東日本大震災慰霊祭を親方とテレビで観ました。
4年という年月が過ぎていますのに悲しみは癒えません。
復興だって進んでいません。
親方と涙しながら黙祷を捧げました。
あの日、2011年3月11日、地震発生直後、すぐに娘から安否確認の電話が
ありました。
私の住む町は震度5でした。
娘の会社は日本橋にありました。
娘は揺れる会社のビルから飛び出すと、近くのコンビニの公衆電話に走った
そうです。
2005年3月、福岡で震度6の「福岡県西方沖地震」を私と娘は体験しています。
あのとき、東京の自宅に携帯を掛けても通じませんでした。
公衆電話から親方に無事を知らせました。
その時の体験から、公衆電話へと走ったようです。
娘は親思いでした。
「大丈夫?」
ちょっとした地震でも電話を掛けてきました。
その娘、今は逢いたくても逢えないし、声も聴けなくなりました。
2年前、黄泉の国に旅立ってしまったのです。
テレビで、災害に遭われ、最愛の家族を亡くされた方々のお話を伺い、
娘と重なって涙してしまいました。
深い悲しみが癒える日は来るのでしょうか?
多分、、私の場合は私が死ぬまでないでしょうね。
同じような事をおっしゃっている方がおいででした。
街の復興も中々、進まないが、心の復興が・・・とつぶやいた方の言葉が
印象的でした。
犠牲となられた皆さまのご冥福を頃からお祈りいたします。