goo blog サービス終了のお知らせ 

MUSIC IS THE SCENERY

いつも背景には音楽がある。
インディー・ポップ中心の洋楽ブログ。

6 最強のアコースティック・デュオ、Everything But The Girl

2006-03-26 22:34:09 | アーティスト紹介
 チェリー・レッド・レーベルでソロやバンド活動をしていたトレイシー・ソーンと同じくソロ活動をしていたベン・ワットの2人が、レコード会社のアイデアで男女デュオとして82年結成。ともに当時イギリスの名門ハル大学の学生。ジャズやボサ・ノヴァをベースにしたアコースティック・サウンドでデビュー時から人気を集め、現在までに10枚ほどのアルバムを発表。常に新しい音楽に取り組んでおり、94年にはシングル「Missing」が全米1位を獲得。その頃からはドラムン・ベースを基盤としたエレクトリック・サウンドに傾注しDJ活動も行うなど、若いファン層をも確実につかんでいる。

 初期の彼らは「Night And Day」の斬新なカヴァーから始まる。とくにポール・ウェラーからは相当気に入られたようで、自身のレーベル・レスポンドに参加させようとしたが失敗、The Style Councilのファースト・アルバム「Cafe Bleu」に収録の「The Paris Match」ではトレイシーのヴォーカルとベンのギターが聴ける。その後ファースト・アルバム「Eden」を84年にリリース。
 当時はちょうどMTVの時代。2人のルックスの悪さもあり、音楽雑誌などでは、この映像の時代この2人はどうやって生き残っていくのだろうなどと書かれたものだった。その後もオーケストラを取り入れたものや、ジャズ色を強く出したものなどアコースティックを基調にしたアルバムを7枚残し、ドラムン・ベースに向かっていってしまう。

<私の選んだEverything But The Girlベスト5>
1 Apron Strings
2 Ballad Of The Times
3 Another Bridge
4 We Walk The Same Line
5 Little Hitler
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5 クレプスキュールの歌姫、Anna Domino

2006-03-18 14:28:09 | アーティスト紹介
85年のある春の日。ピーター・バラカン氏がDJを務めたTBSの音楽番組「ポッパーズMTV」で、ちょっと不思議な魅力を持つ曲と映像とそれを演じた不思議な女性をチラッと見た。
ベルギーのレーベル、クレプスキュールが日本で行ったフェスティバルのために来日した時のものだったのだが、その時分かっていたのはアンナ・ドミノという名前だけだった。
その名前だけを手掛かりにレコード店を回った。見つからない。店員に聞いても分からない。友人に聞いてみると、やはり彼女のレコードを探している友人がいるが見つからないとのことだった。
何日か過ぎ半分諦めていたが、偶然入った新星堂でついに見つけた。クレプスキュールはまだ日本の大手レコード会社と販売契約がなく、新星堂だけが独自に販売していたのだった。
「Rythm」(12インチ)と「East And West」(ミニ・アルバム)の2枚あった。どちらか分からない。両方買ってしまった。急いで家に帰って聴いてみた。それは「Land Of My Dreams」という曲だった。

彼女は東京生まれ、カナダ育ちのアメリカ人。帽子のデザイナーをしていたが、84年頃にベルギー・ブリュッセルのインディーズ・レーベル、クレプスキュールからレコード・デビュー、欧州を中心に音楽活動を開始。90年までに3枚のアルバムと1枚のミニアルバム、数枚のシングルを発表。ジャズやニュー・ウェイヴなどの要素を取り入れた大胆なサウンドで一部で人気を集めた。しばらく音沙汰がなかったが、彼女の音楽のパートナーでギタリストのマイケル・デロリーと結婚し活動の拠点をアメリカに移し、98年にSnakefarm(スネークファーム)として復活。ブルースや古いフォーク・ソングをDJ的な斬新なアレンジで蘇らせた。
 
<私の選んだAnna Dominoベスト5>
1 Land Of My Dreams
2 Summer
3 Lake
4 Perfect Day (No, He Says)
5 Sixteen Tons
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4 キューティ・インディー、Talulah Gosh

