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「おかしな日記?+五七五」

銀河系宇宙太陽系第三惑星地球亜細亜州日本国東北地方
秋田県僻地郡山奥山中軟着陸現在横手市在住乃ブログ

るんるん♪

2006年04月24日 01時47分30秒 | 青春旅日記
今日(23日)、すてきな女性に声をかけられました。
懐かしい人と出会いました、青春どまん中!の主人公です。

                                ***タカハシです***
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ノロケみたいなものです、ばかばかしいと思う方はスルーして下さい。

いきなり声をかけられました。

彼女「久しぶり、元気ですか?」
私 「あっ、ど、ども、ひ、久しぶりです」
彼女「何年ぶりだろう?」
私 「に、20年ぶりかも?」
彼女「な~にテレてんのよ」
私 「いや、あまりにも突然なので」

彼女は若いころと、全然変わっていません。

彼女「いろいろ頑張ってますね、新聞読みました」
私 「うん、仕事はたいした事ないが、余計なことで忙しい」
彼女「だけど、相変わらず物好きね」
私 「そうだな、『S-1グランプリ』4回目です」
彼女「新聞に続けて載っていたよ」
私 「夕刊の文化欄と、北から南からに大会風景載った」
彼女「おもしろい企画ね」
私 「企画運営は私のアイデアです」

はにかみながら、話すしぐさは変わっていません。

彼女「ちょっと、増えました?」
私 「当時からは10キロは増えたと思う」

太ったねと言わない心遣いが嬉しい。

私 「ところで、貴女のことブログに書いていいですか?」
彼女「えっ、ニッキさんのことだから、もう書いているんじゃないの?」
私 「じつは、そのとおりなんです」
彼女「名前と住所は絶対に載せてはダメです」
私 「わかっている、写真は海と山を使用した」
彼女「写真も、山ってどこの?」
私 「田沢湖高原にドライブしたときです」
彼女「あ~あっ、思い出した、おにぎりの?」
私 「そう、あのころと全然変わってないね」

斜めに立って喋るのは若いときと同じです。

彼女「そのころから私フケていました?」
私 「いや、当時と同じ今も若くてすてきです」
彼女「その言葉を何で20年前に言えなかったの?」
私 「た、たぶん、恥ずかしかったからだと思う」

ちょっとだけ、ドキドキしながら青春時代にプレイバックしました。
しばらく立ち話しましたが、たわいのない話が続いただけです。
どんな話って、ご想象におまかせします。

「青春どまん中!」#1「青春どまん中!」#2「青春どまん中!」#3の記事参照して下さい。

それでタイトルを、「るんるん」にしました。

脚色しすぎたかな?

ここで一句 「トキメキは 予告なしに やって来る」 青春時代


我が母校/湯沢・小安小閉校式

2006年03月20日 13時44分59秒 | 青春旅日記
この1,2週間は卒業シーズンでした。
私は自分の卒業式で涙を流したことはありません。

               ***涙するような学校を出ていません、タカシです***
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感謝を込め学舎に別れ/湯沢・小安小閉校式

閉校式:思い出いっぱい--湯沢・小安小で /秋田

私の母校の湯沢市の小安小学校で18日、123年の歴史に終止符を打つ
閉校式があった。卒業生や教職員ら約250人が参列。児童49人が声をそろえ、
「若葉や山桜が芽吹く春、水遊びをした夏、すずめがうれしそうに群がる秋、
シュプールを描いた冬」と一人ひとりが順番に歌い上げるように、感謝の思いを
込めて言葉をつないだ。2日前の卒業式で、在校生に胴上げをされて送り出された
5人も加わった。鈴木俊夫市長は「寂しさを禁じ得ないが、未来への幕開けでも
あります」とあいさつした。



これで私の卒業した学校は全て無くなった。

小学1~3年 小安小学校羽場分校複式学級 本校に統合
小学4~6年 村立小安小学校   今月 廃校
中学1~3年 村立小安中学校   その後廃校
湯沢高等学校 受験・合格 
         入学式出席、 その後退学 入学の記録無し
職業訓練校  湯沢職業訓練校入学 廃校、大曲に統合?

