最近行事が重なってなかなか足摺岬を訪れることができません。
と言っても4回今年訪れていますが画像を見直して見ても今時季節感に上手く合うものが見当たりませんでした。
ので、思い切って前々から取り上げてみようと思っていた足摺岬松尾にある女城神社祭りにスポットを当ててみることにしました。
画像の日付は平成23年のものです。今年は松尾観光ホームページにも祭りの記載を見ることがありませんでした。祭りは旧暦で行われています。
松尾にもいろいろな観光名所があります。代表的なものに「吉福家住宅」「アコウの木」などがガイドブックに記載されています。
わたしは以前から松尾にある女城神社には度々訪れていますがこの年「平成23年」はちょうど女城神社祭り」が日曜日と重なりこの時とばかりに訪ねてみました。
足摺岬の白山神社大祭もそうなのですが厳格に開催日が旧暦の何日と決められていて今も守られています。だからわたしは訪れるチャンスが限られてきます。女城神社は旧暦の3月15日に行われるそうです。
松尾では「松尾のアコウ」と「吉福家住宅」がガイドブックでは必ずといってよいほど記載されています。
車で訪れる方はこの曲がり角が曲者です。画面向こう側に道路の段差があり低くなっていますからハンドルを切る時十分余裕を見ておいて下さい。
画像右の空き地が「吉福家住宅」の駐車場となっています。
先ほどの「吉福家住宅」の駐車場に駐車できますがわたしが訪れた時には「吉福家住宅」を通り過ぎた先に臨時駐車場が設置されていました。
また、休日と重なる時など今は廃校となっている「松尾小学校」に臨時駐車場が設定されているかも知れません。
女城神社へは「吉福家住宅」を海側へひたすら進んで行けはよいと思います。
そうは言っても道を進んで行くとだんだん細くなって行きます。
訪れた初めの頃、このようなお祭りの幟がない時はとても不安になりますが画像に見られる小道を進んで行けばよいのです。
いつ訪れても地元の人が畑にいろいろな季節の野菜を上手に育てていました。
野菜によっては連作を嫌うものが多くありますがその時々訪れると見事に生育しています。
・・・横道にそれちゃいました。
以前はこんな立派な案内板などありませんでした。
ここ数年で整備されたように思えます。だいたい足摺岬にあるいろいろな岬への小道はこんな感じです。
女城岬の隣にある明神岬やその隣、鵜ノ岬も同様です。何となく心細くなりますが訪れた時はお祭りですから遠くから賑やかな音楽が聞こえ音の方向をたどって行っても大丈夫です。
女城岬
いかがですか景勝「女城岬」
「女城」ちゃんと読めましたか。最初わたしはどう読めばよいのか分かりませんでした。
「めじろ」と読むのですね。地名はその土地で呼び方が決まっているのは当然ですが昔々「大堂海岸」を訪れる時バスにのって「だいどう海岸まで。」と言ったら運転手さんが「おうど(う)海岸」と教えてくれました。
以前わたしが訪れた頃には女城鼻(ハナ)と呼ばれていたように記憶していましたが新たな案内板は岬となっていました。
ここが女城神社です。小じんまりしています。スタッフジャンパーを着た人と比べると大きさが分かると思います。
実は神社の扉が開いているのを見るのは今日が初めてです。
この女城神社は安産の神として知られているそうです。このことは高知県土佐清水市松尾地区観光ホームページに記載されています。
ウバメガシ
女城岬にある女城神社は周囲をウバメガシの樹林に囲まれています。
ウバメガシの樹林の向こうには女城岬から「トオルマの夕日」が形成される海食洞門がある「ズボノクチバナ」を見ることができます。
足摺岬はその先にありますから見ることはできません。
岬には大漁旗でしょうか折からの強い風にはためいていました。
目の前にはズボノクチバナがありよく見るとトオルマの夕日を形成する海食洞門を見ることができます。
その奥にはトオルマの夕日観賞地点の大戸があります。女城岬も女城神社から下に降りて行くことができお祭りを終えた人々が三々五々お弁当を食べ楽しみます。
女城鼻監視哨跡
ここ女城岬というかやはり以前は女城鼻と呼ばれていたようですが太平洋戦争中に造られた監視哨でほぼ当時のまま現存しているのは全国的にも珍しいとこことです。
案内板にもかかれていますが太平洋戦争末期には米国海軍の艦載機おそらくF6Fヘルキャットだと思いますが機銃掃射されたそうで足摺岬灯台も標的になったようです。
女城鼻監視哨跡
わたしの義父から艦載機からの機銃掃射を受けた話を聞いていましたがどうなんでしょう。
時節柄女城岬を訪れた時には見学して下さいね。
祭日は、旧暦の3月15日に行われます。平成23年は日曜日と重なっていましたのでわたしは見学することができました。
”新生児が男児なら小型の「幟」、女児なら手作りの「まり」(現在は市販のもの)、それに鐘の緒を副える人もおり、安産と無事な成長の御礼に奉納している。
また、子供の欲しい女性や、安産を願う呪物として奉納品を借り受け祀る風習が伝承されている。”
当日は子供を授かった母親や安産を報告し御礼をする祖母などの姿が見られました。
当日は「夢郷流・和歌那会」の和歌那師範の奉納舞「新田義貞」が奉納されました。
以前から女城神社祭りでは奉納舞が演じられることを知っていいましたが前述のように足摺岬で行われる祭りは旧暦で忠実に行われるためなかなかそのチャンスに恵まれませんでした。
女城神社祭りと奉納舞に関してこの日、和歌那師範による説明が冒頭ありました。やはり、要約すると「縁」によるものだと話されていました。
この日の奉納舞「新田義貞」はこの女城神社の平家落人伝説にまつわるものと少し異なっていますがいつもは平家に由来した舞を奉納しているそうです。
ここで前述の高知県土佐清水市松尾地区観光ホームページからの引用です。
”女城神社の祭神・生平さまの伝承は、市史によると、鎌倉時代と推定され平家落人伝説にまつわるものとある。源平合戦の後、雌鹿の背に乗り、また「うつぼ舟」を乗り継ぎ、当地まで漂着したと伝えられている。
生平さま(海洋信仰の神霊説)は間もなく、女児を出産すると死没するが、女の子は地下の人々に育てられ成人し、妊娠・出産の世話をするようになる。手がけた子は不思議と安産であり皆健やかに成長したといわれ、安産の神様として祀られることになり現在に至っている。”
「夢郷流・和歌那会」の和歌那師範の奉納舞「新田義貞」の一場面です。
この後、女城神社祭りでわたしの印象に強く残った舞いの動画をつけておきますね。
祭りはこの後、子供の輪投げやいわゆる早食い競争などの催し物がありました。
昼食時になると前述した女城岬へ下りて行き楽しそうにお弁当を食べていました。
一見の観光客はお弁当の用意がないと思いますがそこはちゃんと各種のお弁当と飲み物の販売が行われていました。
女城神社祭りでの奉納舞です。「夢郷流・和歌那会」の
和歌那師範による「新田義貞」。
女城神社祭りを訪れた雰囲気を楽しんで下さいね。
当日は風が強く少しノイズも入っていますがお許しを。