震災後、医療や建築、
さまざまな支援で来ていた人たちも
元々のホームタウンに
帰っていっているようです。
ここに残っている人の方が少ないのかな。
震災のガレキ撤去など、
生活の基盤もない状態の時から
貢献して来た人たちが帰っていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/77/af7481ebc392a53b9acea247b6860eb6.jpg)
この前、なにかの広報雑誌の
取材を受けたのですが、
前回の特集で取り上げられていた、
気仙沼の人がこの時には
もう帰ってしまっていました。
それを見たいちよさん
「なんかさー、一生懸命やってくれてた人も
結局みんな帰っちゃうんだよね。」
さみしい?
「いや、寂しいよ」
久々にすごく落ち込んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b7/9d15bd12e430d4c41bcce5879e3940ca.jpg)
えー!全然いいじゃん。
帰ってからさー、
気仙沼のことを
宣伝してくれれば。
帰った人たちがさー、
「気仙沼の暮らし、
すごいよかった!
とりあえず
つなかんは行って来て!」
って言われるように
うちらはがんばろー。
「それもそうだね!」
そんなに寂しいんだと
驚いてしまいました。
僕の地元の小笠原は
移住者が多い町でした。
海に囲まれた町でしたが、
唐桑とは違い、海は遊ぶ場所でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/db/f8817ea41229b6708b9baa15cf7e4d3b.jpg)
ダイビングやイルカと泳ぐツアーが
盛んなので、
2〜3年リゾートバイトをして
帰っていく人が沢山います。
だから別れにも慣れています。
というか、
「みんないつかいなくなる」のが
当たり前の町でした。
うちの両親も移住者でしたし、
おじいちゃんたちが
高齢になってきたので、
13年前から東京に戻り、
実家のそばで
暮らすようになりました。
気仙沼はというと、
30年も住んでいる
いちよさんでさえ
「あの人はよそから来た人だからなぁ」
といまだに言われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/8b/5715c242d4c124436ea2367f15ec0cad.jpg)
(この前やっさんが
俺の一番の仕事はこの町にいちよを
連れて来た事だ!と自慢していました。
どんな自慢だよ!と思ったけど、
いちよさんは確かにすごいです。)
よそから来た人だから、
だめなのかいいのか、
そういうことを言ってるわけではなく、
ここで生まれた人と
そうでない人には違いがあるようです。
そういう町なので、
2〜3年で帰る人は少ないから、
この土地に住んでる人は
「ずっといるんだろうな」
と期待したり、当たり前に
「気仙沼で仕事をする人は
永住する人」だと
思うのかもしれません。
僕は2〜3年で帰る人が
もっと増えればいいなと
おもいます。
そういう人たちが
旅行では気付けない、
気仙沼の良い所や、
人とのつながりを作って
友だちと一緒に帰ってきたり。
地元で友人におすすめ
してくれたり。
そういう感じがいいなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/79/ce64e352f1ea3daa7b6daa117d936aea.jpg)
(確かにねー、別れは寂しいけどさー。
しかたない!って思うようにしてます。)
「今度さー、いつも行ってる鮨屋が
あるんだけど、一緒にいかない?」
大切な人を行きつけのお店に連れてっ行って。
その人がまた他の人に。
「この前さー、すんごい美味しい鮨屋に
連れて行ってもらったんだけど、
一緒に行こうよ!」
と常連さんの紹介で忙しくなる飲食店って
まずハズレないからなー。
気仙沼市役所には
出向制度があり、
復興支援のために
1〜2年の期間限定で
全国から仕事で来る人がいるので、
それはすごくいい仕組みだなーと
思いました。
あとは、旅人だなー!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c1/b9c69f1f16aed298696c101d5678d9f6.jpg)
「あの子今ごろどこ歩いているんだべ?
大丈夫だべか?」牡蠣剥きをしながら
あやこばぁが心配していました。
1日だけだったけど、あやこばぁも
しおん君が気になっています。
旅人だって大事!
