オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

金沢の旅 前田利家を祀る尾山神社、石川四高記念館

2019年12月03日 | 新潟・富山・石川・福井
前田利家を祀る尾山神社西内惣構堀跡神門。和漢洋混合、伊東忠太のような様式です。拝殿神門の内側授与所前田利長の金鯰尾兜菊桜母衣利家像金谷神社さし石(力石)
お松の方の碑辰巳用水の導水管香林坊の東急ハンズ香林坊地蔵香林坊のモニュメント北陸の老舗デパート大和(だいわ)・ATRIO。賑わっているのはデパ地下だけでした。香林坊の石碑。香林坊という名の僧侶がこの場所で目薬屋を営んだことに由来します。近くに漢方薬の店がありました。石川四高記念文化交流館旧制第四高校の跡地です。一高は東京、二高は仙台、三高は京都、4番目が金沢でした。懐かしきナンバースクールです。リベラルアーツに特化した大学予科で、今日の大学教養課程ですです。
四高の模型正力松太郎は富山県高岡市の出身です。そのため富山県では読売新聞のシェアは大きい。巨人人気も高いです。正力(業界内では大正力といわれました)は四高出身です。四高と名古屋の八高と運動部の定期戦を行いました。名古屋に南下して戦うので南下軍のようです。石川近代文学館は時間の都合で見学できませんでした。門衛所弊衣破帽の四高生第7代校長・溝渕進馬像正門一高から八高をはじめ旧制高校は各地にありましたが、四高のように立派な記念館を残している事例はほかにはないのでは。ちなみに四高は「しこう」と読むそうです。
記念館の名称が石川四高記念館とは妙ですね。これでは県立の学校みたいです。県立の施設だから県名を付したのでしょうね。
旧制のナンバースクールでは、一高、二高、三高くらいまではわかる人は多いが、四高、五高となると地元の人以外はどこの高校なのかわかりにくい。ナンバースクールは名古屋の八高までは存在しましたが、九高、十高はなくて、9番以降は山口高校、新潟高校などと自治体名を付けて、ネームスクールと呼ばれました。
北海道大学予科の恵迪寮は北海道開拓村に移設保存されています。時計台も北大の記念館の一つです。

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