ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

みんな帰っちゃうねー

2015-04-22 20:02:41 | 唐桑日記
震災後、医療や建築、
さまざまな支援で来ていた人たちも
元々のホームタウンに
帰っていっているようです。
ここに残っている人の方が少ないのかな。

震災のガレキ撤去など、
生活の基盤もない状態の時から
貢献して来た人たちが帰っていく。



この前、なにかの広報雑誌の
取材を受けたのですが、
前回の特集で取り上げられていた、
気仙沼の人がこの時には
もう帰ってしまっていました。
それを見たいちよさん
「なんかさー、一生懸命やってくれてた人も
結局みんな帰っちゃうんだよね。」

さみしい?

「いや、寂しいよ」
久々にすごく落ち込んでいました。




えー!全然いいじゃん。
帰ってからさー、
気仙沼のことを
宣伝してくれれば。
帰った人たちがさー、
「気仙沼の暮らし、
すごいよかった!
とりあえず
つなかんは行って来て!」
って言われるように
うちらはがんばろー。

「それもそうだね!」

そんなに寂しいんだと
驚いてしまいました。

僕の地元の小笠原は
移住者が多い町でした。
海に囲まれた町でしたが、
唐桑とは違い、海は遊ぶ場所でした。


ダイビングやイルカと泳ぐツアーが
盛んなので、
2〜3年リゾートバイトをして
帰っていく人が沢山います。
だから別れにも慣れています。

というか、
「みんないつかいなくなる」のが
当たり前の町でした。
うちの両親も移住者でしたし、
おじいちゃんたちが
高齢になってきたので、
13年前から東京に戻り、
実家のそばで
暮らすようになりました。


気仙沼はというと、
30年も住んでいる
いちよさんでさえ
「あの人はよそから来た人だからなぁ」
といまだに言われます。



(この前やっさんが
俺の一番の仕事はこの町にいちよを
連れて来た事だ!と自慢していました。
どんな自慢だよ!と思ったけど、
いちよさんは確かにすごいです。)

よそから来た人だから、
だめなのかいいのか、
そういうことを言ってるわけではなく、
ここで生まれた人と
そうでない人には違いがあるようです。

そういう町なので、
2〜3年で帰る人は少ないから、
この土地に住んでる人は
「ずっといるんだろうな」
と期待したり、当たり前に
「気仙沼で仕事をする人は
永住する人」だと
思うのかもしれません。


僕は2〜3年で帰る人が
もっと増えればいいなと
おもいます。

そういう人たちが
旅行では気付けない、
気仙沼の良い所や、
人とのつながりを作って
友だちと一緒に帰ってきたり。
地元で友人におすすめ
してくれたり。

そういう感じがいいなぁ。


(確かにねー、別れは寂しいけどさー。
しかたない!って思うようにしてます。)

「今度さー、いつも行ってる鮨屋が
あるんだけど、一緒にいかない?」
大切な人を行きつけのお店に連れてっ行って。
その人がまた他の人に。
「この前さー、すんごい美味しい鮨屋に
連れて行ってもらったんだけど、
一緒に行こうよ!」
と常連さんの紹介で忙しくなる飲食店って
まずハズレないからなー。

気仙沼市役所には
出向制度があり、
復興支援のために
1〜2年の期間限定で
全国から仕事で来る人がいるので、
それはすごくいい仕組みだなーと
思いました。
あとは、旅人だなー!


「あの子今ごろどこ歩いているんだべ?
大丈夫だべか?」牡蠣剥きをしながら
あやこばぁが心配していました。
1日だけだったけど、あやこばぁも
しおん君が気になっています。
旅人だって大事!

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