さまざまな支援で来ていた人たちも
元々のホームタウンに
帰っていっているようです。
ここに残っている人の方が少ないのかな。
震災のガレキ撤去など、
生活の基盤もない状態の時から
貢献して来た人たちが帰っていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/77/af7481ebc392a53b9acea247b6860eb6.jpg)
この前、なにかの広報雑誌の
取材を受けたのですが、
前回の特集で取り上げられていた、
気仙沼の人がこの時には
もう帰ってしまっていました。
それを見たいちよさん
「なんかさー、一生懸命やってくれてた人も
結局みんな帰っちゃうんだよね。」
さみしい?
「いや、寂しいよ」
久々にすごく落ち込んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b7/9d15bd12e430d4c41bcce5879e3940ca.jpg)
えー!全然いいじゃん。
帰ってからさー、
気仙沼のことを
宣伝してくれれば。
帰った人たちがさー、
「気仙沼の暮らし、
すごいよかった!
とりあえず
つなかんは行って来て!」
って言われるように
うちらはがんばろー。
「それもそうだね!」
そんなに寂しいんだと
驚いてしまいました。
僕の地元の小笠原は
移住者が多い町でした。
海に囲まれた町でしたが、
唐桑とは違い、海は遊ぶ場所でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/db/f8817ea41229b6708b9baa15cf7e4d3b.jpg)
ダイビングやイルカと泳ぐツアーが
盛んなので、
2〜3年リゾートバイトをして
帰っていく人が沢山います。
だから別れにも慣れています。
というか、
「みんないつかいなくなる」のが
当たり前の町でした。
うちの両親も移住者でしたし、
おじいちゃんたちが
高齢になってきたので、
13年前から東京に戻り、
実家のそばで
暮らすようになりました。
気仙沼はというと、
30年も住んでいる
いちよさんでさえ
「あの人はよそから来た人だからなぁ」
といまだに言われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/8b/5715c242d4c124436ea2367f15ec0cad.jpg)
(この前やっさんが
俺の一番の仕事はこの町にいちよを
連れて来た事だ!と自慢していました。
どんな自慢だよ!と思ったけど、
いちよさんは確かにすごいです。)
よそから来た人だから、
だめなのかいいのか、
そういうことを言ってるわけではなく、
ここで生まれた人と
そうでない人には違いがあるようです。
そういう町なので、
2〜3年で帰る人は少ないから、
この土地に住んでる人は
「ずっといるんだろうな」
と期待したり、当たり前に
「気仙沼で仕事をする人は
永住する人」だと
思うのかもしれません。
僕は2〜3年で帰る人が
もっと増えればいいなと
おもいます。
そういう人たちが
旅行では気付けない、
気仙沼の良い所や、
人とのつながりを作って
友だちと一緒に帰ってきたり。
地元で友人におすすめ
してくれたり。
そういう感じがいいなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/79/ce64e352f1ea3daa7b6daa117d936aea.jpg)
(確かにねー、別れは寂しいけどさー。
しかたない!って思うようにしてます。)
「今度さー、いつも行ってる鮨屋が
あるんだけど、一緒にいかない?」
大切な人を行きつけのお店に連れてっ行って。
その人がまた他の人に。
「この前さー、すんごい美味しい鮨屋に
連れて行ってもらったんだけど、
一緒に行こうよ!」
と常連さんの紹介で忙しくなる飲食店って
まずハズレないからなー。
気仙沼市役所には
出向制度があり、
復興支援のために
1〜2年の期間限定で
全国から仕事で来る人がいるので、
それはすごくいい仕組みだなーと
思いました。
あとは、旅人だなー!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c1/b9c69f1f16aed298696c101d5678d9f6.jpg)
「あの子今ごろどこ歩いているんだべ?
大丈夫だべか?」牡蠣剥きをしながら
あやこばぁが心配していました。
1日だけだったけど、あやこばぁも
しおん君が気になっています。
旅人だって大事!