私は歩くことが好きである。
歩ひて世界を眺めることで、私は時間を知る。
私であることの、存在証明。
とにかく、好きである。
それは“ウォーキング”とか云ふ、カネをかけて衣裳道具一式を買ひ揃へる、ああいふ七面倒臭ひものではなく、普段のまま、気の向くまま、好きに歩くことが好きなのである。
歩き過ぎは却って良くないさうだが、
だとしても私は歩きたいのである。
歩ひて世界を眺めることで、私は時間を知る。
それらは、必ずなにか“聲”を発してゐる。
それは、歩ひていなければ聞こえない。
當今浮世の騒音にかき消されがちな、
微かなる聲。
私がその景色に気が付くのは、
かの聲に気が付ひたからだ。
“気”を得るから、
「気が付く」となる。
さうしてふらりと立ち寄った図書館で、自分の名前が載った広報紙を見つける。
私であることの、存在証明。
気になるは、向かうーケ月の天気がよろしくないらしいこと。
まぁ、その時はその時。
さうして私は、ここまで歩ひて来たのだから。