もとmoto元・甲斐の馬券神

2007年甲斐から笄に、2011年芝浦に拠点を移し、さらに2016年からは本拠札幌にて競馬三昧の日々を送る毎日。

東北の今

2012年11月01日 | 旅日記
◆昨年秋、震災後半年ほど経過した時点で仙台に出張する機会があり、仙台空港から海沿いを通って仙台市内に向かう道すがら周囲を眺めると、自衛隊に山積しているガレキや1Fが津波で洗われた建物、畑の真ん中に放置されている船などに被害の甚大さが伺え、言葉を失った。

◆2012年10月下旬、再び仙台への出張機会がやってきた。

 まず降り立ったのは津波で航空機がオモチャのように流されるもようがTVで中継された仙台空港に降り立つ。

◇到着出口をでてすぐのロビー。災害の痕は微塵もない

 

◇仙台空港の外観A・B

 

 

◆前回は名取近辺の様子をみたのだが、今回は仙台在住の知人の協力を得て、少し足をのばして南三陸町を来訪した。
登米から本吉街道を海に向かって下っていくと、街道沿いにプレハブの売店がチラホラ。

 「コンビニが流されたんで、プレハブで営業してる」とのこと。

 街道沿いにある建物は皆、道から少し上がったところにある。どうやら道より5mほど高いところから始まっている林より低い地区はすべて津波で洗われた部分らしい。

◆視界が開けてから走ること数分。目の前に広がった光景には絶句した。

 平地部分に残るのは住宅の土台であろう部分。海から1kmほどは土台痕のほかには捻じ曲げられた鉄筋構築物のみ。

◇港入口の建物。3F以上は鉄骨が曲がりむき出しになっている。

 

◇完全に破壊された水門。すぐ脇に破片が未だに水の中に転がっている。

 

◇港入口から50mほどにある建物。その左で海の中に横たわっているのは、おそらく堤防の破片。

 

◇うず高く積み上げられたがれきの山

 

◇がれきの撤去作業中のショベルカー群。果てしない格闘に思える。

 

◆大震災から1年半が経過してもなお、被災地はこんな状態だった。

 感想は、被災地だけの努力でこの状況を克服し元の姿に戻すのは無理だな、ということ。この状況は南三陸だけでなく、おそらく他の被災地も同様な状況にあるのだろう。
 大震災で甚大な被害を被っていない地区は、復旧に向けた取組に対し可能な限りの協力をすべき。「がれきの受け入れは放射能が心配だから反対」などといって自治体によるガレキ処理受け入れの拒否運動をするアホどもは、災害から1年半を経過しても目処がたたないこうした現状を自分の目でみてみるべきだな。

 復興には国の力も必要になるだろうが、少なくとも自民党政権であればもう少しはまともな状態になってるんでないかと思う。被災地復興のためにも民主党政権は1日も早く政権与党の座を返上すべきだろう。

◆被災地復興のために我々が何ができるか、日本人として一度真剣に考えるべきだろう。

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