井上陽水の「傘がない」
私はかろうじて知っていますが、どうなんでしょうね。世代的には私よりもちょっと上の人がよくご存知かと。
以下、歌詞です。
都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いている
だけども問題は今日の雨 傘がない
* 行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨に濡れ
冷たい雨が今日は心にしみる
君のこと以外は考えられなくなる
それはいいことだろう *
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
以下*部繰り返し
この歌は、若者世代の自己中心性を批判する歌だ解釈する人もいるようです。
自殺があろうが、国の将来が危ぶまれようが「僕」にとって今一番問題なのは
「恋人に会いに行くのに、傘がない」ということで、そういう若者の自分中心で
利己主義を批判していると。
でもま、人間ってそんなもんだと思います。
世の中の問題より、他人が苦境に立たされようが
不当な扱いを受けようが、そんなことよりも
頭の中を占める問題は、今晩何を食べようかとか、
子どもがいうことを聞かないとか
勉強をしないとか
だんながどうだとか
そんなどうでもいいことだったりします。
ところで、傘がない・・・といえば
練馬区の90歳のおじいさんが2000本を越す不要になった傘を修理し寄付し続けたというお話。
以下、ニュースより。
糟谷さんは十数年前、平和台駅から自宅に向かおうとした際、土砂降りの雨に見舞われ、ずぶぬれになって帰宅した。
「同じように困っている人がいるだろう。自由に持っていける傘が駅にあれば」と感じ、傘を駅に寄付することを思いついた。
早速20本持参したら、「ありがとう」と感謝された。これが長い善行の道のりのスタートだった。
はさみ研ぎ職人として生きてきた。その技術が傘の修理に生かされることはないが、職人の意地が妥協を許さなかった。
「直すのは簡単なのに、面倒だから捨てる。直せば使えるのに捨てるのは、生きているのを殺すのと同じ」と厳しい。
寄付する数を何かに合わせるのが楽しみという。今年は2010年ということで、10月8日に2010本目を駅に届けた。
糟谷さんの生き方に共感したのか、近隣の人たちがそっと、要らなくなった傘を家の前に置いていくという。
「考えてみれば、よく2010本も寄付できたものだ。皆さんの協力があってできた」と周囲への感謝を忘れない。11月16日に20本持っていったときは、ちょうど駅の傘立てに傘を補充する女性の姿があった。糟谷さんの行動が周囲に影響を与えている証左だ。
「喜んでくれる人がいるだけで、うれしい。やめれば、ぬれる人が出る。雨にぬれた人が風邪をひいて、仕事を休んだら、社会にマイナス。小さなことだけど、世の中の役に立っていると思うと、気持ちがいい。健康が悪くならない限り続けたい」と。
いい話ですね。
私はかろうじて知っていますが、どうなんでしょうね。世代的には私よりもちょっと上の人がよくご存知かと。
以下、歌詞です。
都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いている
だけども問題は今日の雨 傘がない
* 行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨に濡れ
冷たい雨が今日は心にしみる
君のこと以外は考えられなくなる
それはいいことだろう *
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
以下*部繰り返し
この歌は、若者世代の自己中心性を批判する歌だ解釈する人もいるようです。
自殺があろうが、国の将来が危ぶまれようが「僕」にとって今一番問題なのは
「恋人に会いに行くのに、傘がない」ということで、そういう若者の自分中心で
利己主義を批判していると。
でもま、人間ってそんなもんだと思います。
世の中の問題より、他人が苦境に立たされようが
不当な扱いを受けようが、そんなことよりも
頭の中を占める問題は、今晩何を食べようかとか、
子どもがいうことを聞かないとか
勉強をしないとか
だんながどうだとか
そんなどうでもいいことだったりします。
ところで、傘がない・・・といえば
練馬区の90歳のおじいさんが2000本を越す不要になった傘を修理し寄付し続けたというお話。
以下、ニュースより。
糟谷さんは十数年前、平和台駅から自宅に向かおうとした際、土砂降りの雨に見舞われ、ずぶぬれになって帰宅した。
「同じように困っている人がいるだろう。自由に持っていける傘が駅にあれば」と感じ、傘を駅に寄付することを思いついた。
早速20本持参したら、「ありがとう」と感謝された。これが長い善行の道のりのスタートだった。
はさみ研ぎ職人として生きてきた。その技術が傘の修理に生かされることはないが、職人の意地が妥協を許さなかった。
「直すのは簡単なのに、面倒だから捨てる。直せば使えるのに捨てるのは、生きているのを殺すのと同じ」と厳しい。
寄付する数を何かに合わせるのが楽しみという。今年は2010年ということで、10月8日に2010本目を駅に届けた。
糟谷さんの生き方に共感したのか、近隣の人たちがそっと、要らなくなった傘を家の前に置いていくという。
「考えてみれば、よく2010本も寄付できたものだ。皆さんの協力があってできた」と周囲への感謝を忘れない。11月16日に20本持っていったときは、ちょうど駅の傘立てに傘を補充する女性の姿があった。糟谷さんの行動が周囲に影響を与えている証左だ。
「喜んでくれる人がいるだけで、うれしい。やめれば、ぬれる人が出る。雨にぬれた人が風邪をひいて、仕事を休んだら、社会にマイナス。小さなことだけど、世の中の役に立っていると思うと、気持ちがいい。健康が悪くならない限り続けたい」と。
いい話ですね。