ワープロ時代を経てパソコンが生活の一部となって20年以上になりますが、昨日一昨日と、久しぶりに手書きで文章を書きました。
一昨日は手紙で、便箋3枚ほど。昨日は本から心に留まる文章を書きだす作業をノートに3ページ弱。
ばね指だったりで長い時間書いていると右手のあちこちが痛くなって、結構苦行ではあるけれど、ペンを持つ手に力を入れ過ぎないようにして、そのペンも
軽いタッチでも書けるジェルボールペンだったり滑らかに書けるボールペンを使ったので、多少負担が軽減出来たように思います。
手紙の相手は母のいとこにあたるひとで、この関係はなんて呼べばいいのかと検索したら、「いとこおじ(従叔父)」って言うんですって。ひとつ賢くなりました。
その従叔父は93歳になるのですが、長年研究者として仕事をしてきた人で、頭の出来が親戚でも突然変異的によくて、その人のDNAの一部と私のそれと一致する
ところがあるかも、なんて到底思えないのだけれど、その従叔父から先日本が届いたのでした。
しかもその本は従叔父の専門とは全く違う、わらべ唄についての本。
前にも専門分野の著作をいただいたことがあるのですが、なぜわらべ唄?とちょっと興味を持ったので読んだ感想も添えたお礼状を出そうと思ったのです。
結構なページ数の単行本で文章もぎっちりと書かれていたので流し読みでも数日かかってしまいましたが、なんとか読了。かなり年上の、しかも頭の良い
相手に出す手紙なので下書きをしてから清書。もちろん縦書きです。
普段、請求書を郵送するときには一筆箋にひと言添えているのですが、普通の便箋に3枚、というのは滅多にないし、書き間違えないようにと緊張しましたね。
でも一応中学まで習字塾に通わされていたこともあるし、大人になってからペン習字も少しやったので、縦書きはそこまで見苦しい字ではないと思っています。
が、しかし。
横書きはそうはいかない。
縦書きの場合は多少字の大きさにばらつきがあっても、それはリズムとしてとらえられるというか、それほど苦にならないように思うのですが、これが
横書きになると、ただバラバラなだけでまとまりがなく、下手としか見えないように思うんですよね。
そして縦書きのような続き文字が書けない。速く書けなくてイライラするうち、どんどん下手が加速して見苦しい文字になる・・・というのが私の場合です。
なので横書きがきれいで読みやすい字が書けるひとがうらやましくて!実は相方がそうなんです。きれい、というよりは丸文字っぽくてかわいくて。
彼は私とは逆で縦書きが苦手なので、請求書などは自分で書きますが封筒の宛名は私任せ。
なんとかもう少し、横書きの文字がきれいに書けるようになりたいものだな・・・とここで今思いつきました。
なんとなく書道とかまた練習したいと思っていたのですが、横書きのペン文字の練習って、いいんじゃないの?
ちょっとやりたいことが見つかった気がしますね。ピアノ同様、目も手も、そして肩も疲れそうですが。でも空いた時間をぼーっと過ごすよりうんといい。
ここで、昨日その苦手な横書きで書いたのは、この前買った辰巳渚さんの本からの抜き書きでした。
そういうノートを作っているのですが、しばらく時間をおいてから抜き書きしたものを読み返すのも面白い。
読んだ当初はすごくいい!と思えたのに、読み返したときには既にその本を手放していたりしますから。そのときどきで、同じ文章も受け取り方が変わったり
するんですね。
ついでにその辰巳さんの本ですが、出版当初にこの本を読んだとしたら、きっと今とは違う受けとめかたをしただろうと言い切れます。
これからどう生きるかなどについてかなり多くのところで触れているのですが、彼女が亡くなった今、それらすべてがほぼ出来ないままで一生を終えられた事実が
すごく重く感じられます。
大型バイクに乗っての事故死だったわけですが、本の一番最後の部分にもう少し経ったらやりたいこととして、大型バイクでのツーリングのことが書いてありました。
やりたいことが出来るようになった矢先の事故だったのかな、などと考えるとなんだかとても複雑な気持ちになります。
縦書き横書きの話だったのに、最後はmemento moriな話になってしまいましたね。
と、ちょっと湿っぽくなったので、ここで小咄。
先ほど相方が書く横書きの文字がかわいい、などと書きましたが、彼にはちょっと面白い書き癖がありまして。
それは、破裂音の丸を書くときに、なぜかその丸が大きいんです。
例えば、パンジーとかインパチェンスなどと書くときは
ハ〇ンジー インハ〇チェンス といった具合。
こうしたフォントで見てもあまり面白くありませんが、手書きの文字を見るとかなり目立って、そのたびに笑えます。でも、どうして大きくなるんだろう?