かつては土がひろがる田園地帯、いまは住宅が隙間なくひろがる密集地帯の世田谷区なれど、少し奥に入ればかつてを思はせる自然風景、そして史跡ありけり。
忘月忘日、世田谷区瀬田四丁目の曲がりくねりし細い坂道を下りたる折、道端の『まむし沢』なる石標が目に留まりけり。
このあたりは江戸時代、将軍家の鷹狩に餌として用ゆる蝮を、年貢として納めけり。
忘月忘日、世田谷区瀬田四丁目の曲がりくねりし細い坂道を下りたる折、道端の『まむし沢』なる石標が目に留まりけり。
付近はマンションや住宅が立ち並べど竹藪や山林もわずかに残り、さもありなむと思ひつつ、由来をたずぬる。
このあたりは江戸時代、将軍家の鷹狩に餌として用ゆる蝮を、年貢として納めけり。
村人は捕獲に出かける際、蝮に噛まれぬやう、
「おいらはこの村の槍持ちだ 蛇も蝮もどっけどけ」
と、おまじないを唱へてゐた云々。
その土地の先人たちの聲、にほひ、さうした素朴な文化に耳を傾けるべし。
そこには、我が命を明日へ繋げるための術が、潤沢に寶蓄せり。
さりながら、地方の街には熊の出没が常態化せし當今なれば、ここに古へのまま蝮が現れしと云へども、もはや不思議はなしと言ふは戯れに過ぎたるか……?