2006-03-12 13:20:55 | アーティスト紹介
 20年間インディー・シーンにこだわり続けてきたアメリア・フレッチャーの最初のバンド。
 86年にオックスフォードで結成。当時大学生のアメリアがエリザベス・プライス(後に脱退)と女の子バンドを作ろうとしたのだが、結局はバックにアメリアの弟のマシュー(当時15歳)、彼氏のピーターら男性陣を加えて出来上がったのがTalulah Gosh。インディーの名門53rd&3rdからデビュー、約2年間活動する。
 アルバムを出すまでには至らなかったが、シングルやラジオ・セッションなどで25曲ほどを残す。パンキッシュでラフな音と、アメリアのキュートなヴォーカルがうまく組み合わさっている。技術的には未熟ながらもフォロワーは後を絶たない。メンバーの音楽性の不一致ということで88年に解散するが、翌89年にはほぼ同じメンバーでHeavenlyを結成することになる。
 
<私の選んだTalulah Goshベスト5>
1 Talulah Gosh
2 I Can't Get No Satisfaction(Thank God)
3 The Girl With The Strawberry Hair
4 Spearmint Head
5 Beatnik Boy
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3 モダン・ポップの最高峰、Prefab Sprout

2005-12-10 02:47:06 | アーティスト紹介
Prefab Sprout=組み立て式の芽。
変哲な名前の彼らは、ニューキャッスルに本拠を置くキッチンウェアというレコード会社から84年にアルバム・デビュー。そのファースト・アルバム「Swoon」と、翌年リリースの「Steve McQueen」の2枚のアルバムのヒットで人気をつかむ。とくにトーマス・ドルビーがプロデュースしたセカンド・アルバムは、彼らの出世作で、そこに収録された「When Love Breaks Down」は日本のFMでも2週間くらいかかりっぱなしだった。その割には彼らの存在を知っていたのはごく少数であるが。このアルバムは当時大人気のスタイル・カウンシルに通じるものもあり、それでいて曲によって多様な顔を持った名盤である。

フロントマンのパディ・マカルーンのヴォーカルは、はじめはかなり癖の強いものに思われたが、徐々に幅が広がり成長を遂げていく。彼が書く曲のほうも、最初はポスト・パンク的なにおいがしたが、バート・バカラックを代表とする良質なポップを取り入れ、ついには英国モダン・ポップの最高峰にまで登りつめていく。

彼のヴォーカルとともに、紅一点ウェンディ・スミスの澄んだ高音の声も魅力のひとつだったが、残念ながら97年の「Andromeda Heights」の後に脱退している。

私がこのバンドを知ったのは85年のことで、当時ピーター・バラカンがDJを務めたテレビ番組「ポッパーズMTV」でセカンドに収録のシングルカット曲「Goodbye Lucille #1」のビデオ・クリップが流れ、その少し抑え目ながら若さあふれる
曲と映像に一発でファンになってしまった。そのすぐ後にエピック・ソニーが若手バンド3組か4組をセットにしたショーケースを企画、その1バンドとして来日しているが、運良く見に行くことができた。あまりライヴに熱心なバンドではないので、かなり貴重な経験だったようだ。

<私の選んだPrefab Sproutベスト5>
1 Bonny
2 Goodbye Lucille #1
3 Avenue Of Stars
4 I Remember That
5 Jordan:The Comeback


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2 リヴァプールの永遠の青年、The Pale Fountains

2005-05-22 14:37:22 | アーティスト紹介
I JUST WANT TO WRITE CLASSIC SONGS-Michael Head

ネオアコ好きなら知らない人がいないであろうこのバンド。現在はShackを率いるマイケル・ヘッドを中心とする4人組。バート・バカラック、ボサ・ノヴァ、フォーク、ジャズ、60年代ポップスなどの音楽を巧みに取り入れ、甘く切ない爽やかサウンドを作り出した青春バンドで、硬派な面も多分に持つ。82-85年の3年間にアルバム2枚と短命に終わってしまった。

このバンドはインディーズのオペレイション・トワイライトというレーベルからスタートするが、デビュー曲がボサノヴァ調の大名曲「JUST A GIRL」。私の生涯チャート、ベスト3入りは必至のこの曲。といってもオリジナル・アルバムに収録されていないので、The Pale Fountainsのことは知っていても、この曲は知らないという人も多いと思う。まあこの曲のお陰でメジャーのヴァージンと契約することにはなるのだが。そのヴァージン移籍後すぐの2枚のシングル「THANK YOU」「PALM OF MY HAND」が全英チャートに入るヒットとなったことを考えると、この曲がその時期にリリースされていたらもう少し違う結果になったのではないかと思ってしまう。

そしてファースト・アルバム「PACIFIC STREET」を84年発表。デビュー当時から目立ったトランペットは健在、ボサノヴァ風の曲に加えロック調の曲もあるなど、音楽性の広がりを感じさせる。アレンジも細部にわたり隙がなく、とても美しいアルバムに仕上がった。今でこそ日本ではネオアコの名盤とされるこの作品も、実際に評価されるようになったのは解散してしばらくしてからだ。

