいて“半べそ”
で帰ってきました。

私「なんで、こんな時間にお前いるのだ」というと、
娘「腹がいたくて早引けしてきた」というのです。
私「どこがいたいって?」
娘「膝がいたい」
私「腹がいたいはズル休みか」
娘「父さん、人をからかってなんだ」とプンプンしていた。

私はそれ以来「魔のみずたまり」とよんでいる。

結局二人ともズル休みにかわりはない。

ここで一句 「ズル休み する気じゃないが バチあたり」

大作の数々、じっくり味わう/院展秋田展が開幕(秋田魁新報)

激痛にたいする数値?

2004年11月09日 19時50分36秒 | おかしな家族
ある掲示板です。
人間というものは人生の中でどれくらい激痛に会わなくてはならないのだろう。
平均値って、あったらどれくらいなんだろう。

単位は "1角タンス"か"1ゴリ蛇口"で。

*1角タンス = タンスの角に小指をぶつける痛さ
*1ゴリ蛇口 = 風呂を洗っていて蛇口が前に出ているのに気づかず立ち上がって
背中を痛める痛さ(最近はユニットバスの普及で1ゴリ蛇口は少ないとおもいますが)

上記の痛さにたいする質問がありました。

まだまだ私の激痛はその程度ではない。

私がいままで経験した痛さを述べてみたいと思います。

激痛その一
秋田で18歳の頃屋根からコンクリートに転落した。
世の中が一瞬にしてむらさき色になった。

(1角タンス+1ゴリ蛇口)×20倍の痛さを味わった。

弟子仲間は死んだかと思ったそうです。(助け起こしてくれなかった)
その時師匠は医者につれていってくれませんでした。

激痛その二
その次の日あまりの痛さに、師匠にいったら保険に入ってないので
骨接ぎに連れて行かれました。
骨接ぎの先生と弟子仲間に抑えられ、体全体“ネジラレ”ました。
これが半端でない痛さで気絶してしまいました。

(1角タンス+1ゴリ蛇口)×30倍の痛さを味わった。

激痛その三
その後順調に青春時代を過ごしていましたが。
27歳(婚約中)の時、また現場でコンクリートに落下しました。
自分では運転できず医者まで送ってもらいました。
全身打撲+左手首骨折で入院半月、現場復帰まで2ヶ月かかった。

(1角タンス+1ゴリ蛇口)×40倍の痛さを味わった。

激痛その四
それはこの前記事にしました。9/29(痛い話)を参照
癌の摘出手術後の話です。麻酔が切れた後クシャミをすると全身に痛みが走る、
夜眠られない苦しさと重なってこれは辛かった。

(1角タンス+1ゴリ蛇口)×50倍の痛さを味わった。

なおこの痛さに対する数値は、あくまでも私の個人的な感じで述べました。
これだけの痛さを経験したから、よほどの事がないと私の口から「痛い、苦しい」
とは言わなくなった。

ここで一句 「足の指 タンスにぶつけて うずくまる」 (誰もいないと泣く・・・)

痛い時の四文字熟語、七転八倒・抱腹絶倒・東南西北・上下左右????

秋田刑務所旧正門、ついに解体/れんが造り、92年の歴史に幕(秋田魁新報)

変な電気屋さん?

2004年10月28日 22時58分01秒 | おかしな家族
この前と言っても10日ほどなりますか、我が家で使用している乾燥機
の調子が悪かった。訳有で求めて年式が古く10年前の乾燥機です。
回転する時キィ~キイ~音がする、たぶんドラムを回しているベルトだ
と思い、電話してこちらの症状を説明してベルトを交換することにした。

サービスマン「製造中止してますが部品はあります」
おかしな奴 「部品があるのであれば送ってください」
サービスマン「勝手に分解してあとで来てくださいといわれても困りますよ」
おかしな奴 「大丈夫です、自信あります」(根拠のない自信はなんだろう)

電話の向こうでは変な顔してたと思います、たぶん見えませんけど。

それから2日後代金引換で部品が届いた。
それでは、乾燥機の分解をしてみました。10年間のほこりで目詰まり
してそのほこりが黒く炭化していた。説明書なんかあるわけないので適当
にネジをゆるめていった、ベルト2本は交換できたけどあと1本はどうして
も出来なかった。2本交換したからその2本が原因だと勝手に決めて、
組み立て始めたが、最後にビスが4本あまった。

