足摺旅日記

足摺岬・・・デジャビューの旅 
エネルギー充填80%




足摺岬 夏はサイコー!です。

2017-07-12 03:48:42 | 足摺岬

ここは足摺岬

 ここは足摺岬、足摺岬はいつがいい。これこそは永遠のテーマでもある。が、足摺岬は夏が良いのに決まっている。とわたしはいつも思う。ただ、いつ訪れてもそれはそれで趣のあるものではあると思うのですが。雨より晴れが良いのに決まっている。荒れ狂う海と風、NHKのお天気カメラが捕らえるのはいつも台風近づく足摺岬の様子です。そんな絵柄はそれで見慣れていると思うのですがだからすこぶる良い夏はそれゆえわたしのお気に入り。

 ただ、年をとるにつれ体力的に重いものを炎天下で持ち歩くというのにいささか苦痛を感じるようになった。今時のというか熱い、暑い、アツイ。やはり気象温暖化ということばがどこか潜んでいるようなこの頃です。

足摺岬は曙

 足摺岬は朝が良い。古典の一節にあったような。足摺岬は曙・・・紫だちたる雲の細くたなびきたる。いいな、足摺岬は朝に限る。もちろん岬のお土産やさんが店を開ける前がよい。以前は7時頃には店を開けるところもあったが今は昔。

 その、空気感が良い。冬の凛とした空などと形容されるがなかなかどうして足摺岬の日の出前、薄明はとても凛として良いのだ。それは早起きした者にあたえられるご褒美でもある。

足摺は昼

 足摺岬は昼も良い。が、真昼はそれはそれで良いのだが正午というのは光の具合で立体感が感じられません。午前は11時まで、昼はどうなんでしょう。いわゆる真昼間は避けたほうが良いのかも知れない。

 特に、足摺岬はどこの観光地でも同じなのだと思うのですが梅雨明けが良い。特に梅雨明け10日と言われるころなどすこぶる良いのです。肌を吹き抜ける風に独特の足摺岬の匂いを感じることができるでしょう。

 女性の方などはどう表現したらよいのでしょう、ファンデーションがべとべとになるくらいのじりじりした日差しを受け吹き抜ける風は私は足摺岬へ来たのだという実感を肌で感じることができるのではないでしょうか。

足摺岬 雲、海、緑

 足摺岬にはやはり足摺岬灯台がいい。もちろん四国八十八ヶ所の一つ金剛福寺の存在は欠かせません。が最近特になんと言うことでしょう。少し華美になっているようで周囲の風景から少し乖離しているようにも思いますがおそらくは西方浄土をイメージして造形されているようにも感じられる。なんと言ってもお遍路さんは大切な存在。

 そんなことは考える余裕もなくただ遊歩道を昼下がり歩くことも良いのかも知れない。若いカップルと言うのであろうか。結構、今時の若い者はという思いを打ち砕くような頼もしいような。案外、今時の若い者はしっかりしているのかも知れない。遊歩道を立ち止まって若い二人に道を譲る傍らそんな思いが・・・

浜木綿の咲く天狗の鼻

 足摺岬を訪れる時是非訪れていただきたい。足摺岬展望台から歩いて5分くらいで行けるが多くの人々は展望台でひとしきり景色を見た後ここ天狗の鼻を訪れる人は少ない。中年以降のましてや昔で言う前期高齢者や後期高齢者と言われる人たちは展望台から天狗の鼻を見下ろすためであろうか・・・そこにためらいが生じるのではないか。

 夏の足摺岬には浜木綿が良い。わたしの庭にも浜木綿がある。今年やっと花が開いた。何気なく見て通り過ぎる浜木綿ややぶ椿だが苗から育ててみるとその樹形になるまでにどれくらいの年月がかかっているかと言うことを実感することとなる。

 展望台とはまた異なった空気感や打ち寄せる波の音と聞くことができる場所がこの天狗の鼻なのです。

足摺岬展望台

 足摺岬、岬の展望台は夏が良い。それも梅雨明け10日の期間が最高だ。もちろん8月初旬のあしずり祭りと花火大会からお盆の頃も良い。問題は年末年始と同じ繁忙期で宿の予約が困難となること。

 展望台でしばし過ごし階下におりて岬のお店でしばし休むのもよし。広場を戻って岬のレストランでクーラーの効いた部屋で冷たい飲み物を飲むのもよし。昼時であれば定番のカツオたたき定食など食するのもよし。店によっては夏限定のところてんもあるのではないでしょうか。

足摺岬展望台

 展望台には双眼鏡がいくつかある。それを覗いてみると何かが見えるかというとそれはそれで個人の感じ方がある。間違っても幼い頃の雑誌の裏表紙にある透けて見えるとか不思議な透過めがねといったものではないが展望台に立ってみるとなぜか覗いてみたくなる。