メンバーチェンジの後に発表されたセカンド・アルバム「・・・FROM ACROSS THE KITCHEN TABLE」では、彼らの持ち味のひとつでもあったトランペットの音が消え、曲調はエッジの効いたハードなものになり、ヴォーカル・スタイルまでも以前のナチュラルな歌い方から大きく変わってしまった。まるで別のバンドが出したアルバムのようだ。でもこれも悪くはない。しかし結局このイメ・チェンも成功することなく、解散へと向かってしまう。

私の場合、このバンドをリアルタイムに聴いたのは、解散直前に来日したときにFMで彼らのライヴを放送したのだが、それが初めてであった。その時は大して印象もなかったのだが、解散後3-4年して、新星堂からイギリスのインディーズの3枚組コンピCDが発売され、そこに収録された「JUST A GIRL」を聴き感動。その後セカンド、ファーストの順で購入という変な聴き方になってしまった。

そして98年、ふと訪れた輸入CDショップでドイツのマリーナからリリースされた彼らのレア・コンピ盤を見つけ即買い。「JUST A GIRL」(PACIFIC STREET国内盤に収録されているのは別ヴァージョンなのでご注意)で幕を開けるこのCDで、それまであまり知られなかった初期の彼らのヴェールが脱がされることとなった。残念ながら今は廃盤。
なにかと運に見放された感のあるバンドだが、マイケル・ヘッドの不運はまだ続く。機会があればまた後で。

<私の選んだThe Pale Fountainsベスト5>
1 JUST A GIRL
2 REACH
3 THE NORFOLK BROADS
4 JEAN'S NOT HAPPENING
5 THANK YOU
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1 80年代中期英国の良心、The Smiths

2005-05-19 02:36:38 | アーティスト紹介
ブログ初心者です。

洋楽の好きなアーティスト、バンド100組を不定期に紹介していきます。
70-80年代が中心になると思います。
興味のある方、ご覧ください。


経済的にもロックの世界でも停滞していた80年代中期の英国。70年代に始まったパンク・ムーヴメントも終わりを告げ、柱となるアーティストに欠けていた83年、彼らはインディーズのラフ・トレードから登場。マンチェスター出身の失業中など無職の4人組で、87年までに4枚のアルバムと18枚のシングルを発表。80年代中期英国の信頼できるナンバーワン・バンドへと育つ。02年4月に英国の音楽誌・NME誌が発表したこの50年間で影響力のあった英国アーティストで、ビートルズを押さえ見事ナンバーワンに輝いた。アルバムはすべて全英で1位か2位を記録、シングルもトップ10ヒットを数曲持つ。
ヴォーカルのモリッシーが書くやや倒錯的で人間の弱さや自閉的な思春期を表現した歌詞と、ジョニー・マーの独特なギター・ワークに魅了された「スミス信者」を多く生む。モリッシーの発言は過激でユニークで、マスコミからしばしば取り上げられた。とくに詞の面では他のアーティストがかすんで見えるほど秀逸。

 僕たち2人に
 2階建てバスが突っ込んでこようとも
 君のそばで死ねるなら
 これほど素晴らしい死に方はない
 (THERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUT)

この場合の君は男性であったりするのだが、それはさておき他にはないストレートに心に突き刺さるラヴ・ソングだ。

 人生は与えるものじゃなく
 単に取るものだけだって
 僕は今日定めたよ
 イギリスは僕のもの 僕に対して義務がある
 理由を聞くなら君の目につばを吐いてやる
 (STILL ILL)

といった具合。

彼らが思っていたのは、労働者階級の人間が人前で大きな声で何かを言いたいならロックで成功するしかないということ。

結局はモリッシーとジョニー・マーの不仲が原因で87年に解散、モリッシーはソロに転向し大成功を収める。

それにしても当時の日本では彼らは全く無視されていた。アメリカで売れないと受けないという風潮があり、その頃日本で人気のあったイギリスのバンドといえばカルチャー・クラブやデュラン・デュランなどアイドル性の強いバンドだけだった。私の周りも洋楽ファンがたくさんいたが、彼らを知っていたのは2人か3人だけだった。
多くのフォロワーを生んだ彼らは、解散から20年近くが経とうとしている現在でも若い人に聴き継がれているようだ。

<私の選んだThe Smithsベスト5>
1 THIS CHARMING MAN
2 WILLIAM, IT WAS REALLY NOTHING
3 THERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUT
4 ASK
5 HALF A PERSON


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする