JR八高線の“鎌倉街道踏切”を渡り、その先で児玉郡美里町に入って10分ほど行った道端の叢のなかに、表面が損落して判読困難ながら、古い道標を見つけました。
そのちょっと先の「野中」交差点で国道254号線に合流する現道を延々歩くこと約40分、「駒衣(こまぎぬ)西」信号の歩道橋で、道は左へカーブ。
ちょうどその地点の左手に、細い道が分かれているのを見つけ、「あ、これだな…」と直感してそちらへ進路をとると、そこは昔ながらの住宅地、その雰囲気と、こういう場所にまずある自営商店を見て、ここがかつての広木宿であることを確信(上段写真)。
また、この広木地区は古代の遺跡が集中しており、15分程で旧宿場跡を抜けて再び国道254号線に合流した少し先の右手の田んぼの中には、草の生い茂ったいくつかの小さな盛り土が↓。
これは古墳だそうで(「広木・大町古墳群」)、現在ここには七基の古墳が保存されており、その約300メートル東側には前方後円墳(「両子塚(ふたごづか)古墳」)↓が遺されています。
そのちょっと先の「野中」交差点で国道254号線に合流する現道を延々歩くこと約40分、「駒衣(こまぎぬ)西」信号の歩道橋で、道は左へカーブ。
ちょうどその地点の左手に、細い道が分かれているのを見つけ、「あ、これだな…」と直感してそちらへ進路をとると、そこは昔ながらの住宅地、その雰囲気と、こういう場所にまずある自営商店を見て、ここがかつての広木宿であることを確信(上段写真)。
また、この広木地区は古代の遺跡が集中しており、15分程で旧宿場跡を抜けて再び国道254号線に合流した少し先の右手の田んぼの中には、草の生い茂ったいくつかの小さな盛り土が↓。
これは古墳だそうで(「広木・大町古墳群」)、現在ここには七基の古墳が保存されており、その約300メートル東側には前方後円墳(「両子塚(ふたごづか)古墳」)↓が遺されています。