 それは多くの人たちがいる時の行動ではないがわたし一人でいるとなぜか秘密っぽい感じがしてあたりの気配を感じながら期待して見てみる。まあ、見てしまうとやっぱり見てもどういうこともないということを認識するのではあるがそこにはどことなくドラえもんの秘密のドアや秘密の望遠鏡といった三丁目の夕日などを連想させる昭和のデジャビューを感じさせるものがあるとわたしは思うのです。

 

足摺岬 秘密の望遠鏡

 岬の展望台、ここは足摺岬を訪れる場所の定番です。もう、だれもいなくなりました。背後に人影やましてや階下から上がってくる人の気配を感じることもありません。どうしよう。お金を入れてあの入道雲の下、水平線の彼方を覗いてみようか。望遠鏡はなぜかそこに佇み誘ってくるようです。ひょっとして電話などがあり今にも呼び鈴が鳴りそうです。ルルルルルルルル~~~~~受話器をとるとそこにはマトリックスの世界が広がります。

 そう、足摺岬はマトリックス。日常の生活からマトリックスの世界へといざなう場所なのだと思うのです。その呪文は多くの旅人が経験するように我が家、自宅に帰るとたちまち解けてしまうものなのです。

 どうです、あの望遠鏡を通して彼方の海と入道雲が接するマトリックスへ行って見ませんか。

そこは、足摺岬・・・・・

暮れ行く足摺岬 天狗の鼻

 一日中足摺岬を散策してまた戻ってきました天狗の鼻。あれほどの射るような日中の日差しもさすがに弱まり夕暮れ時の少しはやさしい風が体をいたわってくれます。浜木綿の花もひっそりとした感じに見えます。

 まだまだ灯台のスカイビームランプの点灯には時間が有り余るほどある。展望台の椅子に座ってしばし涼をとる。ふと木でできた座面に人を誘うように文言と電話番号が書いてある。何か秘密めいた旅先では少しはめを外してもという思いが去来するが。ああ、あるんだここにもマトリックスが。でも、ここは足摺岬、現、現、現世にとどまるのが懸命である。くれぐれも楽しい足摺岬の旅を。

 先達の多くはここから渡海して西方浄土を目指したのであろう。ただそこにたどり着いたものは少なかったのだろう。そんなことを考えていたのだろうかしばしまどろんでいたようだ。吹く風が気持ちよい。ああ、足摺岬もインバウンドななのだろう、まどろみの中におそらくは台湾語だろう。意味は分からないが決して耳障りの言葉ではない。それはその男女のカップルが足摺岬の自然を楽しんでいるというような雰囲気がなんとなく理解できるからである。異国の地の足摺岬を楽しんでいる。とあらためて思った。多くの観光地で成功するにはやはり積極的にインバウンドの人たちにアプローチすることが大切だ。足摺岬には自然と灯台と金剛福寺がある。あとはいかに地元の人々と交わるコンテンツがあるか否かにかかわってくる。

 足湯なども一つかも知れない。がやはり足摺岬では常時入浴できる施設が存在して日本的な文化を体験できる場所が必要だ。変にどこかの団体が認定するような、なになにの星いくつなど必要はない。あのようなコメントをみると今時の健康商品の効能のようなものを読んでいるようである種のバイアスが強くかかっていることが多いのである。まどろみの中にそういうのもあったなあ~。あのメガソーラもそんなもの。

岬のお店

 少しまどろんだせいでもうこんなに暗くなっちゃった。かき氷やアイスクリンはもう終わっていることだし。少しのどが渇いたので自販機で水を購入してしばし座って時を過ごす。昼間あれほどにぎやかであった岬の展望台も人影はほとんどなくなっている。おそらくいるとすると若い男女(スゴイデショ男女の響き)その男女が沈み行く夕日の光を浴びながら黄昏を過ごしているのだろう。きっとそうだ。

黄昏の岬の展望台

 あれほど暑かった日中に比べ少し過ごしやすい。わたしは黄昏が好きだ。それは我が身を重ねて考えているわけではなにのですがこの十五分間から三十分の間に変化する自然の姿を見るのはなんとなく身についた習性のようなものなのです。今日は十戒のような光景は望めるべきもありませんがわたしは好きですね。

足摺岬の海

 この海の向こうにはアメリカ大陸や行こうと思えばどこまでもいける。そんな西日を浴びた海面を展望台から眺めて過ごす。

 これからどうしよう。Aプラン、Bプラン、Cプランまあぼちぼち考えよう。今日は足摺岬一日中がんばったな。

 心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

足摺岬で一日をすごす。

 宿がとれないじゃないかとお困りの貴兄に土佐清水市観光協会へ早めに電話!

 宿が取れないじゃないか・・・・・もう。などとならないように。