出羽・古城の旅 男鹿半島の「土づくりの城」脇本城 2017年09月23日 | 青森・秋田・岩手 朝の秋田駅前通り 秋田駅 特急つがる 蓄電池電車ACCUM。男鹿線(非電化区間)では2017年春から蓄電池式の電車が運行されています。栃木の烏山線に次いで2番目です。男鹿線脇本駅 タクシーで脇本城の麓へきました。運転手さんによると徒歩だと20分くらいだそうです。20分なら歩くべきでした。脇本城は今年「続日本100名城」に選定されました。菅原神社の鳥居 日本海 菅原神社 プレハブの無人案内所内舘地区の屋敷跡館跡群跡 日本海、西方向日本海、南・秋田市の方向西側土塁 主郭部 内館跡 大土塁 眼下の城下町 井戸跡 館神堂 井戸跡 土塁 天下道 馬乗り場麓の墓地 本明寺側の城山入口 本明寺本堂 山門 寒風山。山形新幹線の車内誌に作家の沢木耕太郎がエッセイを連載をしていました。今月は秋田の寒風山。沢木は高校時代に秋田を旅して寒風山に登りました。男鹿線開通100周年です。 脇本城の城山男鹿線の終着駅、男鹿駅へ向かいます。 男鹿駅改札口 駅前通り右上の架線はACCUMの充電設備ACCUM
出羽・古城の旅 鎌倉後期、小野寺氏が築城した湯沢城 2017年09月22日 | 青森・秋田・岩手 北陸新幹線かがやき 上越新幹線MAXときMAXときのE-4系は2020年には廃止となり、2階建て車両は姿を消します。2階建て車両は輸送力は大きいが、最高速度が遅いために、運行効率が良くないためだそうです。私は越後湯沢へ何度も乗りました。少々さびしいです。 秋田新幹線こまちと東北新幹線はやぶさの連結 とき、あさま、やまびこに使用されるE-2型山形新幹線つばさ。私は初めて山形新幹線に乗り山形へ向かいます。東北本線は18きっぷで十数回往復しています。東北新幹線は八戸へは行ったことがありますが、山形へは初乗車です。JR東日本の新幹線ホームはいろんな車両を見ることができて楽しいですね。米沢駅を通過 上山温泉駅付近の田園風景に不似合いな高層ビル2015年秋に訪れた上山城山形駅に到着山形駅の新幹線改札口左沢線の気動車 新庄行きの標準軌電車。福島~新庄間は標準軌のレールを新幹線と在来線が共用しています。 新庄駅でのつばさ 新庄駅の標準軌レール、左は在来線、右は新幹線昔の奥羽線のホームを改造して南側を標準軌、北側を秋田行の狭軌線路としてうまく利用しています。秋田行の狭軌電車湯沢駅。湯沢といえば関東では越後湯沢のほうが有名ですが、多分、越後湯沢がスキーで有名になる以前は秋田の湯沢のほうが全国的に有名だったのだと思います。駅前通り 中心部の商店街湯沢城の麓、中央公園佐竹南家の門お沢神社湯沢城は鎌倉中期に小野寺氏が築城、戦国期に最上家中の楯岡満茂が城主となり、江戸初期に佐竹の支城となったが一国一城令により廃城となりました。 二の丸跡 馬舎跡 本丸跡五社壇跡堀切跡見張台跡 山麓の清涼寺 清涼寺の門福小町の木村酒造 大名行列のポスター雄勝郡会議事堂記念館内部2階の絵灯籠2階の窓 玄関内部犬っこ清水 両関酒造 事務棟 両関の伊藤家商店 酒の湯沢ドイツ風の商店街 湯沢市はジークブルグ市と国際交流を続け、通りの名をジークブルガーシュトラッセと言うようです。親切な観光案内所 今夜の宿泊地、秋田へと向かいます。秋田駅のなまはげD5152の模型D51554の模型新幹線こまちの模型 D51554の煙室戸駅名の由来 改札口 竿燈のディスプレー
奥州・古城の旅 南部藩、南の伊達への備え、花巻城 2016年09月27日 | 青森・秋田・岩手 南部領の南端の花巻城に行くために花巻駅で下車しました。 花巻城の堀、後川。花巻駅から花巻城へは徒歩で30分くらいです。 早坂門 鳥谷ヶ崎公園。花巻城の別名は鳥谷ヶ崎城です。 二の丸 西御門。1995年に復元されました。 本丸北側の後川 本丸 二所ノ関部屋の開祖、南部藩お抱え力士、大関・二所ノ関軍右エ門の碑。南部藩は相撲が盛んだったようです。鏡里も隆の里も旧南部藩の出身ですね。 本丸 武具蔵跡 本丸井戸 新渡戸ロード 台所前御門跡 菱櫓跡 御囲穀蔵前堀跡 鐘撞堂前堀 武徳殿 鶴陰碑 佐藤昌介は花巻出身で札幌農学校1期生で、新渡戸稲造の1期先輩です。 焔硝蔵跡 花巻小学校体育館壁面の宮沢賢治シルエット 一周して本丸入口に戻りました。 鳥谷ヶ崎城址碑 長屋前御門跡 長屋跡 花巻駅。今回は九戸城、三戸城、八戸城、根城、盛岡城、花巻城と南部藩の城を回り、南部藩の城の位置関係がよくわかりました。