これが私の学歴です、履歴書には最終学歴中卒になります。

すごい、すばらしい学歴です。トホホの学歴です。
これだから、高校とか大学の話題には参加できないのです。

とうだい(灯台)には入ったことはあります。

追記 3/20(月)は 470 pv 148 ip でした。

ここで一句 「学歴は 大卒です 負け惜しみ」 職人

「バナナの思い出」

2006年01月31日 12時39分37秒 | 青春旅日記
友達が「うちのガンバサミ(ネズミ捕り)は凄いぞ」というので、
    「わ~、すごいなぁ」と感心したのは遠い昔だった。
***ただ、そこにネズミが多くいただけだった、タカシです***
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私がお邪魔する美人ブロガーさんが

相次いでバナナのことを書いております。

それで私も便乗して記事にしてみます。


いきなり、幼少時代に逆戻りします。

前にも述べましたが私のふるさとは、秋田県南の山奥です。

今頃は定期バスも一日4往復しか運行していませんでした。

それだけ山奥と言うことです。

裕福ではなかったしバナナなんか見たことがなかった。

第一に魚屋(一軒だけ)はあったが、八百屋はなかった。(自給自足です)


私はバナナを始めて食べたのは小学校6年のときです。


私の両親はバナナは外国の食べ物だ、外国人ならいいがお前は日本人だから

バナナは食べなくていいのだ。と変な理由をつけて食べさせてもらえなかった。


そうか、そうなんだと妙に納得させられたのを憶えています。


だから、一度でいいからバナナを食べてみたかった。


そして、そのバナナの皮で滑って転ぶのを試してみたかった。

当時、手塚治虫の「鉄腕アトム」のマンガの中の、

バナナの皮で転ぶ“ヒゲオヤジ”に憧れていました。


バナナの皮とは、どれくらい滑るのだろうと研究熱心な子供でした。


そんなけなげな子供が、バナナを始めて食べました。

食べた感想は、モサモサして決して美味いものではなかった。


“りんご”のほうがはるかに美味かった。


台湾産のバナナが秋田の山奥まで運ばれてくるのに、

日数がかかりすぎ鮮度が落ちたのだと思います。


あっ、


その前に、みなさんはバナナの皮ですべって、

転んだ人を見たことがありますか?

いままで37年?生きてきて、まだ見たことがありません。

第一バナナの皮が道路に落ちていません。

りんごの皮なら見たことがあります。

さて、バナナの味は置いといて実験開始です。


本当に滑って転ぶか試してみました。


バナナの皮を道端に置いて友達三人で歩きながら踏んでみました。


あれ~っ、


なんともないよ。

おかしい?


マンガでは両足が上を向く位跳ね上がるのに原因があるのだろう。


歩くのには何か物足りない、そうだスピードがないのだ。


なんと、科学的な子供だったろう。


じゃ、走ってきて踏んでみようと言うことになりました。


あれ~っ、


やっぱりすべらない。

そうだ、曲がり角にすればいいのだ。


なんと頭の良い子供だったろう。


気を取り直して走って行って、バナナの前で急に右に方向を変えてみることにしまた。


よ~しゃ、えぐぞ~。(訛ってるぞオイ)


やっぱり転ぶまでは行きませんでした、足がズルっと横に流れるだけでした。


原因は何だと思いますか?


賞味期限が切れた、バナナの皮が干からびていたのでした。


ちゃうちゃう、(何故か大阪弁)本当はこうです。


道路が砂利道だった為に、バナナの皮に砂や小石が混じって滑らなかったのです。


気分が乗ってきたので一曲歌います。(だいたひかる調)


い~な~か~のバスは、オンボロ車

でこぼこ道を、ガタゴト走るう~・・・(やめようバスガイドも歌わないこんな歌)




ここで一句 「幼少から 研究熱心 変わらない」 現在もそのままです。


さ~て、誰のことだろう美人ブロガーって?

バナナつながりで、この人この人にTBします。

追記 バナナを食べている人を見ると、ゴリラに見えることがあります。
    たぶん、ガッツ石松とゴリ(ガレッジセール)を想象するからだと思います。


    この記事を投稿したことを、深く深く反省しております。

「おひかえなすって」

2006年01月19日 15時48分39秒 | 青春旅日記
やくざのおじさんに向って、「プチ整形しましたか?」は、
間違っても言ってはいけない。パンチの2,3個は飛んで来るかも知れない。

