桶狭間古戦場跡を過ぎ、再び旧道へと入って約40分、国道1号線へ再び合流する手前に、形はだいぶ崩れていますが、「阿野一里塚」が東西に残っています。
旧道は黒部川の手前で再び左に分かれ、昔は真ん中から西は板橋、東はその上に土を盛り固めた土橋だったと云う「境橋」を渡り、国道1号線を地下道でくぐり抜け、反対側に続く旧道へ出ると、
落ち着いた風情の今川町を通って行きます。
その先の今岡町で国道1号線に合流、15分ほど進んで逢妻町信号で右へ分かれて逢妻橋を渡り、
すぐに左折。
やがて左手に知立神社の塔を見つつ上り坂、国道115号線をまた地下道でくぐり抜け、知立城跡の公園を過ぎて枡形を左に曲がったところが、かつて馬市で賑わったという「池鯉鮒(知立)宿」。
↑右手あたりが本陣のあった場所ですが、現在では道幅が窮屈な感じの町並みとなっています。
↑写真中央の狭い道が旧東海道、池鯉鮒宿を抜けて国道1号線と交差した先には、
↑のような見事な松並木が、数百㍍にわたって続いています。
旧道は黒部川の手前で再び左に分かれ、昔は真ん中から西は板橋、東はその上に土を盛り固めた土橋だったと云う「境橋」を渡り、国道1号線を地下道でくぐり抜け、反対側に続く旧道へ出ると、
落ち着いた風情の今川町を通って行きます。
その先の今岡町で国道1号線に合流、15分ほど進んで逢妻町信号で右へ分かれて逢妻橋を渡り、
すぐに左折。
やがて左手に知立神社の塔を見つつ上り坂、国道115号線をまた地下道でくぐり抜け、知立城跡の公園を過ぎて枡形を左に曲がったところが、かつて馬市で賑わったという「池鯉鮒(知立)宿」。
↑右手あたりが本陣のあった場所ですが、現在では道幅が窮屈な感じの町並みとなっています。
↑写真中央の狭い道が旧東海道、池鯉鮒宿を抜けて国道1号線と交差した先には、
↑のような見事な松並木が、数百㍍にわたって続いています。