奥州・古城の旅 高石垣が残る南部藩十万石の盛岡城 2016年09月27日 | 青森・秋田・岩手 盛岡駅に着きました。駅前の新渡戸稲造像 駅前から循環バスに乗り盛岡城跡公園に到着。想像よりかなり立派な高石垣です。 亀ヶ池 南部藩4人の藩主を祭神とする桜山神社 神社裏手の烏帽子岩 稲荷神社 神社の鳥居と烏帽子岩 三の丸跡 三の丸下のバラ園と広場 宮沢賢治の歌碑 二の丸跡 二の丸と本丸の間の堀切 二の丸と本丸の間の渡雲橋 本丸虎口 南部利祥中尉の銅像台座。南部42代の南部利祥は日露戦争に中尉として出征して戦死。銅像が建立されましたが、太平洋戦争中に供出させられ、今は台座だけが残っています。 本丸跡 発掘調査中です。 凌雲亭 腰曲輪側の本丸石垣 宮野小提灯句碑 腰曲輪跡 桜山神社の石碑 三の丸の大石と大木 鶴ヶ池 岩手日報の社屋 1993年世界アルペンスキー選手権雫石大会、メダリストの手形のモニュメント。男子回転・大回転2冠はオーモット、滑降1位はリーマン、複合1位はラッセ・チュース。長野オリンピックは1998年開催なので、雫石大会はプレ冬季五輪という位置づけだったのかもしれません。たしか1998年の冬季五輪の誘致は雫石対長野の争いで、どっちに決まっても西武の地盤での開催でした。西武王国の最盛期でした。 原敬の顕彰碑 ペットボトルを活用した盛岡城 ふるさと歴史文化館は休館でした。 桜山神社の正面 盛岡城の高石垣
奥州・古城の旅 南部師行が築城した根城と八戸市博物館 2016年09月27日 | 青森・秋田・岩手 根城に向かうため十六日町のバス停でバスを待っています。八戸の中心部は城下町なのに道路が整然としています。八戸では1924年に大火があり、その後、道路整備が行われました。 東北フリーブレイズのペナント。八戸が本拠地なのだから、八戸フリーブレイズと名乗ったほうがいいと思います。東北だと仙台がホームかと思われます。 根城の広場に隣接して八戸市立博物館があります。 南部師行の銅像。南部氏はもとは甲斐国の御家人で、南北朝時代に北畠顕家に従って奥州北部を支配し、南部師行が1334年に根城を築城したといわれています。 博物館はまだ開館前なので先に根城広場を見ることにします。 旧八戸城東門 堀跡 東門の内側 東善寺跡 実のなる木。ウメ、モモなど実のなる木を植えて籠城戦に備えました。 こちらは枝垂れ桜など観賞用に木 堀跡 中館跡 本丸の1/50模型 本丸への道 本丸の木橋 本丸東門 本丸の主殿 本丸の井戸 中馬屋 馬屋の内部 主殿の広間 地元出身の横綱隆の里のポスター。稀勢の里、高安は隆の里の鳴門部屋の現役力士です。 下馬屋跡 物見跡 一葉一字供養塔 祭壇跡 西門 武具工房 常御殿跡 野鍛冶場 鍛冶工房 奥御殿跡 板蔵 納屋 根城址碑 時計塔 ガイドハウスの裏の城址碑 根城のしおり 博物館の館内を見学します。 八戸城御殿の模型 八戸城の城下絵図 八戸藩の位置 八戸城の位置 根城本丸の模型。博物館は根城と八戸城の展示物が混在し、やや混乱します。根城の南部氏は盛岡南部氏の家臣となり1627年に遠野に領地替えとなり八戸は盛岡の直轄となります。その後、盛岡南部藩10万石は1664年に跡継ぎ不在のため盛岡藩8万石と八戸藩2万石に分割され八戸藩は八戸城を居城として幕末まで続きます。 博物館前からバスで八戸駅へ向かいます。 八戸駅 駅前のイチイ(オンコ)の木 八戸駅のコンコース。八戸駅は2012年11月に十和田湖・奥入瀬に来た際に利用しました。その時は新幹線、今回は各駅停車の旅です。東京は遠いです。