さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

コタキナバル 初日

2011年05月28日 19時38分24秒 | Web log
仕事が忙しい上マイクが出張に行ったりして、全くブログを更新する時間がありませんでした。

さてさて。

コタキナバルでの滞在先は、ル メリディアン

街の中心地にあって、買い物にも便利だし、食事に出かけるのも便利だということで、そこに決めました。

スタッフの対応もよく、いい感じ。

でも、通された部屋の匂いがちょっと、ドブくさい。

気のせいか??とも思って、友達が次の日に日本からくるので、初日は我慢することにし、とにかく寝ることに。

誰もいない部屋でゆっくり寝るのって 一体何年ぶりだろうと考えながら

眠りにつく。

お昼過ぎに目を覚まし、外に出掛けて見ました。

部屋の臭いも気になったけど、街も独特の臭いが。

ま、まだまだ発展途上なのでしょう。

仕方ありませんね。

ネットで集めた情報を元に戻りたいホテルの近くのワリサンスクエアとセンターポイントというショッピングセンターに
出掛けてみました。

とにかく人が多い。

何処に行っても人人人。

ショッピングセンターの中も似たようなお店が所狭しと立ち並んでいて、一体、儲けはあるのかしら?

と思いながら、とにかくぐるぐるぐると何時間もかけて歩き回りながら、何処に何があるのかを確認してみる。

そして見つけたのが、ダイソー。そう、日本の100円ショップ!

日本じゃないのに、日本に来たような気持ちになって、あれも、これもと、ドンドンカゴの中に入れて。
5000円分も買ってしまいました。

パースでは中々手に入らない物が手に入って、わたしはとっても幸せ\(^o^)/

お昼を食べるつもりで入ったショッピングセンターで、何も食べずに夢中で歩き回って、気がついたら夕方の6時。

Seacret Recipe というしゃれたかんじの、アジアンフュージョンというのが売りのカフェみたいなところで
一人で食事をとったのですが、カードの使用制限が30リンギットということだったので、
追加でチョコレートケーキも食べることにして。後で考えたら、翌日のパンとか買えば、お持ち帰りできて、
朝食として食べられたのにと、じぶんの浅はかさを悔やみながら、無理やりお腹に押し込んで、ホテルに戻る。

テレビをつけたら、BBC放送で、ロンドンのテムズ川の汚染と伝染病の蔓延を、政府から莫大な費用を得て
下水道トンネルを建設して、解決に導いた バゼルジェットの話をドキュメンタリープログラムでやっていて、
それを見入った後にNHKの衛星放送も見ちゃったりして、それが面白くて結局またまた夜更かしをし、
誰にも邪魔されずにやりたいことをやって、明日のことも考えずに見たい番組を遅くまでみるって、
サイコー!!!!と思いながら夜中の3時すぎに初日を終えて眠りについたのでした。

コタキナバルから帰ってきました

2011年05月14日 12時24分09秒 | Web log
先週の金曜日の深夜にオーストラリアに戻ってきました。

コタキナバル、とってもたのしかったです。

楽しく、そして忙しくあちこちを歩き回ったので、ブログを更新する時間は
全くありませんでした。

帰国した金曜日、そして週末の土日はゆっくり休みまして、今週の月曜日から仕事に復帰。

覚えたことを思い出しながら、さらに新しいことを覚えて、頭が爆発しそうな私。

ま、3週間も休ませていただいたので文句は言えません。

で、毎日毎日忙しく、よってブログを更新する時間もなく、今日になってしまいました。

時間のあるときに、ぼちぼちとコタキナバル旅行記を掲載したいと思います。

さて、今回訪れたところ コタキナバルは ボルネオ島 マレーシア サバ州の州都。

コタキナバルだけで人口は60万人。

中心地は、とにかく人と車とバイクでいっぱい。
夜になると人が外に繰り出してきて、いつでも賑やか。

路上駐車は当たり前で、信号はあっても守る人もいないし、そういういい加減なところが
わたしは好きです。(笑)整然としていないところも、またいい感じ!

出発したのは4月26日の夜遅く。子どもたちとマイクに空港まで送ってもらいました。

別れ際にちょっと悲しくなりましたが、子どもたちは おなか空いただの、退屈だのと言い、
別れを惜しむという感じでは全くなく、早く家に帰りたいようだったので
さっさとさよならして、わたしは1人搭乗ゲートに向かうことにしました。

母親が遠くへ行くのに、誰も寂しくないの???と思いましたが、
逆に「私がいなくても父親がいてくれれば大丈夫」という、子どもたちの父親への信頼感がきちんと築けていることに
非常に感心し、これでいいのだ! と思い直し、いざ出発。

ベンジャミンがいよいよお別れというときに 「 マミー、どこに行くの? 」と聞いたので、
「 コタキナバル 」と答えたら

突然、コタキナバル ダンス を踊りだし(なんだそりゃ??) で、別れ際に
「 Happy Kota Kinabalu !」(なんだそりゃ??) と私に耳打ちしたのであります。

おもしろい子です。

そして4月27日早朝にコタキナバルに到着しました。

空港について、タクシーを拾おうと思ったときに ばかばかしいとは思いつつも

「 あぁ、ここで誘拐されたら 終わりだよね 」 と一瞬 思ったのですが

他にも旅行客はそれなりにいたし、誘拐される確率のほうがされない確率よりも絶対的に低い
と思い直し、タクシーを拾って予定のホテルへ向かいました。

案の定、人は親切で タクシーのおじさんもとてもフレンドリーでした。

そして未開発の外の風景を眺めながら、なんだか遠い昔にトリップしたようなそんな気になりました。

飛行機には家族連れが多く搭乗していて、1人の赤ちゃんが 声が枯れるほど ずっと泣き叫んでいたので
ほとんど眠れませんでした。

とにかく 今日の午前中はホテルでゆっくり寝るしかないな! と思いながら
空港からホテルまでの道程をぼーっと眺めながら、インドネシア出身で、コタキナバルに来て
30年になるタクシーのおじさんとおしゃべりしているうちにホテルに到着したのでした。


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