まあ、あれだけ多くのビスがあるんだ少し位大丈夫でしょうと自分に言い
聞かせて修理を完了した。あのベルトのこすれる音が消えた。
これで2,3年はもつだろう、何でもやってみるものだ。

ここで一句 「でたらめも うまく出来たら ほめてやる」

ノウハウを吸収したい/09年WG開催地、台湾・高雄市の副市長ら来県(秋田魁新報)

レストランで食事

2004年10月19日 22時12分37秒 | おかしな家族
今から○○年以上前の埼玉県行田市での話です。

建築界ではある日突然ライバル会社の人達が、ひとつの目標に向かって
一緒に仕事することがあります。私はある工務店の現場主任(30歳)、もう一人は、
ライバル会社の専務取締役(45歳)です。考えただけでもおかしな関係であります。

当時も残業続きで疲れもピークに達していました。たまたま元請の社長が
現場にみえました。その時に専務に今日の夕方はこれでおいしい物でも、
といってお小遣い(1万円)を渡して帰りました。たまたま私はそれを、
足場の陰から目撃しました。(別に隠れて覗いたわけではありません偶然です)

専務「おう、今日は早めに切り上げて飯食いにいこう」
私  「たまには、いいですね」と言って、車を“すかいらーく”に向けた。

専務「お前の好きなもの、注文してもいいぞ」
私  「じゃ、ビール2本と○○コース(一人分3800円)で」
専務「えっ、俺はビールは飲めないぜ誰がのむ?」
私  「もちろん私です2本とも、専務は何食べる?」
専務「じゃ、俺も○○コースで最後にコーヒーを」

いつも現場食(カップラーメン)を食っていたので、久しぶりに幸せな気分になった。

専務は私がビールを飲み、食べ終えるのをまって私の部屋まで親切(?)に、
送ってくれました。(ブツブツ独り言をいっていました)会計はぴったり1万円。

私って、“あつかましい男”だろうか。

ここで一句 「カップ麺 比べられない ステーキと」 (美味かった)

乾燥秋田杉製品を初出荷/五城目で生産促進協(秋田魁新報)

入院生活も楽しいものだ

2004年09月29日 21時15分54秒 | おかしな家族
天国か地獄か!「あら、この人まだ生きている」と続けてきましたが、
私は人と反対で今回は入院について述べてみたいと思います。そのさか
のぼること30日前から、ちょっと体調が変だなと気が付いて健康診断
を受けました。なかなか原因が分からず精密検査6回受けました。
最後は大腸内視鏡検査で初めて分かりました。その間に体重が13キロ減りました、
素人の私でもこれは大変だと気がつきました。

入院したのは、平成10年8月3日です。手術したのが8月17日です。
一番辛かったのは手術後4日間でした、夜は眠れませんでした。
クシャミをしても咳払いをしても、頭のてっぺんから足のつま先まで痛みが
走り夜は大変でした。ようやく5日目から痛みがやわらぎ落ち着いてきました。

痛みが消えると入院生活は、けっこう楽しいもので看護婦さんと会話を楽しんだり、
同じような病気の方と親しくなったり、自分の調子も段々良くなるのが分かります。
検温のときもコップにお湯をそそぎその中に体温計を入れて、39℃にして看護婦
さんをからかったりしていました。ただ残念なのは同じ病室の仲間が退院して二年
以内に3人の方が再発して亡くなりました。みんな退院したら一年後に再会を約束
しましたが、その話はなくなりました。

私が一番恥ずかしかったのは、手術直後のオシッコの検査です。どうしても出ないのです、
看護婦さんは必要な検査なので吸引するというのです。チンチンの先から吸引管を挿入
して吸い取ると言うのです。これが痛いやら、恥ずかしいやら大変でした。9月21日
健康診断を申し込んでありましたが、事情があって変更させてもらいました。まだ日付
は決まっていませんが必ず受けようと思っております。

これで私の闘病日記は終わります。みなさん健康には気をつけましょう。

ここで一句 「あきらめの 早い男は 夢が去る」

初の女性警部補2人誕生へ/県警、昇任試験に合格(秋田魁新報)