                                          ***タカシです***

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「おひかえなすって、手前生国と発します所 ○○です」

天に~ひとつ~の日があるように この世に道理がなくてはならぬ~
どんな~立派な~素振りよ~り  人~は心だ~心を捨ててどこへ行く~ 唄:北島三郎



これは、今から10年前? 佐倉市の会社の新年会で踊ったときの写真です。
普通にセレモニーが終り、普通に飲み会に突入し、普通にカラオケ大会になりました。
そこで私は、誰にも知らせず、いきなり飛び入りで踊りました。

北島三郎さんのせりふ入り歌謡曲「仁義」です。

手に持ったのは、扇子と木刀です。あとは何もありません。
拍手喝采で、アンコールを求められましたがこれ1曲だけで終わりました。
それ以外はうまく踊れないのが事実です。(本当は酒を飲みすぎていたのです)

佐倉○○3階大会議室のステージでの写真です。
会社の女の子が使い捨てカメラで撮ってくれました。
本当はもっとかっこいい“決めポーズ”あったのに残念です。

格言の 「芸は身を助く」  なるほどと思った瞬間です。

この会社の社長です、出資金200万円出してくれたのは。
有限会社の作り方を参照して下さい。

“会社設立の方法”その1
“会社設立の方法”その2

この後です、みなさんが私に接する態度が変わりました。

裏格言 「ゲイは身を取って身を助く」 ニューハーフ



ここで一句 「もう一度 踊ってみたい 遠い過去」 ヤクザ踊りの男

「運転手付デート」 

2005年09月29日 23時24分53秒 | 青春旅日記
バ~ラが咲いた~、バ~ラが咲いた~
真っ赤なバ~ラ~が~、・・・・・・・


カミさんと婚約中のデートです。(たしか7月に怪我したので8月頃です)
そのとき運転でこるような状態ではなかったのです。
理由はこの前の記事を参照して下さい。

激痛にたいする数値?

の記事の中の「激痛その三」のときです。

当時婚約中にコンクリートに落下して全身打撲と、左手首骨折で半月入院しました。
その後1ヵ月半仕事に就けず、車も運転できず大変でした。デートするにもカミさんは
まだ運転免許を持っていませんでした、横手公園で「バラまつり」がありました。

私のところから横手公演まで約一時間です。



ちょうど妹が免許をとったばかりです、そこで兄貴の特権をいかして運転を頼みました。
頼みと言っても半強制です、妹の存在は無視して「バラ祭り」を満喫して夕方まで公園を
ぶらついて帰ってきました。

後で聞いた話ですが、妹はプンプン怒っていました。

「こんなつまらない運転は初めてだ」って、

“兄夫婦”いや、まだ夫婦じゃないが一日付き合わされてバカバカシイと
こぼしていました。

しょうがないじゃないか、運転できるのは妹しかいなかったし、バラは咲いてる期間は
決まっているし、この方法しかなかった。(カミさんはその後免許をとりました)

私の「恋の話」はこんなのばっかりか?

結婚生活は前途多難と、このときから現れていたみたいです。

次回は栗駒山ピクニック編を記事にしてみようかな。

ここで一句 「バラまつり 我がカミさんと 美の競演」 字余り


「青春どまん中!」#3

2005年09月27日 00時04分45秒 | 青春旅日記
「恋の話」が飛んでしまいました。“青春どまん中!”“青春どまん中”#2からの続きです。

田沢湖高原から見る田沢湖です。



緑のじゅうたんに

そっと倒れて

空を見る

雲の形が変わって

すっかり秋の空

肌にふれる

さわやかな風

澄んだ空気が

ここちよい

時間よ止まれ

いまここに、二人だけ




田沢湖高原」で(ここの写真も隠しました)

_____________________________________

若かったなぁ、なんと言っても22歳と18歳です。
カメラを向けるとはにかんだような、恥かしいような表情が可愛かったです。

そのとき作った詩です。そしていまでも文体は変わってない。
というとぜんぜん進歩してないです。(詩になっていないよ 影の声)

