「あの…」
彼はスケッチブックを仕舞う手を止めて、呟くような声で言いました。
「?」
「……」
顔を上げた彼のその表情には、何やら緊張感が漂っていました。
「あの…、あなたを、描かせて、もらえますか…?」
「わたしを、ですか…?」
「はい。人物画のモデルになっていただけたら、と…」
思いがけない申し出でした。
そして、綺麗な瞳(め)をわずかに伏せたその面差しに、わたしは睫の長い人なんだな、と思いました。
「実は僕、風景画ばかりで、まだ人物を描いたことがないんです。描きたいと思える人がいなかったから…」
「……」
彼は、瞳をわたしから逸らして、
「僕は、いいものを持った、綺麗な人を描いてみたいんです…」
あんな芝居に出たわたしに、中身なんて、ない。
でもわたしは、もう、紛いモノでいたくは、ない…。
わたしは泣き笑いのような表情で頷きました。
「本当にわたしなんかで、いいんですか…?」
「わたしなんかだなんて、とんでもないです。おねがいします!」
この人なら、真実(ほんもの)を描いてくれるだろう…。
「ええ。こちらこそ、おねがいします」
「ありがとうございます!」
彼の綺麗な顔に、花が咲くように広がる笑顔。
「…ではあの、この階のところに座って頂けますか?もう陽も暮れるし、そんなに時間はとらせません…」
いそいそとした様子が真実(ほんとう)に嬉しそうで、どこか可愛らしくて、
「時間かけて、いいよ…」
彼は動きが一瞬とまって、そして、
「…ありがとう」
あなたに出逢えたのは、御縁があったから。
旅先の、見知らぬ町で、あなたと云う綺麗な人に逢えたのは…。
わたしが本殿の階に腰を掛けると、
「楽にしていて、いいですよ」
と言いながらスケッチブックを開いて鉛筆を構えた途端、彼の表情は今までのにこやかさから、スッと引き締まった表情へと変わり、わたしを見る瞳(め)にも真剣そのものの光が宿って、こちらも背筋をピンと伸ばしたくなるくらいのオーラがありました。
その時わたしの頭に浮かんだのが、“プロ”と云う言葉です。
そうですね、あの時の彼の凛々しい表情は、まさに“プロ”と云う言葉がぴったりでした。
と同時に、このひと月のなかでわたしに最も欠けていたものを、気付かされたような気がしました。
「出来ました。こんな感じです…」
そう言って彼が見せてくれたのは、神社の階で休憩をしている態の、あの踊り子の少女でした。
そして少女の表情は、わたしの特徴をよく掴んで描かれていました。
「わぁ…」
「舞台化粧をしていない、いまのあなたの表情(かお)を写し取りたかったんです…」
「いま、の…?」
「はい」
わたしを見る彼の瞳(め)には、もとの穏やかさのなかに、この絵に対する強い自負を思わせるものがありました。
「舞台で“いいもの”を見せてくれたあなたと、そのあなたの、真実(ほんとう)の表情とを、一つに描いてみた…、つもりなんです」
言っている途中で照れくさくなったのか、彼は手を首の後ろに当てて、俯いてしまいました。
「ほんとうの、表情…」
わたしは、あの舞台が彼の心に与えた影響の大きさを思わずにはいられませんでした。
自分にとってはボロボロだったものが、それを目にした人には素晴らしいものに映った…。
人の見方って、いろいろなんだな…。
でも、だからこそ、演者は胸を張って見せられるようなものを、表現していかなくてはいけないんだ…。
そのためには、しっかりと基礎を勉強することだ…、ね、はるやさん。
〈続〉
彼はスケッチブックを仕舞う手を止めて、呟くような声で言いました。
「?」
「……」
顔を上げた彼のその表情には、何やら緊張感が漂っていました。
「あの…、あなたを、描かせて、もらえますか…?」
「わたしを、ですか…?」
「はい。人物画のモデルになっていただけたら、と…」
思いがけない申し出でした。
そして、綺麗な瞳(め)をわずかに伏せたその面差しに、わたしは睫の長い人なんだな、と思いました。
「実は僕、風景画ばかりで、まだ人物を描いたことがないんです。描きたいと思える人がいなかったから…」
「……」
彼は、瞳をわたしから逸らして、
「僕は、いいものを持った、綺麗な人を描いてみたいんです…」
あんな芝居に出たわたしに、中身なんて、ない。
でもわたしは、もう、紛いモノでいたくは、ない…。
わたしは泣き笑いのような表情で頷きました。
「本当にわたしなんかで、いいんですか…?」
「わたしなんかだなんて、とんでもないです。おねがいします!」
この人なら、真実(ほんもの)を描いてくれるだろう…。
「ええ。こちらこそ、おねがいします」
「ありがとうございます!」
彼の綺麗な顔に、花が咲くように広がる笑顔。
「…ではあの、この階のところに座って頂けますか?もう陽も暮れるし、そんなに時間はとらせません…」
いそいそとした様子が真実(ほんとう)に嬉しそうで、どこか可愛らしくて、
「時間かけて、いいよ…」
彼は動きが一瞬とまって、そして、
「…ありがとう」
あなたに出逢えたのは、御縁があったから。
旅先の、見知らぬ町で、あなたと云う綺麗な人に逢えたのは…。
わたしが本殿の階に腰を掛けると、
「楽にしていて、いいですよ」
と言いながらスケッチブックを開いて鉛筆を構えた途端、彼の表情は今までのにこやかさから、スッと引き締まった表情へと変わり、わたしを見る瞳(め)にも真剣そのものの光が宿って、こちらも背筋をピンと伸ばしたくなるくらいのオーラがありました。
その時わたしの頭に浮かんだのが、“プロ”と云う言葉です。
そうですね、あの時の彼の凛々しい表情は、まさに“プロ”と云う言葉がぴったりでした。
と同時に、このひと月のなかでわたしに最も欠けていたものを、気付かされたような気がしました。
「出来ました。こんな感じです…」
そう言って彼が見せてくれたのは、神社の階で休憩をしている態の、あの踊り子の少女でした。
そして少女の表情は、わたしの特徴をよく掴んで描かれていました。
「わぁ…」
「舞台化粧をしていない、いまのあなたの表情(かお)を写し取りたかったんです…」
「いま、の…?」
「はい」
わたしを見る彼の瞳(め)には、もとの穏やかさのなかに、この絵に対する強い自負を思わせるものがありました。
「舞台で“いいもの”を見せてくれたあなたと、そのあなたの、真実(ほんとう)の表情とを、一つに描いてみた…、つもりなんです」
言っている途中で照れくさくなったのか、彼は手を首の後ろに当てて、俯いてしまいました。
「ほんとうの、表情…」
わたしは、あの舞台が彼の心に与えた影響の大きさを思わずにはいられませんでした。
自分にとってはボロボロだったものが、それを目にした人には素晴らしいものに映った…。
人の見方って、いろいろなんだな…。
でも、だからこそ、演者は胸を張って見せられるようなものを、表現していかなくてはいけないんだ…。
そのためには、しっかりと基礎を勉強することだ…、ね、はるやさん。
〈続〉