祖父との思い出深いのは、一緒に囲碁を打ったことです。
碁のお友達がよくおいでになっていました。
お友達の方にも大変可愛がっていただきました。
幼い頃からルールが分からないのに、ちょこんと横に座って観戦していました。
高校1年頃、囲碁を覚え始めました。
3年ぐらいになってようやく9子で打てるようになりました。
受験勉強の合間にも祖父と囲碁をしました。
大学生になって、写真部に半年間所属しました。
カメラが好きで中学3年頃からモノクロの現像・焼き増しなどをやっていました。
大学に囲碁部もありましたが、写真部の先輩で優しい女性に誘われ入部しました。
大学生になっても帰省した時、祖父とは時々打ちました。
3子まで追いつくことができました。
もう少し頑張れば、2子、置石なしと進みたいところでしたが、
祖父が病気になり、入院生活が長くなるようになってからは、
一緒に碁石を握ることができなくなりました。
もっと私が強ければ、対局した棋譜を保存できたでしょう。
その棋譜も3枚書いたと思いますが、当時の私の棋力ではその棋譜も正確なものではありません。
しかも3枚とも20~40手までの打ち掛け状態のままです。
祖父は初段の免状をうれしそうに額に入れて飾っていました。
喜んでいた顔を思い出します。
いつか私も初段になりたい!
いつか祖父に並びたい、追いつきたいと願っています。
碁のお友達がよくおいでになっていました。
お友達の方にも大変可愛がっていただきました。
幼い頃からルールが分からないのに、ちょこんと横に座って観戦していました。
高校1年頃、囲碁を覚え始めました。
3年ぐらいになってようやく9子で打てるようになりました。
受験勉強の合間にも祖父と囲碁をしました。
大学生になって、写真部に半年間所属しました。
カメラが好きで中学3年頃からモノクロの現像・焼き増しなどをやっていました。
大学に囲碁部もありましたが、写真部の先輩で優しい女性に誘われ入部しました。
大学生になっても帰省した時、祖父とは時々打ちました。
3子まで追いつくことができました。
もう少し頑張れば、2子、置石なしと進みたいところでしたが、
祖父が病気になり、入院生活が長くなるようになってからは、
一緒に碁石を握ることができなくなりました。
もっと私が強ければ、対局した棋譜を保存できたでしょう。
その棋譜も3枚書いたと思いますが、当時の私の棋力ではその棋譜も正確なものではありません。
しかも3枚とも20~40手までの打ち掛け状態のままです。
祖父は初段の免状をうれしそうに額に入れて飾っていました。
喜んでいた顔を思い出します。
いつか私も初段になりたい!
いつか祖父に並びたい、追いつきたいと願っています。