今日の五七五は中止です、青春の思い出が壊れてしまう。
これ以上は無理です、息子も娘も見てるのでこの辺で。

じつはカミさんも彼女と同じです、そしてカミさんの兄貴も私の弟と
同級生です。最後はみんなつながってしまいます。

以上のような理由で「初デリケート」?編は終りにしたいと思います。

次回は、カミさんの話に切り替えます。
今までドジなことばかり紹介しましたが面白い話があります。

「青春どまん中!」#2

2005年09月23日 23時35分18秒 | 青春旅日記
夏が過ぎ 風あざみ
誰の憧れにさまよう
青空に残された
私の心は夏模様
・・・・・・・


と、いう訳で家族同伴の「初デート」から秋になりました。
今度こそ二人だけのデートです。三日前のことです。

私  「今度の月曜日、どっかへ行こうか?」
彼女「静かなところがいい」
私  「この前、海へ行ったから山がいいですか?」
彼女「須川岳(栗駒山)はいや、あまりにも近すぎる」
私  「じゃ、静かなところで田沢湖高原?」
彼女「あっ、田沢湖は行ってみたい」
私  「だけど、お昼はどうしよう?」
彼女「おにぎりとお茶でいいでしょ、作っていくよ」

この二人の会話は、すべて秋田弁です。
オヨネーズの「麦畑」の世界です。想象ができると思います。

とても恋を語るにはあまりにも不向きな言語です。

ま、いずれにしても満場一致?で行き先が決定しました。
私は行き先はどこでもいいのだ、

二人でいるだけで幸せなのである。

当日朝、普通の人は彼女のうちまで迎えに行くのだが、
彼女はみんなに見られるから恥かしい、バスにするというのです。

定期バスで?

そんなドライブなど聞いたことがないがしかたがない。
彼女は羽後交通のバスで自宅前から乗って、三つ先の停留所で
バスを降りて私の車に乗り換えました。

これから本当のドライブです。

ドライブの状況はこんな感じです。

青い空、白い雲、BGMはベンチャーズ、助手席にはシャラポワほどではないが
素敵な彼女、気分爽快です。

セブン、イレブン、いいきぶ~ん♪

が、

いつの時代でも邪魔な奴がいるもんです。
いつのまにかバイクに追いつかれました。
前2台後ろ2台でしばらくランデブー走行です。

ナンバープレートを見たらピンクなので、90~125ccのバイクです。
まだ17,8の若いガキ供です。

これは、「赤い流れ星」として走りの先輩なので注意してやった。

「こら~、お前らどこのもんだ~」

私は童顔なのだが、その時はでっかいサングラスをかけていたので
脅しがきいてわき道にそれた。いまなら若い連中はなに考えているか
わからないのでこんなことは間違ってもできません。



日本最深の田沢湖です。

田沢湖を一周して、田沢湖高原に登っていきました。

田沢湖高原でたべたおにぎりの味が忘れられません。
          ↑
        ここの写真も隠しました。

画像はイエローが強すぎました。

ここで一句 「青春の 思い出に焼く 女房かな」 いて、がとんできた。

たぶん、まだちょっとだけつづく。

「青春どまん中!」#1

2005年09月21日 12時31分39秒 | 青春旅日記
初めてのデート?

私の親友と言うか、悪友というか小学校4年からつきあってる男がいます。
その親友の弟が私の弟と親友です。だから秋田でも東京でもいつも兄弟4人で
飲んでいました。どういう訳か4人とも年の差は関係なく呼び捨てです。
そんな兄弟同士の関係が長く続いていました。

そこの両親も我々兄弟を歓迎?

しているかどうかは知らないが自分の家みたいに行き来していました。
それまで、そこの家に小さな女の子がいたとその程度しか思っていませんでした。





ある日突然、意識しました。

私が22歳、彼女18歳です。


この人です。(写真は見えないようにしました)


急にかわいらしくなりました。

背は低いけど、笑顔がとっても素敵です。

その彼女とドライブに行くことになりました。


行き先は秋田県一の観光地、男鹿半島です。


でも、です。


二人だけではありません。

私の親友はもちろん、彼女とその父親、そして彼女の姉の子供二人です。
こちらは、私はもちろん、私の弟となぜか妹もです。
私の妹も彼女と仲良しになっていました。(彼女に誘われたみたいです)


こんなのは


「デートと言えないと思う」


ゆうべ、カミさんに話したらバカ笑されました。

カミさんいわく、

「向うの両親はもしかしたら将来はと考えていたのじゃない」と言うのです。



カミさんはデートじゃなく観光だと笑います。


写真は男鹿半島の波打ち際で遊ぶ彼女です。

(写真はわざとボカシています、本人の了解は得ていませんので)



