迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊─東海道16 岡崎宿→藤川宿

2017-11-24 06:15:17 | 旧東海道
若宮町で二十七曲の最後─江戸からでは一番目の曲がり角─を右折して岡崎城下を後にすると、緩い坂を下って国道1号線と並行しながら、筋違橋を渡ります。

このあたりは幹線道路が騒々しく交差する場所でありながら、昔ながらの松並木が、少しばかり遺されています(上段写真)。


東名高速道路の岡崎ICを地下道でくぐり抜けて大平町に出、しばらくしてから左に分かれる旧道へ入って行くと、



住宅地のなかに「大平一里塚」が、西側だけ遺されています。


さらに5分ほど行ったところでちょっと寄り道をすることにして左折、その先の右手には、一万石の大名となった大岡越前守忠相が西大平藩主として構えていた陣屋跡が、



史跡として整備されています。


旧道はその先で乙川を橋で渡っていましたが、当時からの橋は無くなっているため、国道1号線の大平橋を迂回、



対岸にのこる旧道から、源氏蛍発祥地と云う美合町を通って行きます。



住宅地から松並木の点在するなかを進んで美合町の外れで国道1号線に合流、十分ほどで右手に分かれる松並木へと入り、



名鉄線の踏切を渡って吉良道の追分を過ぎ、静かな松並木道をさらに十分ほど行った左手には小学校、ここがかつての、藤川宿の入口。

遊女の多い宿場だったそうですが、現在ではさほど広くない道の両側に、人家の連なる集落となっています。



本陣跡は資料館と広場になっており、坂を下って江戸寄りの出口へ向かっていくと、



格子の嵌まったの古い民家がちらほらと残っています。


狭い枡形の道を通って宿場を抜けると、すぐに国道1号線に合流、左の山の手に名鉄線の工場を望みながら、



次の赤坂宿をめざします。
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