ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

結婚という自由

2014-09-06 00:55:15 | 唐桑日記
「私さぁ、自由になりたくて結婚したのかもしれない」

この前いちよさんの実家の久慈に
いちよさんのおじいちゃんのお見舞いに行ってきました。

実家のばぁちゃんと姪のきょんきょんと。
やっさんいないー!!


と思ったら一人でふらふらと。
ザ、マイペース!!


その時にいちよさんの
子ども時代の写真沢山見つけて来ました。


じぃちゃんと、妹と。


「唐桑のマドンナ」っていう
キャッチコピーをもらって
ちょっと調子乗り過ぎ!!
とか思っていたけど、
想像以上に可愛くてびっくりしました笑。

天真爛漫で明るくポジティブで、
結婚を決めた22歳のころは
色々と交際を申し込まれていたようです。




持ち前の明るさに加え
「相手の期待には応えなきゃ!」っていう
いちよさんの基本的な考えがあって、

「付き合ってください!」っていう申し出に
「友だちなら!!」って応えていったら
どんどんお茶飲み友だちが増えてしまい,
道の角を曲がれば誰かが車でいちよさんを待っていたり。

漁師の出船に呼ばれたから行っただけで
「うわっ、俺と結婚してくれるんだ」と
思われちゃったり。

かばねやみ(めんどくさがり)な、
いちよさんはフラットな関係でいたいのに、
色恋沙汰に思われてしまい、
もうどん詰まりの日々だったみたい。


(帰りの車ではアイライナーが見つからずどん詰まりに笑)

そんな時にやっさんが
漁師として久慈の港に降り立ち、
銀行の漁協窓口担当だった
いちよさんに一目惚れ。
共通の知り合いにブランデー一本と交換で
電話番号を聞き出し、

「おばんですぅ、唐桑にきてください」と
電話をかけたそうです。

第一印象は
いきなり「おばんですぅ」って何だこの人!
でも「おばんですぅ」って面白いなぁって
感じだったそうです。


「やっさん、よく電話できたね、緊張しなかった??」
「そりゃしたべや!!一杯ひっかけなきゃできなかったっちゃ(ドヤ顔)」
無口なやっさんには相当な勇気が必要だったんだろうなー。

それで唐桑に行ったら、
家族総出でお出迎えをしてもらって、
「ここで第二の人生を歩んでもいいかも!!」と
決心してお嫁に入ったそうです。



「唐桑って知らない街に行くのも楽しみだったんだけど、
このまま久慈にいたらもう,
ほんとにどん詰まりだし、
逃げたかったっていうのもあるんだよね。
いいじゃん、結婚してたら誰も声かけて来ないし
海は奇麗だし、結婚したら自由になれると思ったんだよね。」


狭い唐桑の海に来て、
朝2時から牡蠣剥きをして、
全く知らない家を
継ぐ立場になって。

それを楽しんで自由だなぁと思えるってかっこいいなぁ。
どんだけどん詰まりだったんだよ!って
突っ込みは なしでお願いします。

「朝2時からの牡蠣剥きは、
なんで私がこんなことしなきゃいけないの!!
って思う事もあったけど。

男の人に尽くすってことも楽しかったしさ,
おじいちゃんもかわいがってくれて。
「いい嫁」を演じてるのが
なんか楽しかったんだよね」って。

それから30年。
演じているうちに
そのままのお嫁さんになっていきました。



「じゃあさぁ、
いちよさんが愛したっていうか、
この人に尽くそう!って思ったのは
やっさんが初めてなの?」

「うーん、多分そうかもしれない。
そうだね、そうそう」



自由って手に入れるものなのか
それとも自由って思えば
どこにいても何をしていても自由になれるのか。
愛とか幸せとか。目に見えないものを沢山感じた久慈でした。


自由って「誰といるのか」が
すごくキーポイントなんじゃないの?
ねぇそうでしょ。自由のしっぽをつかんだかも!!

菅野家のこの距離感がめっちゃすきー。
自由でばらばらだけど
目に見える所にいないと不安になるっていう。

じぃちゃん、また遊びに行くからねー!!

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