ここで一句 

「ドライブと 言うには遠い コブつきの 二つの家族 波とたわむる」

男鹿半島のゴジラ岩のコブと、オジャマ虫のコブをかけてみました。

つづく、たぶん。


次回、「二人だけのデート」をUPしたいと思います。

“いかだの思ひ出”

2005年07月25日 23時20分39秒 | 青春旅日記
「第23回雄物川筏(いかだ)下り大会」が24日開かれ、37チーム121人が参加。秋田市雄和から茨島までの約20キロ区間で、夏空の下、ゆったりと流れる雄物川の
川下りを楽しんだそうです。

詳しくは→夏空の下ゆったりと/秋田市、ユニークないかだが川下り



“いかだ”と言うと忘れられないことがあります。いまから22年?前です。
中一の夏休み前です、皆瀬ダムで冒険したことです。その年はダム湖は満水でした。
どういう訳か近くに丸太を7,8本組んだ“いかだ”がありました。

一つ上の先輩と“いかだ”に乗ってダム湖に繰り出しました、午後1時ころです。
オールなどありません、棒で漕ぎ出したのです。最初のうちはそれで良かったのですが、
キャッキャしながら岸の周りを進んでいたのですが、舵棒を手放してしまったのです。
2時間くらい遊覧?していましたが、天気が悪くなって風も出てきました。

“いかだ”は完全に風任せになり制御不能になりました。距離にしてどの位だろう。
隣の離れ小島に漂着しました。満水なのでその島は膝までぬかるみます。
さて困った岸には遠く先輩は青くなってウロウロしだしました。



俺達の声が誰かに聞こえたらしく、人が集まってきました。先輩の父親がロープを背
負ってバイクでぶっ飛んできました。向う岸が見えるのに父親は叫んで、ロープを投げ
るが届きません。水は前日の雨で濁っています。なんだかんだで夕方5時になりました。

この話は、次の日学校で職員会議で大騒ぎになったそうです。私は知らなかったのですが
先輩はかなり怒られたそうです。私には何も無かったのですが夏休みには“いかだ”遊び
は絶対しないようにと校長先生が注意していました。

あっ、ところでどうやって離れ小島から帰ってきたと思いますか?
地元の方が水は濁っているが浅いので、胸までつかり迎えにきてくれました。
その方につかまり私達は無事岸にたどりつきました。

ふぅ~、めでたしめでたし。

あとで、分かったのですがそこは、水が引けると陸続きななるところでした。
元は畑でちょっとだけ高いだけでした。私達は泳げない訳じゃなかったが、
濁っているのと、風で波が高かったのでビビッたのでした。

だけど今は、本当に離れ小島みたいに見えます。ゴールデンウィークにはその島から
岸にこいのぼりが50匹くらい泳いでいます。残念ながらその写真がみつかりません。
離れ小島の写真はネットから拝借しました。

よいこのみなさん、親に心配をかけないようにしましょう。

ここで一句 「いかだみて 遠いやな過去 思い出す」 先輩、元気ですか

“雨の思ひ出”

2005年07月21日 23時19分50秒 | 青春旅日記
雨 の 中 の 二 人 作詩宮川哲夫  作曲利根一郎

雨が小粒の   真珠なら
恋はピンクの  バラの花
肩を寄せ合う  小さな傘が
若いこころを   燃えさせる
別れたくない   ふたりなら
濡れてゆこうよ 何処までも


この曲は私が三菱のギャランを乗っていたころの思い出の曲です。
今、三菱自動車は大変ですが私はこのスタイルが好きで買いました。
当時私が23で彼女が19のときのドライブ中にラジオから流れてきた歌です。
ちょうど入梅時期だったからだと思います。いまから13年前?です、深く追求
しないで下さい。ブログ年齢36歳ということになっています。

雨は少しだけ降るのはロマンチックになり、大量に降ると災害になります。
また、雨は自然界に無くてはならないし、降らないと農家の作物が出来ないし、
日常生活にも影響が現れる。ちょうどいいように降ってくれるとありがたいのだが、

天気の神様も機嫌が悪いときもある、これをお天気屋という。

えっ、なに天気の話はほっといて、その後のデートはどうしたって?

それは、困ったなにせこの記事は、息子も娘も見ているので、またたまに女房も
覗くことがありますので苦しい言い訳です。サイナラ、サイナラ、サイナラ。

ここで一句

「雨宿り 二人で過ごした あの時の 楽しい会話 懐かしきかな」