1945(昭和20)年7月12日の夜 夜中に 起こされた。
朦朧(もうろう)と していた 三才半の 自分。
アメリカ軍の 空爆を 避ける為に 燈火管制(とうかかんせい)中で
覆いをした 薄暗い電燈の下で 母は 必死に 自分を 着替えさせた。
背負われて 雨の降る中 自宅の門の前に。
暗い中 通る 人々は 頭から 敷き布団を 被っている。
生涯 忘れられない 心象風景。
その後 郊外の 田んぼ まで 真っ暗な 雨の中 逃げた。
当時の 宇都宮市街の 65%が被害
全焼 9173戸
死者 620名
負傷者 1128名
昨年 行われた ふくべ灯篭流しに 行きましたので その時の様子
当時は 市の 中心部に 住んでいたが
建て込んで いない地区だったので 類焼は まぬがれた。
近くの 東小学校は 校舎は全焼した。
死んだ方が 累々と 校庭に 並べられた。
駅の 東地区では 他から 来た 新住民が 多く
60歳位の 人と 空襲の話に なった 時に
駅傍の 古い 篠原家住宅が 残っているのだから
空襲は 無かったはずだ と
聞く耳を 持たなかった。
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