この画像は足摺港ピッカリの時に取り上げましたが今回もう一度考えてみました。
”今年は日米草の根交流サミットが、高知県で開催されることとなっており、約200人の交流団が高知県を訪れ高知県も受け入れ体制を整えている。”とのことです。以上は土佐清水市観光課の資料を引用しました。
いかがですか、この少年は・・・そう万次郎のいや萬次郎達の鳥島での漂流生活を表した「中濱万次郎群像」です。
場所は土佐清水港にある公園の一角に建立されています。平成3年11月に着工されています。この平成3年という年はジョン万次郎漂流150年に当たることとふるさと創生基金が交付されることなった年でもあります。以上も前述の資料から引用しています。
雨の日の「中濱万次郎群像」です。詳細な群像のコンセプトは実際に群像を見ると理解できます。
ジョン万次郎あるいは中浜万次郎像といえば足摺岬にある足摺園地の銅像が有名です。観光パンフレットやガイドブックには必ずといってよいほど取り上げられていると思います。
わたしはその中浜万次郎像の万次郎の表情とこの萬次郎少年像をみるとジョン万次郎の生涯をある程度理解するのに役立つものだと思います。もし、観光ガイドさんや観光ボランティアガイドさんがこの二つの像の説明をする場面があれば是非説明を聞いてみたいと思いました。
萬次郎少年像の表情とその仲間達の表情と比較した時、わたしは明らかな表情の差異を感じました。
萬次郎少年の表情がどことなく微かな希望を感じさせるものだと思うのですがそれに対してその仲間達の表情はあまりにも苦悶に満ちた表情でまさに阿鼻叫喚とはこのような状況をさしているのではないでしょうか。
また、仲間達の像にもそれぞれの名前が表されています。ジョン万次郎漂流記は各種出版されていますがわたしにはこの仲間達の名前を同定した書籍を目にしたことはありません。各々を同定する資料が存在するのかも知れません。
ここで実際の「萬次郎と仲間達の群像」の石碑から引用します。
船 頭 筆之烝 38歳(後にハワイで伝蔵と改名)
漁撈係 重 助 25歳(5年後ハワイで病死)
櫓 係 五右衛門 16歳(以上3人は兄弟で筆之烝 萬次郎とともに日本に帰還)
同 寅右衛門 26歳(ハワイに移住)
炊 係 萬次郎 14歳(中浜出身で ただ一人アメリカ本土に渡る)
もちろんこの石碑の記述が正式なものだと思いますが何故わたしが取り上げたかというとそれまで読んでいた書物の記載と微妙な所で異なっているように感じました。それは取り上げてみてもあまり意味のないことだと思いつつ・・・
重 助と筆之烝
この表情は沖合に見えたジョン・ハウランド号に助けを求めた表情を表したとのことです。このことは後述しますがその険しい表情は前述した萬次郎少年の表情と比較すると対照的に思えました。
ちなみに五右衛門も含め三人は兄弟だそうでその年齢差は16歳から38歳と22歳の開きがあります。
当時の時代背景から少し驚きを感じるとともに万次郎のその後の生涯があまりにもドラマティックである以上に仲間達の生涯も増してドラマティックになったのではないかと想像します。ただ、仲間達のその後の生涯の詳細は調べても分かりませんでした。
別な日に別な角度から撮ってみてもわたしに訴えかける表情に変りはありませんでした。
ので、ここはサラッと。
14歳の萬次郎少年の表情です。
なんか、今日はまた、だらだらとしたブログになりそうなので以後は
サラッと!
どうでしょう。萬次郎少年の表情とその仲間達の表情は少し印象が異なっていると思えました。
中濱万次郎群像を横から見た状況です。
萬次郎とその仲間達を後ろから覆いかぶさるように見える造形は・・・いかがでしょうか。
「波」というか「波動」というか・・・
今という時、以前に取り上げたこの「中濱万次郎群像」の捉え方がわたし自身大きく異なって感じられました。その理由は記述するまでもないのですが・・・
今日はあまりに群像に執着しすぎたので少し見方を変えて・・・
どことなく懐かしい中浜の風景と中浜万次郎記念碑です。
中浜を尋ねると宗田節の香が海の香と共に感じられます。
石碑にある船がどうなんでしょう・・・
ジョン・ハウランド号なのでしょうか。
足摺岬ではいろいろなジョン万次郎に出会うことができます。
今年は特に前述したように日米の交流の原点として位置づけられる
ジョン万次郎と捕鯨船船長ホイットフィールドを記念して創設されたという財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念 国際草の根交流センターの2011年の草の根サミット大会は高知で開催されます。
詳しくは以下のホームページを参照して下さい。
財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念 国際草の根交流センター:http://www.manjiro.or.jp/jpn/summit/kochi/kochi.html
中浜にある防波堤にジョン万次郎の生涯が挿絵と共に展示されています。
ここ、中浜でもホームステイがあるのでしょうか。
詳しくは土佐清水市公式ホームページにもありますからどうぞ!
今日はちょっとだけ引用して見ました。どさくさにまぎれて・・・最後に表示しますね。
その前に中浜に新しく復元された中浜万次郎の生家の画像を供覧しますね。
あまり案内板がないので詳細な説明ができませんので画像だけ。
手前の案内板はこの生家を復元するにあたり寄付をされた方々の名前が書いてあります。
土佐清水を始め幡多地方の名士の方々や団体の名前があります。
中浜万次郎翁の生家
先ほどの中浜にある記念碑というか中浜の区帳場から歩いて数分の所にあります。
内部を見学することもできます。わたしが訪れた時にはジョン万次郎の過ごした時代背景などの案内板などはありませんでした。
ので、ここは雰囲気を楽しんでくださいね。
下さいね。もう少し案内パネルがあっても少し良いかな・・・
道筋にジョン万次郎の母の家の案内板がありましたがどう言えば良いのでしょうか観光で訪れて良いのかわたしには判断できませんでした。
位置関係が分かりずらいので地図を添付しておきます。
今日もだらだら、どうして足摺岬のことを書きだすと長くなってしまうのだろう・・・辛い。
詳しくは土佐清水観光協会に聞いて下さいね!
中濱万次郎群像
この中濱万次郎少年像について土佐清水観光課からの資料を引用させていただきました。
”制作者は濱田 浩造さんで、安芸市の岩崎弥太郎像、梼原町の維新の門、芸西町のお龍・君枝像など高知県内各地の銅像を作られている方です。
銅像は万次郎漂流150周年を記念して1991年に作成されました。
中略
鳥島に漂流してジョン・ハランド号に助けを求めている姿を作成したために、あのような険しい表情になったと聞いております。”
そうなんです。梅雨明けに土佐清水の抜けるような青空と入道雲を背景にまた、この像を見てみたいとわたしは思いました。
ねっ!万次郎さん。
以下、土佐清水市公式ホームページからの引用です。
日米草の根交流サミット高知大会
オープニングセレモニー
日時:平成23年6月29日(水)
14:00~16:00
場所:市民文化会館くろしおホール
入場料無料 予約不要
内容:キルト作品展示
足摺岬小学校による船歌
中浜小学校・高校生による獅子舞
渭南病院によるあしずり踊り
交流レセプション
日時:平成23年6月29日(水)
19:00~21:00
場所:足摺パシフィックホテル花椿
会費:6,000円
*参加希望者は、事前に近畿日本ツーリスト
(株)高知営業所までお申し込み下さい。
?088-824-4891