亀呼場、一夜建立ならずの華表からすぐ近くにあります。
ここ、足摺岬灯台。職員宿舎が建っていた場所でもあるのですが昭和四十年の終わり頃、取壊されてしまいました。
あんな瓦葺屋根の日本家屋で台風銀座と呼ばれる足摺岬に建っていたなんて職員の人たちも大変だったと思うのです。ちょっとわたしの郷里の小豆島にある岬の分教場の建物を思い出しました。
こんな日の足摺岬灯台もよいでしょう。この写真は一昨年の1月のものを使用しています。
デジカメではなかったので一応リバーサルフィルムです。
ちょっと作品を気取ってみて。
カメラ:ミノルタα7 レンズ:ミノルタ17-35ミリF3.5 F16 RDPⅢ AE
かな、そうそう足摺岬の職員宿舎の屋根の瓦はつぎはぎだらけ。今思えば暴風で飛ばされたり破損したものを修理したためでしょうか。前述の岬の分教場の建物が重なって思い出されます。
足摺岬灯台
灯台の広場からはもう足摺の海は見ることは出来ません。昭和五十年頃は広場を取り囲む樹木はほとんど無くあるいは低木だったため広場から大洋に沈む夕日を見ることが出来ました。
この画像は昨年の1月のものを使用しています。変わっていないなあと思いつつやっぱり樹木の茂り方など最近は特に力強く感じられます。そんなことを考えながら隣の休憩所がある場所に移動します。
ありますでしょうこのオブジェというか文学碑。足摺岬といえば田宮虎彦作小説「足摺岬」。
わたしは足摺岬を旅する時、もちろん小説足摺岬のストーリーを意識する時もあります。しない時もあります。
”石つぶてのようにのきをたたきつけるはげしい横なぐりの雨足の音が、やみもなく、毎日、熱にうかされた私のものうい耳朶をあらいつづけていた。”以上「足摺岬」より引用。
小説の冒頭です。もちろん文学碑に表わされている一節が主人公の観念的なものからの離脱を促した足摺岬の光景を表わしているのかもしれません。
以下は小説足摺岬からの一節です。
”くだけ散る荒波のしぶきが崖肌の巨巌(きょがん)いちめんに雨のようにふりそそいでいた。”以上引用。
足摺岬を彷彿とさせる表現はこの他枚挙に暇がありません。
田宮虎彦は足摺岬を訪れることなく想像で表わしたとされています。わたしは足摺岬を訪れるたびに思うのですなんと田宮虎彦が小説で表わした情景が寸分も違わない足摺岬の情景と一致していることかと。
このツバキは文学碑の隣りに咲いていたものです。わたしは足摺岬を訪れる時もう一つの小説をイメージしていることがあります。
”道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さで麓から私を追ってきた。”以上引用終わり。
以上は川端康成作「伊豆の踊り子」の冒頭です。何故かツバキをみて思い出しました。伊豆も大島もツバキの名所かな。
足摺岬、伊豆の踊り子この二つの小説は青春文学の古典と言われるものだそうです。わたしもそう思います。わたしは足摺岬を訪れる旅でどうしてか伊豆の踊り子のシチュエーションを思い出すことが多いかなあ。それは多分に旅情を掻き立てる描写が多いということとやはり伊豆の踊り子そのものでしょう。何度も映画化され主演の女優もそうそうたる人たちです。
少し引いてツバキの花の咲くさまを見ていました。
やはりこの田宮虎彦文学碑のそばでは小説足摺岬の文学碑の一節が思い出されました。
”くだけ散る荒波のしぶきが崖肌の巨巌(きょがん)いちめんに雨のようにふりそそいでいた。”
まるでツバキの花がくだけ散る荒波のしぶきのように思えました。
ちょっとわたしの青春時代を思い出しました。今時の若者は青春という言葉を陳腐なものと感じるのでしょうか。わたしは確かに青春時代がありました。なんということでしょう。ブログを編集しているとテレビから南こうせつの歌う「神田川」が聞こえてきました。「ただ貴方のやさしさが怖かった。」・・・ちょっとあさっての方へいちゃいましたね。
きょうは少しおバカな成り行きになってしまいました。次は「亀石」を訪れよう。