「それで、お祭り当日の助六は、どうだったのですか……?」
下鶴氏の話しに、僕もいつしか引き込まれていた。
「それは、素晴らしいものでした……」
下鶴氏は感に堪えないような声を出してから、急に気恥ずかしそうな顔をした。
「失礼、つい……。せやけどな、あの時のあかりちゃんの舞台姿は、いまもよう憶えていますわ。むきみ隈がよう似合う、ちょっと色気のある化粧顔で……」
歌舞伎の“むきみ隈”は、年若な役に用いられる隈取り、と聞いている。
しかし、僕が実際に歌舞伎の舞台で見たものは、隈が皺に隠れて見えないような、年若どころか年寄り役者のそれだったこともあり、下鶴昌之の言う“色気”が、正直なところあまりピンとこなかった。
が、東京で逢った現在(いま)の金澤あかりの、あの可愛らしい顔立ちからいって、さぞ人形のようであったであろうことは、想像できた。
それだけに、当時の写真の無いことが、残念に思えた。
「間違いなく、あの時の『助六』は、大成功でした。
あかりちゃんばかりやなく、役者の子どもたちはみんな、ええ芝居を見せてくれました。
工藤祐経役の男の子だって、あかりちゃんと堂々と渡り合う、ええ工藤やった。
私は舞台袖でツケを打ちながら、子どもたちに感動しましてな……」
それは、下鶴昌之の優しげ笑みからも、充分に窺えた。
「女の子を起用しても、朝妻の奉納歌舞伎は出来る、それが実証された舞台やったと、私は今でも思うてます。
これで、新しい方向性が見えてきたような……」
ところがここで、下鶴昌之の表情が、急に翳った。
「しかし、それがわからん人が、おったんです」
「誰、ですか……?」
「溝淵さんの親戚にあたる、例のゴネた父親です。
それは祭礼が済んだ夜、集会所で慰労の席を設けた時のことでした。
皆で手締めをして、いざ食事に箸を付けようとした時、すでに酒が入っていたその男が、
『今度の配役は親の気持ちとして、やはり納得がいかない!』
と、いきなり怒鳴り出しよったんですわ」
いちど済んだ話しを、万座の席で蒸し返す─
なんて分別のないオトナだろう、と僕はうんざりした。
「すると熊橋さんが、『一度は納得したことを、なぜ今さら蒸し返すんだ!』と、男に対して烈火の如く怒り出して、座はいっぺんに白けました。
それは熊橋さんかて、女人禁制を破ることは反対やった人です。
せやけど、朝妻の伝統文化を守るために、ならぬ堪忍をしておったわけですわ……。
男は、嵐師匠の娘が主役やったことが、とにかく気に喰わんかったんですな。
そもそも配役を決めた宮司さんは、この時ほかに用事があったかしておらんかったもんやさかい、男は溝淵さんが抑えるのも聞かずに、嵐師匠の前にズカズカと出て来ると、顔の前に人差し指を突き付けて、とても私からは言えないような罵声を浴びせおったのです」
感情を極力抑えようとしているからか、下鶴昌之の声は、微かに震えていた。
「やれ『親心とすれば』、『親心』、『親心』と、そんなことばかりを口にしよってな。
そないなこと言えば言うほど、親のエゴが剥き出しになって、ほんまにみっともないことやった……」
下鶴昌之はきゅっと眉間に皺を寄せた。
「それで、その嵐さんという人は、どうだったんですか?」
「それが、大変に冷静でした。
『手締めをしてからそう仰有るのは、大人としていかがなものかと……』
とだけ仰有って、あとはじっと黙ってはりました」
なるほど、役者が一枚上だ―と僕は感心した。
「男は、その落ち着きぶりが、ますます気に喰わんかったのやろ。ついにとんでもないことを、口走りおった」
続
下鶴氏の話しに、僕もいつしか引き込まれていた。
「それは、素晴らしいものでした……」
下鶴氏は感に堪えないような声を出してから、急に気恥ずかしそうな顔をした。
「失礼、つい……。せやけどな、あの時のあかりちゃんの舞台姿は、いまもよう憶えていますわ。むきみ隈がよう似合う、ちょっと色気のある化粧顔で……」
歌舞伎の“むきみ隈”は、年若な役に用いられる隈取り、と聞いている。
しかし、僕が実際に歌舞伎の舞台で見たものは、隈が皺に隠れて見えないような、年若どころか年寄り役者のそれだったこともあり、下鶴昌之の言う“色気”が、正直なところあまりピンとこなかった。
が、東京で逢った現在(いま)の金澤あかりの、あの可愛らしい顔立ちからいって、さぞ人形のようであったであろうことは、想像できた。
それだけに、当時の写真の無いことが、残念に思えた。
「間違いなく、あの時の『助六』は、大成功でした。
あかりちゃんばかりやなく、役者の子どもたちはみんな、ええ芝居を見せてくれました。
工藤祐経役の男の子だって、あかりちゃんと堂々と渡り合う、ええ工藤やった。
私は舞台袖でツケを打ちながら、子どもたちに感動しましてな……」
それは、下鶴昌之の優しげ笑みからも、充分に窺えた。
「女の子を起用しても、朝妻の奉納歌舞伎は出来る、それが実証された舞台やったと、私は今でも思うてます。
これで、新しい方向性が見えてきたような……」
ところがここで、下鶴昌之の表情が、急に翳った。
「しかし、それがわからん人が、おったんです」
「誰、ですか……?」
「溝淵さんの親戚にあたる、例のゴネた父親です。
それは祭礼が済んだ夜、集会所で慰労の席を設けた時のことでした。
皆で手締めをして、いざ食事に箸を付けようとした時、すでに酒が入っていたその男が、
『今度の配役は親の気持ちとして、やはり納得がいかない!』
と、いきなり怒鳴り出しよったんですわ」
いちど済んだ話しを、万座の席で蒸し返す─
なんて分別のないオトナだろう、と僕はうんざりした。
「すると熊橋さんが、『一度は納得したことを、なぜ今さら蒸し返すんだ!』と、男に対して烈火の如く怒り出して、座はいっぺんに白けました。
それは熊橋さんかて、女人禁制を破ることは反対やった人です。
せやけど、朝妻の伝統文化を守るために、ならぬ堪忍をしておったわけですわ……。
男は、嵐師匠の娘が主役やったことが、とにかく気に喰わんかったんですな。
そもそも配役を決めた宮司さんは、この時ほかに用事があったかしておらんかったもんやさかい、男は溝淵さんが抑えるのも聞かずに、嵐師匠の前にズカズカと出て来ると、顔の前に人差し指を突き付けて、とても私からは言えないような罵声を浴びせおったのです」
感情を極力抑えようとしているからか、下鶴昌之の声は、微かに震えていた。
「やれ『親心とすれば』、『親心』、『親心』と、そんなことばかりを口にしよってな。
そないなこと言えば言うほど、親のエゴが剥き出しになって、ほんまにみっともないことやった……」
下鶴昌之はきゅっと眉間に皺を寄せた。
「それで、その嵐さんという人は、どうだったんですか?」
「それが、大変に冷静でした。
『手締めをしてからそう仰有るのは、大人としていかがなものかと……』
とだけ仰有って、あとはじっと黙ってはりました」
なるほど、役者が一枚上だ―と僕は感心した。
「男は、その落ち着きぶりが、ますます気に喰わんかったのやろ。ついにとんでもないことを、口走りおった」
続