迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

『気』と『聲』。

2019-11-27 17:26:28 | 浮世見聞記
私は歩くことが好きである。

とにかく、好きである。

それは“ウォーキング”とか云ふ、カネをかけて衣裳道具一式を買ひ揃へる、ああいふ七面倒臭ひものではなく、普段のまま、気の向くまま、好きに歩くことが好きなのである。


歩き過ぎは却って良くないさうだが、

だとしても私は歩きたいのである。



歩ひて世界を眺めることで、私は時間を知る。

それらは、必ずなにか“聲”を発してゐる。


それは、歩ひていなければ聞こえない。


當今浮世の騒音にかき消されがちな、

微かなる聲。



私がその景色に気が付くのは、

かの聲に気が付ひたからだ。


“気”を得るから、

「気が付く」となる。



さうしてふらりと立ち寄った図書館で、自分の名前が載った広報紙を見つける。


私であることの、存在証明。

気になるは、向かうーケ月の天気がよろしくないらしいこと。


まぁ、その時はその時。


さうして私は、ここまで歩ひて来たのだから。





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